モーリタニア・ニュース

海外の雑誌や新聞などからアトランダムに抜粋、翻訳したものです。
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ネマでマリ・ナンバーの車が爆発

2010年8月25日 PANA
 ヌアクショットから1,200km、マリとの国境そばの都市、ネマで、8月24日夜遅く、駐屯地前で車が爆発した。車は、4輪駆動ハイラックスで、マリ・ナンバー”3022MD"を付けており、ネマの駐屯兵が停車を命じたところ応じないので、警告発射したところ爆発したという。
 モーリタニアで、自爆事故が起こったのは2度目。情報はイスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループのウェブサイトによる。

ヌアクショットの電力供給の拡大に向けてドイツ企業が石油大臣と会談

2010年8月25日 PANA
 ワヌ石油・エネルギー相が、24日、ドイツのVonroll Hydro社一行と会談した。
 モーリタニアは主に火力発電、セネガル川域の水力発電による電力を使っているが、恒常的な電力不足。同社は、ソーラー・風力・水力エネルギーのプロジェクトを専門としており、ヌアクショットの電力供給の拡大に向けて、協力開発について協議した。

スペイン人捕虜が解放

2010年8月22日 Le Monde
 去る2009年11月からマリのイスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループに人質になっていたスペイン人2名が、8月22日、解放されたとエル・パイスが報じた。同報道を、アル・アラビヤ、エル・ムンドのテレビ放送でもマリ政府の情報として報じている。

 事件は、去る11月25日、モーリタニアのヌアクショットーヌアディブ間の道路上で、スペイン人3名が誘拐された。建築関係のGegoin社代表であり、支援団体の副会長ロック・パスカル(50歳)、スペイン地方環境大臣の息子でタバサ社代表のアルベルト・ヴィラルタ(45歳)、司法省公務員・同団体スタッフの女性アリシア・ガメス(37歳)の3名で、誘拐された後、マリのイスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループに売り渡され人質になっていた。
 ガメス女史は2010年3月に解放されたが、男性2名はその後も人質となったまま、マリ政府やスペイン政府と解放の交渉を重ねてきていた。

 2名がテロリストグループから解放されたことについて、スペイン政府は公式発表をしていないが、ロック・パスカルが自宅に解放されたと電話したことを、カタルーニャ・プレスACNが報じた。

 2名の人質解放については、去る8月17日(下記、参照)のテロリスト、オマール・サハラウィをヌアクショットからマリ政府に移送したことが大きく影響している見られる。「モーリタニアは誠意を示した。それは重要なことだ」と、スペイン人人質の関係者が表明したという。
 

ヌアクショットの周りにグリーン・ベルト

2010年8月20日 PANA
 「政府は、8月21日から首都ヌアクショットの周りに砂丘の移動をストップさせる為のグリーン・ベルトを作るべく、植樹作業を開始する。」と首相付き兆期開発計画担当相が20日金曜日、発表した。

 当計画実施の手始めとして、ヌアクショットの西側に15kmほどの植樹するセレモニーを行い、アブデラジズ大統領が参列する。このセレモニーには、官僚全員、全高級官僚も参列する。
 そして、当計画には、職業をいとわず住民全員が参加を呼び掛けられており、500ヘクタールの土地に20万本をに植樹し、向こう4年間で2,000ヘクタール、100万本の植樹を目指している。

 専門家によれば、モーリタニアでは年間6〜9km、砂漠が進んでいると言う。
 

孤独なモーリタニアの百万長者

2010年8月20日 Jeuneafrique
 モーリタニアで金持ちでいるのは難しい。ヌアクショットでは、大金持ち(ほとんどが商業を営む人)の消費欲を満たすようなゴルフをするところもなければ、高級品を売っているブティックもないし、高級レストランもない。彼らの莫大な財産をこの国で費やす唯一の方法は、ドイツ製の超高級4×4車(ヌアクショットの非常に混雑した上、大部分が砂の道路では絶対必需品)を買って、テヴラフ・ゼイナ区(ヌアクショットの田園調布)にテラス付きの大きな邸宅を建てることだけ。ブランドのハンドバックを手に、グッチやプラダのマークの大きなサングラス:パリやドバイ、ラス・パルマス、マドリッドで買ったものだ。そこには、度々仕事と休暇を兼ねて、ビジネスクラスで訪れる。しかし、どんな金持ちでも、そこで心の底からリラックスするわけではない。彼らが本当に休めるのは、ブルース(地方の村や部落)の中のテントで、羊を食べ、ぼーっと終日暮らすことなのだ。

 いずれにしても、この国の百万(ウギア)長者は、何らかの形で大統領府と関係を持っているということだ。仕事ができるより、大統領や高級官僚と同部族とか親類筋とかいうことのほうがものを言う。

フランスが栄養失調者救済に50万ユーロ支援

2010年8月19日 PANA
 フランスは、世界食糧プログラム(PAM)を通じて、栄養失調者救済の為、50万ユーロ(約5,500万円)を寄付すると発表した。フランスは、先の65万ユーロと併せて、2010年度、合計で約150万US$を支援する。
 今回の支援金は、1,000トンの穀類の購入、および、年始にストップしていたフランスからの至急支援物資の購入に向けられる。この支援により、セネガル川域に住む、セネガルからの難民の食糧事情が改善できると期待されている。
 去る5月のPAMの統計によれば、モーリタニアでは栄養失調者は全国民の6,6%、栄養不良者は17%に上るという。

リビアが洪水被害者に見舞金

2010年8月19日 PANA
 リビアから8月18日、先の洪水の被害者救済の為、小麦粉13トン、テント250個、エマージェンシーキット500セット、ゴザ600枚を搭載した飛行機がヌアクショットに向けて飛び立った。この「リビア国民からモーリタニア国民に向けての贈り物」はリビアの支援・開発基金から捻出したもの。

 モーリタニアでは先日豪雨によって国の主要道路が通行できなくなったり、家が水に浸って路頭に迷う家族が数千人も出た。ヌアクショットでは、浸水の被害者500世帯が17日に代替住宅に移るよう手続きを始めたところである。

ヌアクショットの水害被害者500世帯が移転

2010年8月18日 PANA
 ヌアクショットでこのところ豪雨が続き、数千人が路頭に迷う災害となった。政府は18日(火曜日)、被災者500世帯を移動に取りかかった。ヌアクショットの中でも町の中心から南東部にあるエル・ミナ区のレグレイガ (Leghreiga)は、標高ゼロ以下の地域で、雨が降ると水に覆われてしまう。水はけがわるく、何日も水が引かない。

 住居を失った人への代替住居の割り当て作業は、法務省、内務省、水利省、土地開発・住居省が合同で設立した委員会がスーパーバイザーとなり、人権委員会、ヒューマニティ活動委員会、市民連絡委員会などが運営を進める。

テロの主犯をマリに引き渡し

2010年8月17日 PANA
 去る2009年11月に、ヌアクショット-ヌアディブの道路上でスペイン人3名が誘拐される事件があった。(下記2009年12月1日 記事参照)誘拐した一味のリーダーのマリ人オマール・シッダハメッド・ハンマ (Omar Sid'Ahamed Hamma)、 通称オマール・サハラウィが先月、7月21日に、禁固刑12年の刑を言い渡された。そして、オマールの身柄がマリ国に引き渡されることになって昨夜、8月16日、飛行機でマリに向かった。
 
 去る2月に、「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループの人質解放につき、同グループ関連の囚人テロリストを釈放するよう求めた際、マリ法務省がそれに応じようとしていたことに対し、モーリタニアとアルジェリアは強硬に反対したばかりだ。今回のテロリスト引き渡しは、1963年のモーリタニアとマリの間の囚人引渡しについての協定に基づいて実施された。

関連記事 : 2009年8月12日 PANA マリ人テロリストに対し控訴院が懲役の承認
  ヌアクショット控訴院は、誘拐テロリストの一味であるマリ人、オマール・サハラウィに対する12年の懲役を承認した。
 オマール・サハラウィ(マリの北部出身、52歳)は、去る2009年11月29日にヌアクショット-ヌアディブの道路上でスペイン人3名を誘拐した主犯。「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループのうちの、アルジェリア人モクタール・ベル・モクタール(Moctar Bel Moctar)の一派。

 先月7月22日にフランス軍&モーリタニア軍による「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループ基地の襲撃に対し、マリ政府は遺憾の意を表し、モーリタニアとマリの関係がやや冷淡になっているところだった。

 本日モーリタニアのエル・ヘイール法務大臣がアマドゥ・トウマニ・トゥーレ大統領に会見し、モーリタニア大統領からの「和平友好」メッセージを手渡した。
 

コカイン18kgを没収

2010年8月17日 PANA
 モーリタニア麻薬取締担当の警察は16日月曜日、ヌアクショット市内で麻薬密輸業者を逮捕し、18kgのコカインを没収した。同コカインの末端価格は30万ユーロ(約3,300万円)。犯行は数人のギャングによるもので、市内の民家に隠れていた一味を、警察が銃撃戦の末逮捕した。

アーバン開発に向け世銀が25,500万US$

2010年8月12日 PANA
 世界銀行の諮問委員会は、モーリタニアのアーバン開発プログラム(PDU)への追加予算として25,500万US$のクレジットを認可したと報じた。同プログラムの内容は、舗装道路および未舗装道路の舗装&修復、飲料用水道設置、電力輸送と分配、手に職のある職人の臨時雇用設置など。

モーリタニアでラマダン始まる

2010年8月11日 PANA
 8月12日、モーリタニアでラマダンを開始すると、新月社が発表した。ラマダン中、公官庁や企業などで勤務時間帯が変更になるところがあると、政府が発表した。
 国によっては、アルジェリア、リビア、チュニジアなどは8月11日が開始となっている。

モーリタニア・エアウェイズがまた事故

2010年8月7日 Kapitalis.com
 モーリタニア・エアウェイズがヌアディブの着陸にまたトラブルが起きた。ヌアディブで着陸しようとした機体が着陸装置の故障があった。7月28日にコナクリ(ギニア)で着陸失敗をしたばかり。同航空会社はチュニス・エアー(チュニジア)資本による、モーリタニアの富豪ブーアマトゥの率いる企業で、フライトし始めて3年あまり。技術的な面で、まだ不安定と見られる。
 同社では、2009年4月にもヌアディブ→ヌアクショット便が着陸装置が故障し、15分ほどヌアクショット上空飛行をしている間に奇跡的に問題が解決して着陸できたことがあった。
 モーリタニア・エアウェイズは2007年創立、チュニス・エアーが51%出資の民間企業で、ダカール、コナクリ、カサブランカ、ラスパルマス、パリに運航している。飛行機に事故は付き物だが、1年間でこれだけ事故が重なるとはいかなることか?チュニス・エアーは創立以来事故を起こしたことがなく、技術的な高さでは世界的に定評がある。

アメリカがモーリタニアを旅行する人に警告

2010年8月2日 Lejdd.fr
 アメリカ合衆国は8月2日、モーリタニアへ旅行・滞在する人に向けて警告を発した。
 先月7月中旬、ニジェールで誘拐され、マリ北部の「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループの基地に人質になっていたフランス人ジェルモーを救助しようと、フランス軍とモーリタニア軍の合同特別部隊がその基地を襲撃した。その報復の為、西洋人をアタックする可能性があると懸念するためだ。

アメリカがモーリタニア難民に300万USドルの支援

2010年8月2日 PANA
 アメリカ大使館は、「合衆国政府は、モーリタニアの市民・移民・難民局を通じて、セネガルや他の国から難民としてモーリタニアに在住する人に向け、2,899,420US$を支援する」と表明した。
 2008年12月〜2009年12月、モーリタニアにセネガルから帰還した難民がセネガル川周辺で難民キャンプ生活をしており、この支援金はこうした難民らの農業開発や生活環境向上に向けて使われる。

「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループの諜報部員2人が逮捕

2010年7月30日 Xinhua
 「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループの諜報部員2名が、モーリタニア軍部によって7月28日の夜、レムゲイッティ(Lemgheitty)で逮捕された。ヌアクショットから1,000km以上北部の砂漠の中で、車の轍を追いかけて捕えた。

 二人の男が4×4車で走っているところ、ドライバーがストップするのを拒否した為、そこにいた軍部の者がクルマに向けてストップさせようと発砲した。男らは反撃したが、最後捕えられた。軍部筋によると、二人は「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループへの報告を作成する偵察担当の者だという。
 レムゲイッティ近くで、一昨年15人のモーリタニア軍部の者がGSPC「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループの前身)に殺された場所でもある。

モーリタニア・エアウェイズ、コナクリで着陸失敗

2010年7月29日 APA
 モーリタニア・エアウェイズのボーイング737(乗客97名、乗務員6名))が、28日夜、コナクリ国際空港(ギニア)の着陸に失敗したと、ラジオ国際放送が報じた。
 飛行機は、ピストの最端でなんとかストップできたが、搭乗者はパニックとなり、6名が軽いケガを負って、コナクリ市内の病院に運ばれた。
調査の結果、原因はパイロットが飛行機をピストの端に着陸させるところ、中間部あたりで着陸させたことによると見られる。技術調査員がさらなる原因追求にとりかかることになっている。
 ギニアの首相ジャン・マリー・ドーレが現場を検証し、ケガ人6人の費用を負担するよう、また、アビジャンまでの継続航路に対して、他の飛行機を配置するよう要求した。 

◆フランス人人質ジェルマノー,マリの「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」に殺害された

2010年7月25日 アル・ジェジーラ報道より
 アル・ジェジーラで本日、「フランス人人質ミッシェル・ジェルマノ (78歳)が誘拐犯によって殺された」とアブ・ムーサブ・アブデル・ワドード(Abou Mousssab Abdel Wadoud)のアラブ語声明を報道した。
 
 フランス軍とモーリタニア軍による同人質解放に向けての襲撃が失敗し、人質が殺されるのではと危惧されていたが、最悪の結果となった。

 (その後 :8月2日、「ジェルマノーは、アルジェリア人テロリスト、アブデラハミド・アブーゼイド(Abdelhamid Abou Zeid)率いる「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループの一味によって殺された」と、一味のリーダー、アブデルマレック・ドルードカル(Abdelmalek Droudkal)がアル・ジェジーラを通して声明を出した。)

カタール・ナショナル・バンクの支社がモーリタニアにオープン

2010年7月25日 APA
 モーリタニア中央銀行(BCM)が、カタール・ナショナル・バンク(QNB)に対し、支社の開設許可を出した。
 カタール・ナショナル・バンク(QNB)は、モーリタニアの政府及び企業向けに銀行業務を行う。同行は世界23ケ国で業務を行っている銀行。

◆フランス人人質ジェルマノーの解放に向け、フランス軍が介入

2010年7月24日 El-annabi.com
 昨年11月にマリでフランス人ピエール・カメットが誘拐され、マリの「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」グループに売り渡された事件があり(参照記事:下記 2009年12月3日) 、その後、2010年7月にようやく解決を見た。その一方、今度はニジェールで2010年4月19日、ミッシェル・ジェルマノー(Michel Germaneau) 78歳、が誘拐され、マリの「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」系グループに人質となっていた。
 この人質の解放に向けて7月22日フランス軍が「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」系グループのキャンプを襲撃すべく介入した。フランス軍がアフリカのアル・カイーダ系グループに対し、軍事介入を行ったのは初めてのことだ。

 フランス防衛省によれば、「同グループは1年ほど前にイギリス人エドウィンを人質としたが、この生存についての表明も断っており、今回フランス人ジェルマノーの生存の表明を断っている。フランス軍は、モーリタニア軍にイスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」系グループをアタックするよう技術及び、ロジスティック上のサポートを行った。」と発表している。

 オペレーションの場所は明らかにしていないが、フランス防衛省は「モーリタニア軍によって実施されたオペレーションは、テロリストグループを無力化し、モーリタニアをアタックするのを失敗させることに成功した」と発表した。(: 他のインフォメーションによれば、場所はアルジェリアの国境付近のマリ北部)

 しかし、この軍事介入で、人質のフランス人ジェルマノーの解放はできなかった模様。

 モーリタニア側の情報によれば、「イスラミストのベース・キャンプをアタックするオペレーションは終了した。砂漠の中のキャンプ地で集まって軍事練習を行っているテロリスト集団を襲撃し、武装したテロリストを6人を銃殺、数人を負傷させることができた」という。
 
 バマコAFPによれば、「今回は明らかにフランス人人質解放に向けてのオペレーションだった。しかし、本来この人質解放に向けてモーリタニア軍がサハラ砂漠の中へ奔走しなければならないところ、それをかまけていた。今回のオペレーションでフランス人人質を探したが、見つからなかった」と、同地域で何度もヨーロッパ人人質の解放に向けて調整を試みているマリ人仲介人が述べたと報じている。

 「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」系グループは、7月26日までに同グループの捕虜を釈放しなければ、ジェルマノーの人命を保証しないと脅す声明を出している。

 スペインの新聞エル・ムンド紙は、「フランス・エリート軍団が、アメリカ合衆国からの技術・ロジスティック協力を得て行ったオペレーション」だと報じている。同紙は、「このフランス人の軍事介入が、今人質になっているスペイン人人質2名(下記2009年12月1日及び、12月3日の記事を参照)の人命に影響を及ぼさないか、一層懸念を大きくした。」として、スペイン政府とフランス政府の人質解放に向けての意見の不一致を指摘している。

 昨年11月にヌアクショットーヌアディブ間で誘拐されたスペイン人3名(2009年12月1日記事参照)の犯人は今年になって逮捕された。その主犯のマリ人、オマール・サハラウィ(52歳)は、先月7月21日、12年の強制労働を伴う禁固刑が確定したばかり。

 2009年6月、「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」系グループによって、イギリス人旅行者エドウィン・デイヤー(Edwin Dyer)が人質となったが、イギリス政府は保釈金の支払いを拒否していた。一方、フランス人ミッシェル・ジェルマノーは電子系エンジニアとしてフランス国内の幾つかの企業で勤務した後リタイアし、小さな協会を設立しようとニジェールにやってきていた。2009年4月19日にイン・アバンガレ(In-Abangharet)村のオープン・スクールを視察に滞在している間に誘拐された。5月になってジェルマノーを案内していたドライバー、ニジェール人は解放されたが、ジェルマノーは二人のスペイン人ロック・パスカル(50歳)、アルベルト・ヴィラルタ(45歳)2名の人質と共に、マリの砂漠の中の「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」系グループの基地に拘留されていた。

◆モロッコに住むモーリタニア人浮浪者70名が癌でモロッコの病院に収容される

2010年7月21日 Al Jazeera TV News
 アル・ジェジーラテレビのニュースで、7月20日、モロッコ在住のモーリタニア人70名がモロッコの病院に収容されたと報道された。このモーリタニア人たちは、癌にかかっていながら、食べ物もなく、住居もなく、医療手当も受られない生活環境下にあり、万が一死亡してもモーリタニアに埋葬のために帰還させられることもないという。

◆アブデラジズ大統領のスキャンダル

2010年7月21日 PANA
 サウジアラビアのタブーク・エジレイヤ社(Tabouk-Eziraiya)に対し、ボゲ(ヌアクショットから南西へ約330km)周辺の5万ヘクタールの土地の供与についての書類に、アブデラジズ大統領が調印していたことが発覚した。情報はアレグやボゲ周辺で配付されている週刊誌エベイユ・エブド(Eveil Hebdo)に報じられたもので、これが事実だとすると、1960年の独立以後、当国始まって以来の大スキャンダルとなる。

 この地域は、セネガルで難民生活をしていたモーリタニア人が戻ってきて、この土地の権利をめぐって喧騒が続いているところで、このような筋書が事実であるとは考えにくい。政府高官がこのような不手際をするとは理解しがたい。しかし、この報道の少し前6月に、モーリタニア軍部がイエメン高官を同行して同地域を訪問しており、何らかの事情があるのではと地域の人々は感じ取っていた。

◆モーリタニア人30万人が飢饉の危機

2010年7月21日 PANA
 モーリタニア中央部から南西の砂漠地帯に住む人々を中心に、国内で30万人以上が飢餓の危惧にひんしていると国連の人道委員会が発表した。
 国連は、サヘル地帯(ニジェール、マリ、チャド、モーリタニア、ブルキナファソ・・・等)で100万人以上が飢餓にさらされているとして、世界各国へ支援を呼び掛けている。これらの国では子供たちの恒常的な栄養失調も指摘されている。

◆スペイン人誘拐犯人の裁判、始まる

2010年7月20日 PANA
 去る2009年11月にヌアクショットーヌアディブ間の道路上でスペイン人3人誘拐されその後、イスラム系アルカイダ組織に売り渡された事件(下記、1009年12月1日記事参照)があったが、その容疑者10名ほどの審議がヌアクショットの刑事裁判所で20日から始まった。容疑者の中でも、マリ人オマール・サハラウィ(52歳)は、誘拐事件の中心人物として大きな関心が持たれている。

◆セネガル川域で洪水による被害

2010年7月17日 PANA
 モーリタニア南部で大雨が降り、ギディマカ州のウールー・ン・ボニ村で川の水が氾濫し、住民147世帯が水につかる被害となった。ウールー・ン・ボニ村は乾川に隣接する村で、雨が降ると一面川のようになる所で、以前から他の地域への移動が推奨されていた場所だった。

ミネラルウォーター工場が製造停止

2010年7月13日 PANA
 鉱業・産業省が、衛生基準を満たしていないとの理由で、ミネラルウォーター製造工場8か所に製造を中止するよう言い渡した。対象になったミネラルウォーターは、ヌアクショットに送られてきた水道水をボトル(あるいはビニール袋)に詰めて売られていたもの。
 

電話が8ケタになる

2010年7月5日 PANA
 現在、モーリタニアで使用されている電話番号は、7ケタ、これが2011年1月から8ケタになる。電話の保持者の増加によるもので、携帯電話・固定電話を併せて利用者は100万人を越えたと、電話通信担当官が発表した。

2ヶ月間の禁漁が解禁

2010年7月4日 
 漁場保護の為、モーリタニア海域での大型漁船の漁獲を5月、6月の2ヶ月間ストップしていたが、7月1日、解禁になった。
 ちなみに、漁業による収益は年間3億ユーロにのぼり、モーリタニアでは鉄鉱石に次いで大きな収入源。

◆モーリタニアで23年ぶりに死刑が実行

2010年6月24日 PANA.
 モーリタニアでは1987年以降、死刑が実施されていなかったが、6月23日、7名の死刑が実施された。
 この7名は、モーリタニア在住レバノン人を殺害した容疑の3名のナイジェリア人、他にギニア人2名、ガンビア人1名、口論の末相手を殺害したモーリタニア人若者1名。

モーリタニア難民をめぐって口論

2010年6月21日 PANA.
 国会で、難民問題に関する野党からの質問に対し、内務・地方分権大臣、モハメッド・ウルド・ボワリが、6月21日、セネガルに在留するモーリタニア人難民は19,048人のうち、2008年8月6日以降15,000人がモーリタニアに帰還したと発表した。この難民はセネガル川域の4州、117か所に分散して生活している。
 モーリタニア政府とセネガル政府、国連難民高等弁務事務所(UNHCR)との間で交わされたモーリタニア人難民について協定に従い、難民らは居住用土地、身分証明書、家畜、畑用土地と農業に必要な支援を受けていると、同氏は続けた。
 さらに、「現在セネガルに在留のモーリタニア難民のうち、2,484人がモーリタニアへの帰還を希望しており、政府は帰還に向けて今後対策を講じる」と述べた。
 
 一方、FLAM(モーリタニアのアフリカン解放隊)は、2010年1月以降、セネガルに難民は5,000人も在留中だと反論した。
 

◆肝炎患者が50万人

2010年6月21日 PANA.
 ウィルス性病気の撲滅協会が、ウィルス性肝炎の撲滅の日を機会に、モーリタニアの肝炎患者は約50万人に上ると推測される旨発表した。
 全人口300万人弱のこの国で、6人に1人が肝炎にかかっていることになる。年間3,500人が肝炎が原因で死亡している。
 厚生大臣は、今後5月19日をB型肝炎の日と定め、病気に対する知識の啓もう、予防を呼びかけると発表した。

モロッコで拘留されていた元大統領の息子の釈放を要求

2010年6月19日 PANA.
 元モーリタニア大統領のモハメッド・フーナ・ウルド・ハイダラ(1980〜1984)の息子、シデモハメッドがモロッコで、麻薬保持の罪で7年間の刑を言い渡され拘留されていた。
 ハイダラ大統領は、6月18日、人道的理由で息子の釈放を求める文章を発表した。
 同氏は、息子が「刑務所の官吏から乱暴・拷問を受けている」と述べている。そして、モーリタニアとモロッコ王国との友好関係に言及し、拘留人をヌアクショットに引き渡すよう求めた。

◆失業率 32%

2010年6月15日 Xinhua .
 2009年度におけるモーリタニアの失業率が32%に達っしていたと、国会で、野党議員ヤグーブ・ウルド・モワンが指摘した。
 モーリタニアの全国民約300万人のうち、414,648人が無職ということになる。1977年の失業率は9,7%だったことも挙げている。現在の有職者91,3万人のうち85%、約77万人が社会保障も失業保険もない、いわゆる雇用契約のない手間仕事をしている。

中国が水産工場の建設とソーラー電源供給の協定

2010年6月9日 PANA
 経済開発大臣、シディ・ウルド・タヤは、中国企業Poly Hondon/Pelagic Fishery社長のLan Pingyong氏と会談、漁業・水産分野における協定に調印した。
 同協定には、中国企業がモーリタニアに水産加工工場(1億US$)の建設、及び、電源供給の為のソーラー電源野供給設備を24コミューンに設置(金額は未定)すると盛り込まれている。

 また中国は医療支援の協定も別途6月8日、厚生大臣と在モーリタニア大使の間で調印している。医療関係の人材派遣、医薬品や医薬消耗品の支援を行うもので、協定は2年間を期限とし、更新もあり得る。
 現在、中国から27名の医療関係者がヌアクショット、キッファ、セリバビの病院とサニタリー・リサーチセンターで医療にあたっている。

◆農民の59,3%が貧困

2010年6月10日 APA
 モーリタニア農村開発大臣ンブレック・エルモクタールが、国内の農村部における貧困層が近年拡大し、59,3%にのぼっていると発表した。
 モーリタニアでは農業に従事している者は60%、それに対しBIPの農業の占める割合は19%、国内で消費する穀類の30%しか自給できない。農業の戦略的対策が欠如しているのが原因で、政府は2010年〜2011年度の農村貧困対策プロジェクトを計画中で、その費用を316万ユーロと見込んでいると表明した。
 一方、ルキズ(トラルザ州)周辺2,400ヘクタールの開発を2,300万US$をかけて行うプロジェクトが近くスタートする予定。

◆ヌアクショット中央刑務所で、トンネルを掘って脱走計画

2010年6月10日 APA
 ヌアクショット中央刑務所で、アルカイダ系イスラミスト・グループの一味が脱走するためのトンネルを掘っていたものが見つかった。このトンネルは、6月9日、刑務所の警備担当者が見つけた。同刑務所には70名あまりのサラフィストが裁判を待って拘留されている。

 このうち、3名が去る5月25日にフランス人旅行者殺しのかどで死刑の判決を受けた。
 
ヌアクショットにはこの中央刑務所の他、郊外にDar Naim刑務所もあるが、昨年脱走をしようとした者がいて、サラフィストはすべて中央刑務所に移送された。

◆モーリタニアのエイズ感染者3,055人

2010年6月10日 Xinhua
 ヌアクショットのエイズ通院治療センター所長、アブデラハマン・ウルド・モハメドゥンがモーリタニアの現状について言及、感染者は増加しており国内で感染者の認定されたのは現在3,055名。そのうち約半分が通院治療を受けているという。
 同氏によれば、2004年末には30名だけだった。さらに、2004年、女性の感染者が36%だったのに対し、現在で49,8%と女性が増えているという。
 モーリタニアで最初のエイズ患者が見つかったのは1987年。以降、アメリカやフランスの支援を受けてさまざまエイズ対策が講じられている。

◆小学校の給食にアルジェリアが支援

2010年6月9日 PANA .
 アルジェリアは世界食糧プログラム(PAM)のオフィスに小学校給食用に、2,500トンの米、価格にして210万US$を寄付した。
 この米は2010年年度(2010年10月〜2011年5月)の1学期3か月分の給食に供給され、その裨益人数は20万人。

◆スペイン外務大臣が突然の訪問

2010年6月6日 APF .
 スペインのモラティノス外務大臣が、6月6日、突然ヌアクショットを訪れた。モーリタニアのアブデラジズ大統領があわてて対応、数時間の訪問だった。

 スペイン外務大臣は訪問目的についてのプレス関係からの質問に一切答えず、数時間後にヌアクショットを出発した。

 同大臣の突然の来モは、去る12月からマリ国境のアルカイダ系イスラミストグループに人質になっているスペイン人の解放に向けてであろうと推測されている。モーリタニアでは同グループから、ヌアクショット刑務所に拘留中のイスラミストとの交換条件を付きつけられていた。
 
 

◆地方に水道局を設置

2010年6月6日 PANA .
 モーリタニア政府は、地方水道局(Office national des services d'eau en milieu rural)を設置すると決定した。農村部および地方都市の飲料水の供給するためのインフラストラクチャー・プロジェクトを立ち上げる。

BADが500万US$融資

2010年6月5日 Les Afriques
 セネガル川からヌアクショットに飲料水をひくアフトー・エッサッリ・プロジェクトに対し、アフリカン開発銀行BADが540万US$を融資することになった。同プロジェクトはアラブ経済開発基金、クエイト基金その他いくつかの融資を受けて、これまでに既に5億US$を費やしている。

◆パレスチナに向かう船にモーリタニア人が2人

2010年5月31日 .
 パレスチナ支援の物資を積んだ船が、イスラエルの襲撃を受けた。10数名の死者を出したが、その船にモーリタニア人が2人乗船していた。 Tawassoul党副代表、モハメッド・グーラム・ウルド・ハッジシェイク と、在中国アル・ジェジーラ特派員モハメッドヴァル・ウルド・ブーフサの2名。
2名の消息は現在不明。

その後 : 6月2日

 ガザに向かった国際支援物資を搭載した船がイスラエルの襲撃を受け、イスラエルに拘留されていた事件で、イスラエルは250名全員を国外退去させることにした。
 ヨルダンのPetra紙によれば、アラブ人が主なグループ126名がヨルダンに向けて出港したと報じている。内訳は、ヨルダン人30名他、バーレーン、クウェイト、モロッコ、シリア、アルジェリア、オーマン、イエメン、モーリタニア、インドネシア、パキスタン、マレイシア、アゼルバイジャンの人々がこの船に乗っているという。
 
 一方、トルコ人60名あまりが、テルアビブに向けて飛行機で出発する予定。残り70名あまりのトルコ人はBeersheva(イスラエル南部)刑務所から空港に向かって移動中だとラジオが報じていた。

 6隻の小型船隊に乗っていた42カ国682名(うち、一番大きいトルコのフェリーボート、Mavi Marmaraには600人あまりが乗船)は、5月31日夜、イスラエルのAshdod港で襲撃を受け、45名が国外に退去させられた。残りの乗員も48時間以内に国外退去するとNetanyahu首相が決定。「乗船していた外国人はすべて、6月1日夜以降、国外に退去させられることになる」と政府報道官が発表した。
 関係国のほとんどが、即刻帰国を要請した。しかし、ケガをした48名はイスラエルの病院に入院中とラジオが報道、同時にケガをした6名のイスラエル人も入院しているという。

 

インドが農村の水利プロジェクトに融資

2010年5月26日 PANA
 インド輸出入銀行がモーリタニアの水利・農業用水プロジェクトに向けk、2,300万US$を貸付することになりそうだ。貸付はモーリタニア政府に対して行われ、そのうちの680万US$が農村の水利プロジェクトの資機材購入費と掘削機購入に向けられる。また、1,500万US$が家畜のミルクと食糧、及び、同国東部の2州への屠殺場建設費に充てられる。
 

リビアが電話に投資

2010年5月23日 PANA
 リビアのトリポリで、2カ国間協議が行われ、リビアがモーリタニアの携帯電話・固定電話に投資を希望しているとの意向を表明した。リビアは電話の他、漁業、鉄鋼石、ヌアクショットのホテル建設をはじめとするツーリズムにも投資の意欲を示しているという。

 さらに同協議会では、リビアからの貸付に対する利子を帳消しにし、契約を新たにし直すとの申し出があったと、モーリタニア中央銀行総裁が語る。 リビアからのこれまでの貸付金は約2億US$にのぼり、その50%にあたる利子は約5億US$と見られる。

 また、病院、Al-Feteh大学の二つの建築プロジェクトに向け、向こう2年間で5,000万US$の支援を約束した。

◆2007年12月のフランス人旅行者を殺した犯人の裁判

2010年5月13日 .Le Parisien紙
 2007年12月24日に、ヌアクショットの南東、希望街道の途中の第都市アレグ近くで、フランス人旅行者が襲われ、5人のうち4人が殺された。その犯人3人はその後、ギニア・ビサウに逃亡し、うち2名はフランス情報局の協力を得て、ギニア・ビサウ警察が翌2009年1月に逮捕した。そして、3人目の犯人も直後、ヌアクショット内で尋問を受けつかまった。

 ヌアクショット犯罪裁判所で、犯人の一人シディ・ウルド・シドナ (Sidi ould Sidna)は、「自分はアルカイダの兵士である。自分はアルカイダのキャンプで訓練を受けたこともある。まちがいなく自分はアルカイダのひとりだ」と表明した。
 
 シディ及びモハメッド・ウルド・シャバルヌー (Mohamed ould Chabarnou), マールーフ・ウルド・ハイバ(Maarouf ould Haiba) の3人は、アルカイダに属し、その兵士であることを認めたと、AFPは発表している。アルカイダの訓練を受けたことを表明しているが、そのキャンプの場所は明していない。

 [自分はフランス人殺人を犯していない。もし、殺していたらそれはすごく名誉なことだ」とハイバが語る。ハイバとシャバルヌーの二人のミッションはジハードだったと続けた。一方、シドナは自分は、イスラムと、イスラム法シャーリアの勝利を確信する兵士であると表明した。
 

その後 : 5月27日(Xinhua)
 モーリタニアの法務局は、5月25日、3人の犯人を死刑に決めた。ハイバ(28才)、シドナ(22才)、シャバルヌー(29才)らは「自分たちはアルカイダ系グループに属しており、フランスやアメリカと聖戦をミッションとしている」と表明したが、フランス人殺人に関しては否定していた。モーリタニアでは9人のアルカイダグループ容疑者が逮捕され、そのうち2人はそれぞれ3年、6か月の刑、残りの7人は釈放されていた。

 モーリタニアでは死刑判決は実在しているが、1987年以降実施されていない。

 この3人の属するアルカイダ・グループが行ったと言われるフランス人殺害事件はモーリタニア、特に観光に莫大な損害をもたらした。この事件がきっかけとなり、ダカール・ラリーが中止になり、さらには、モーリタニアへの旅行は”しないように”との通達が欧米諸国で出され、在モーリタニア外国人に対しても深刻な影響を与えた。

 そして、この殺人事件により、国土80%以上が砂漠であるモーリタニアの国境が警備が不十分で、テログループや麻薬密輸グループなどが行き来していることを世に知らしめることになってしまった。実際、広大な砂漠を管理するのは非常に難しい。モーリタニアの砂漠はこのため、数年前からアルジェリア人ジハーディストの基地とり、モーリタニアの仕事のない若者が、集団でこのグループに参加し、アルジェリアやその他の国で戦う訓練を受けるようになっていた。

◆暑さで7名死亡

2010年5月18日 .Xinjua
 モーリタニア最南端の州、ギディマカ州で、この5月15,16,17日の猛烈な暑さにより7名の死亡者が出た。モーリタニアではこの時期は雨期にあたり、湿気が多い上、日陰で50℃を超える暑さが続いた。死亡したのは70歳から98歳の高齢者だった。

携帯電話料金、アラブ諸国でモロッコが一番高く、モーリタニアは2番目

2010年5月17日 APA
 ヨルダンのコンサルティング会社、アラブ・アドバイザー・グループの調査によれば、アラブ諸国19カ国でプリペイド、後払いの電話料金を調査したところ、最も安かったのはエジプト、そして、最も高いのがモロッコだという。1分間の後払い通話料を比較したところ、モロッコがトップ、ついで高いのがモーリタニア。一方、プリペイド料金でもモロッコがトップ、次がレバノン。
 そして、19カ国のうち、12カ国が電話税をかけており、それに対してもモロッコが最も高く、ついで、ヨルダン、チュニジアの順。

ブラジル最大の鉄鋼企業がモーリタニアへ投資

2010年5月17日 APA
 ブラジル最大の鉄鋼企業が、モーリタニアの鉄鋼、リン酸石灰、銅の開発に向けて投資の意欲を示している。
 ブラジルのVALE社の代表団が、モーリタニアのモハメッド・アブダラヒ・ウルド・ウーダー鉱業大臣と会談し、その意向を表明した。同社アフリカ事業開発ディレクターのPaul Nataki氏を長とするVALE社代表団は、鉱業大臣との会談で、とりわけ鉱業方面への投資を希望していると伝えた。VALE社は世界2番目の鉄鋼企業と評価されている。

大型漁船の漁獲、2ヶ月間禁止

2010年5月15日 
 漁場保護の為、モーリタニアは、モーリタニア海域での大型漁船の漁獲を5月、6月の2ヶ月間ストップすると発表した。
 禁止の対象になる漁船は300隻で、そのうち半分以上がヨーロッパからの大型漁船で、海域を底から一網に漁獲している。モーリタニアは、ロブスター、タコ、アンチョビーなどで知られ、2008年にEUと漁業契約を更新した。次の、漁業禁止時期は9,10月。
◆テロリスト3人が逮捕

2010年5月14日 .PANA-Nouakchott
 モーリタニア警察は、5月12日から13日にかけての夜、ヌアクショットに潜んでいた3人のテロ活動家容疑者を逮捕したと発表した。3人が潜んでいたヌアクショット市内の下町の民家を、警察が包囲し、逮捕したもの。3人の身元は確定していない。

◆マラリア対策にイスラム開発銀行が310万US$

2010年5月13日 .PANA-Nouakchott
 イスラム開発銀行(IsBD)は、モーリタニアのマラリア対策に対し、310万US$を貸付に合意したと発表した。
 モーリタニアで死亡率トップを占めるマラリア病に対し、モーリタニアは根絶プロジェクトを実施する。

セネガル船籍への漁業許可を縮小したいモーリタニア

2010年5月12日 APA
 モーリタニアとセネガルが2001年に交わした、モーリタニア海域の漁業権をめぐり、ヌアクショットで両国の委員会が5月11日協議会を開いた。モーリタニアはセネガル船籍に与えている許可証を減らしたいとの意向を示している。

 現在、モーリタニアは同国海域で漁業をするセネガル深海漁業船300隻と、マグロ漁船10隻に対し、15%の水揚げ量という条件で許可している。モーリタニア側は、同じ条件で、セネガル海域の漁業権を受けているのはモーリタニア工船5隻と、セネガル船籍に乗るモーリタニア漁師のみ。

 また、モーリタニア海域で漁獲し、セネガルに向けて陸路で漁獲物を輸送しているセネガル小型漁船すべてを漁業活動を止めさせる件についても協議した。
 両国の委員間は、セネガル船籍のモーリタニア海域でのマグロ漁獲について、毎年協議を行っている。

2009年、鉄鉱石の輸出は中国がトップ

2010年5月11日 PANA
 2009年度、SNIMが輸出した鉄鉱石の最大の貿易国は中国と、SNIMが発表した。同社の2009年度の鉄鉱石の生産量は、10,300万t(2008年度より5,5%減少)だった。そのうち59%が中国に向けて輸出された。EUが420万tで2位。

◆カメが200匹も打ち上げられた

2010年5月10日 .PANA-Nouakchott
 5月8,9日の週末、ヌアクショットから北へ100kmあまり、バン・ダルゲン国立公園南端のナムガーで、200匹あまりのカメが打ち上げられていたと海上保安対が報じた。
 原因究明にあたり、モーリタニア海洋・漁業研究所IMROPから調査員が派遣された。 モーリタニアでは年々カメの生息数が減っており、今回打ち上げられたカメは絶滅の危機にひんしている種だという。
 

◆スペインがモーリタニア密入国者を阻止する対策に協力

2010年5月9日 .PANA-Nouakchott
 モーリタニア警察は、船でスペインに密入国するモーリタニア人を縮小する対策を講じてきたが、この度、スペイン政府より、その強化の為に資材を寄贈することになった。
 支援物資は海岸線の巡回用車両、夜間でも使用可能な双眼鏡、サーモグラフィック・カメラなど。
 モーリタニアとスペインは、ヨーロッパに向けて密入国する移民の縮小に向けて、様々な協定を結んでいる。

ヌアディブの新しい港湾建設工事が開始

2010年4月30日 Jeune Afrique
 去る4月18日、ヌアディブの新しい港の建築工事が始まった。1億3,700万ユーロをかける工事で、その57%がドイツとフランスの銀行の融資によるもの。ズエラットで産出する鉄鉱石を輸出する船舶用の港で、これまでの港は1963年に作られたもので、老朽化し、大型船舶が停泊できなかったが、新港は25万トンの船舶の停泊が可能になる。工事を請け負ったのは、中国のSino Hydro社とドイツのTakraf社。

中国が200kmの舗装道路を建設

2010年4月10日 Xinhua
 中国の企業COVECがモーリタニア南部のアフトゥ地域に200kmの道路を建設する。在モーリタニア中国大使の出席する中、モーリタニア通産大臣ブブーとCOVECのディレクターLi Ziting の間で契約が交わされた。
 プロジェクトは南部のセネガル川の三角州にあたる地域で、雨が降るとアクセスが困難になる極貧の人々が済む地域の道路を舗装化するもので、8,000万US$あまりの建設費を見込んでいる。
 双方とも、開始の日程は明らかにしていない。COVECはヌアクショット大学のキャンパス整備を請け負っており、8月から工事を開始することになっている。 

◆モーリタニアがヨーロッパと海底ケーブルでコネクション

2010年4月8日 .APA-Nouakchott
 モーリタニアは4月7日より、光ファイバーでヨーロッパと結ぶ海底ケーブルのコネクションができるようになったとニューテクノロジー&職業訓練省が発表した。光ファイバーでの通信が可能になったアドバンテージは大きく、IT情報の速度が大きく改善され、しかも安い料金で通信できるようになる。

 アフリカでは、既に15カ国あまりが海底ケーブルによる光ファイバーを利用している。
 

アルジェでテロ対策集会

2010年3月29日 PANA.
 去る3月16日、サヘル諸国の代表ががアルジェリアの首都アルジェのシェラトンホテルに会合し、「テロ対策集会」が行われた。参加したのはアルジェリア、ブルキナファソ、リビア、マリ、モーリタニア、ニジェール、チャドの7カ国の代表者で、9時間にわたる対策会議が行われた。主催国アルジェリア代表は、集合した国の中で緊張関係にあることを指摘した。マリ国内でAQMIグループに隔離されているフランス人他4名の誘拐者解放に向けてのマリ政府の対応に対して、アルジェリアとモーリタニアは不服、それ以降ぎくしゃくしていた。アルジェリア代表のアブデルカデル・メッサヘルは、「地理の概論書を読んでみたが、モロッコがサヘルの国々と国境を隔てているという内容はどこにも見当たらなかった。」と皮肉をこめて表明。

 AQMIに誘拐者をとらわれたままのスペインとイタリアは今回の会合の結果に大きな期待を寄せていた。フランスは、アルジェリアのイニシアティブを支持。また、フランスとアメリカは対テロ対策の内容に対し、西欧諸国とのタイアップやアルジェリアがリーダーとなるなどの点について果たして実現できるかどうか疑問視している。

 こうした空気の中1時間遅れで会議が始まった。
会議開催の朝、到着したばかりのリビア代表はアブデラジズ・ブーテフリカ大統領の出迎えを受けたにもかかわらず、48時間以上も前からアルジェー入りしているモーリタニア代表のNaha mint Hamdi ould Mouknass外務大臣は、同様の扱いを受けていない。ブルキナファソは大臣が不在で、急遽コラボレーターが参加したが、会議には発言なし。マリの代表モクター・ワンヌは「アルジェリアとマリとの関係は、簡単にゆらぐようなか細いものではない」とのアルジェリア首相の言葉に嬉しさを隠せない様子。そして、在マリのアルジェリア大使が再着任することについて尋ねると、「近々発表」というアルジェリア外交筋が答えていた。

 対テロの特効体制を設置するようになるまで、まずは4月初旬に、アルジェで参加7カ国の内務大臣が集合し、軍部とタイアップして国境をまたいでの強化措置を敷くことができるよう協議すると決定した。参加国のなかで裕福なアルジェリアとリビアはこの対策に向けての資金面で他の国より多額の資金供与を約束した。

 アルジェリアはサハラ縦断道路(アルジェ〜ラゴス)がほぼ出来上がった。全長4,600kmのうち、ニジェールの200kmあまりを残すところとなった。

国際通貨基金が1億1,800万ドルの貸し付け

2010年3月16日 Europe1fr
 IMF国際通貨基金はモーリタニアに1億1,800万USドルの3年短期貸付に合意したと3月15日発表した。去る12月に期限が終了した240万USドルの3年間短期貸付に代わるもので、金融危機の立て直しを目的とする。
 「世界金融危機の影響を受け、モーリタニアの経済成長と財政状況が衰弱し、国内の政治的危機が悪化、かなり多くの国際支援が無くなった。その上、石油の産出量が落ち込んだ」とIMFは説明する。

◆2009年度の交通事故による死亡者が221名

2010年3月12日 PANA.
 2009年度の交通事故は2028件、そのうち221名が死亡したと、モーリタニア最大の保険会社が発表した。数字は、地方警察及び首都警察道路安全部が作成した報告に基づく。
 急激な車の増加と経済発展に伴い、交通事故は急増しており、政府は道路交通安全局による取り締まりを強化すると発表した。

◆燃料の高騰

2010年3月6日 PANA.
 ヌアクショットの数か所のガソリンスタンドでチェックしたところ、モーリタニアでガソリンと軽油の価格が高騰しているとPANAが発表した。 軽油1リットルの価格が237,7ウギアから242,1ウギア、ガソリンが285,7ウギアから293.7ウギア (1ウギア=約\0,37)。
 この燃料価格高騰の理由について、政府は原因を発表していない。

◆モーリタニア軍にフランスが専門家を派遣

2010年3月3日 PANA.
 フランスのクリスティンヌ・ファッジ外務副大臣が発表したところによれば、モーリタニア軍がアルジェリアやマリ国境の兵器・麻薬密輸の警備強化に向けて、フランスからの専門家を招くという。同氏は、サヘル地域における密輸に対するモーリタニア政府の積極的な政策であると評価する。

モロッコのコーンソーシアムがモーリタニアのBNP PARIBAを買収

2010年3月3日 PANA
 モロッコのAttijariwafa Bank とBanque populaire du Marocのコンソーシアムが、モーリタニアBNP PARIBAS銀行の株60%を購入した。
3月1日にモロッコのカサブランカで、ホールディングを通して契約を交わしたとモーリタニアBNP PARIBASが発表した。
この契約はホールディングの67%をAttijariwafa Bankが、 33%をBanque populaire du Marocが持つというもの。
 一方、この売買の理由についてモーリタニアBNP PARIBASは明らかにしていない。モーリタニアBNP PARIBASは2007年にヌアクショットにオープン、資本金の60%をBNP PARISBAS、20%をProparco、残りの20%をDEG20が出資した。2009年度のトータル・バランスシートは5,850ユーロで、クレジットと預金額でモーリタニア国内の4〜9%になると推定される。

 Attijariwafa Bankは、北アフリカ、西アフリカ、中央アフリカでトップファイナンシャルグループになった。2009年度のトータルバランスシートはは2兆9,040億ディルハムに達し、国内の25から45%を占めると見られる。 Attijariwafa Bankは420万人の顧客を持ち、22カ国で1,806店舗を持ち、モロッコ国内及び海外にに11,000のコラボレイターを持つ。。

 一方、Banque populaire du Marocは850店舗網、1200のマイクロクレジット網を持っている銀行。

◆BEIがSNIMへ12,500万ユーロの融資

2010年3月3日 PANA
 ヨーロッパ投資銀行 (Banque europeenne d'Investissement) と SNIMが30年の12,500万ユーロの借款契約を結んだ。 : この融資はズエラットのン・ハウダ鉱区の開発調査と実施、TO14溝の2本の掘削及びオプティマイゼーション、ゲルブの鉱石濃縮工場の建設、輸送貨物列車用の線路の延長及び修復、輸送用港湾建設、通信網の整備、鉱業機械のリニューアル、発電所の設置などを目的とする。
 
 ヨーロッパ投資銀行はこのほか既にSNIMの4プロジェクトばかりでなく、民間銀行へも融資している。

◆9,5トンの麻薬を没収

2010年2月31日 .APA-Nouakchott
 検察局ガヌアクショットから北部45kmのところで、没収した9,5トンのインディアン大麻を償却したとの情報をAPAがキャッチした。
 同麻薬は、去る2月26日、マリとの国境傍で、モーリタニア軍と輸送グループ(数台のオフロード車に乗った20人あまり)とが交戦した際に没収したもの。輸送グループのメンバーは、3名死亡、18名が逮捕されたとモーリタニア軍は発表している。

 モーリタニア国内で引き渡しされた麻薬が国外で取引されていることについて、野党が対処を強く求めている。9,5トンの大麻は時価95億ウギア(=約36億円)。

◆2009年度の鉱業収入は1億7,300万US$

2010年2月30日 APA-Nouakchott
 鉱業大臣、モハメッド・アブダラヒ・ウルド・ウッダは、2009年に鉱業省が国に納めた鉱業収益が470億ウギア(=約179億円)にのぼったと発表した。一方、昨夜テレビの「政府が語る」番組のゲストとして出演した同大臣は、2009年度新規の鉱業関連プロジェクトにより、新たな1,118人の雇用を生んだと言明した。

 2008年8月6日のクーデターで鉱業大臣職に着いたウッダは、鉱業ポリスを初めて設置し、鉱業セクターのコントロールを引き締める対策を打ち出していた。
 2009年度は、二つの銅と金の採掘業者とモーリタニア政府との間で契約の見直しが行われた。同案件に関して海外からの従事者は2012年度以降、全体の3%以下とい条文が盛り込まれた。

 同大臣は、近い将来、鉱業エンジニア及び鉱物専門家育成の学校、SNIMに鉱業関連の各分野の専門家育成センターを設立すると発表した。

 鉱業省の発表によれば、ヌアクショットから北部300km(アクジュースト傍)のタズィアストTaziast周辺の金の埋蔵量はアフリカで最大と見積もられているという。

◆フランスが65万ユーロ支援

2010年2月29日 APA-Nouakchott
 フランスは世界食糧プログラム(PAM)の一環として、モーリタニアに65万ユーロの支援をするとヌアクショットのPAM代表団のコミュニケで発表した。同支援金は、モーリタニア国内の栄養不良小児に向けられる。「数ヶ月前から続く財政悪化により、極度の栄養不良の小児が増加している。支援金は、農閑期の最も収入の落ち込み、食糧を購入するのが困難な時期に、最も生活苦の家庭に向けられる。同支援金により約15,000人が6カ月の裨益が想定されており、300の栄養支援センターCRENから特に栄養状態の悪い小児に食料が支援される。
 PAM代表団のギィ・ゴウヴローは、「このタイプの支援はまさに必要とされているもので、栄養不良児の改善に大きく寄与できるものと思う」と述べている。
 

◆麻薬密輸団が逮捕

2010年2月27日 .APA-Nouakchott
 モーリタニアとアルジェリア、マリが交わるあたりのシェッガ(Chegga)で、大がかりな麻薬取締が行われ、麻薬密輸団の一味とモーリタニア軍部が交戦し、密輸団の一味のうち3人が死亡、18人が逮捕された。

 一味はオフロード車5台とトラック1台で、大量の麻薬を輸送しているところで、アルジェリア人、マリ人、モーリタニア人で構成され、AQMIと関連があるとみられる。
 モーリタニア軍がこのような大掛かりな一味を国内で捕まえるのは初めて。この周辺は、2,3年ほど前から、密輸団の麻薬や武器の引き渡しが行われているとして、サヘル諸国が注意を促していた場所で、数カ国で協力しあってテトリストを一掃する対策が論じられている。

◆大使の移動 :パリ領事館が廃止、タヤ政権の象徴的体制に逆戻りか。

2010年2月22日 .
 大々的な大使の交代について、昨日ヌアクショットで発表になった。

 − Sidi Mohamed ould Boubacr, 元首相、前在スペイン大使が今度エジプト大使に。
 − Cheikh El Avia ould Mohamed Khouna, Taya大統領時代の首相、前在モロッコ大使、次は在チュニジア大使に。
 − パリの領事館が廃止。Diagana Moussa, Taya大統領時代の事務次官、前在フランス領事、次は在ドイツ大使に。
 − Engham Yahiya, 前在ガンビア大使、次は在日大使に。
 − Mohamed ould Tolba, Taya大統領時代の事務次官、前在エジプト大使、次は在モロッコ大使に。
 − Mohamed Ahamed ould Mohamed LMemine, 元内務大臣、新設の在トルコ大使に赴任する。
 ー Mohamed Lemine ould Haicen, 弁護士、次はUSA大使に。
そして、在日大使の
 −Mohamed ould Jaffar氏も、日本を離れ本国のSNPC総裁に移動が確定した。


◆インドが2,180万US$の融資に調印

2010年2月11日 APA-Nouakchott
 インドがモーリタニアに2,180万US$の融資を承認したと、モーリタニア情報局が発表した。同資金はモーリタニア南部のマリ国境周辺の水利・農業開発プロジェクトに向けられるもので、2月9日ニューデリーでモーリタニアの経済開発大臣、シディ・ウルド・ターと、インドの輸出入銀行頭取、Prabhakar Dalalとの間で、調印された。

 モーリタニアでは、海外からの投資を促進する為の専用窓口を設置したので、このところヨーロッパ、中近東やアジア、イラン、トルコなどからの専門家が投資を目的にヌアクショットに滞在している。

◆電話・インターネット回線の改善

2010年1月11日 APA-Nouakchott.
 モーリタニア情報局は、国内の電話・インターネット回線の整備を強化すると閣議で決定したと発表した。
 アブデラジズ大統領が電話・インターネットの回線を整備、国際的通話を潤沢にし、通信サービスの向上を図るよう、指示を出したという。
国内で、テレコミュニケーションと情報テクノロジーに関する法律が施行されて10年になり、実態とそぐわないとの批判があった。電話が常時つながらない、ファクスやインターネットが遅いといった様々な不備が生じており、モーリタニアの情報発展の妨げになっていると指摘した。

 モーリタニアでは現在3つの電話会社が携帯電話やインターネットを中心に営業している。最大のモウリテルMauritelはモロッコのEtissalet社が51%の資本を有する会社、マーテルMattelはチュニジアの通信会社とモーリタニア個人企業との合弁会社、そして、シンギッテルChiguitelはスーダンのSoudatelとモーリタニアの実業家との合弁会社。

 国内では、失業者数千人が、テレフォンチャージ用カードや、携帯電話、アクセサリーなどの路上販売などに携わっている。

 また、国民の大半が貧しいにもかかわらず、多くのモーリタニア人が携帯電話を所有し、中には一人で3〜4つの電話番号を持っている者もいる。

◆ヌアクショットで渇水

2009年12月23日 NKC Info.
 ヌアクショットでは、2/3の地域が水道がなく、そうした一般家庭ではロバにドラム缶を積んで売り歩く業者から水を買う。国営水道局から何らかの利権を得て共同貯水槽を持っている者がいて、ロバで水を売る業者はこの共同貯水槽から安価で水を買う。

 一方、企業や工場など向けに大量に水を輸送する業者もいる。こちらは大型共同貯水槽で、電動で水をタンクローリーに積み込む。配給業者は勝った水を、ホテルや企業、郊外や遠方の住人らに数トン単位で水を売っているのである。

 今、このヌアクショットの貯水槽が枯渇し深刻な問題となっている。夏の暑い時期水の消費量が増え、配水量が間に合わない。ヌアクショットの水不足問題は夏の風物詩のようなものだ。一方、冬のこの時期、特に12月は、涼しいので飲料水の需要が落ち、飲料水が足りなくなることはあまりなかった。

 多くの共同貯水槽の前で、色の水タンクをかかえた住民が列をなしている情景が見られる。中には夜中に水を汲みにくる者もいるという。また、地方からの流入者が多い貧民層街のアラファット区や5区、6区、エルミナ区で、貴重な水をめぐって日中水の奪い合いの騒ぎが起きているほどだ。

 タンクローリーで水を売っているドライバーのシディは、水の出が悪くタンクローリーが一杯になるのに長時間かかり、その為、タンクローリーの長い行列ができて待つ時間ばかりかかるとこぼす。
「今の時期、水不足なんて考えられない。まいってしまうよ」と語る。
 


 水売りの業者。水が枯渇して売る水がなく、商売にならないと嘆く。
 共同貯水槽のオーナーの一人、シッダハメッドはこの水不足が理解できないと語る。一方、モーリタニアの水を管理している国営水道局SNDEは理由について口を閉ざしたまま。
 なぜ水不足なのかわからないし、また説明もないことに戸惑う住民。12月に水不足では、夏になったらどんなことになるのか、不安はつのるばかりだ。  (Harouna Cisse)

◆スーダン大統領がモーリタニアを訪問

2009年12月23日 AMI/RFI
 スーダンのオマール・ハッセンヌ・エルバッシール大統領が12月21日、モ-リタニアの3大携帯電話会社のシンギッテルを訪問した。シンギッテルはスーダン資本の携帯電話会社で、大統領は、経済相や投資促進コミッショナーなど使節団と共にシンギッテル本社を訪れ、現地の責任者らから歓迎を受けた。

 大統領一行は21日到着し3日間の滞在。スーダンの大統領がモーリタニアを訪問するのは初めて。モーリタニアのアブデラジズ大統領は、他の大臣や官僚らと共にスーダン大統領を迎えたが、西欧およびアメリカの大使らは歓迎式を欠席した。西欧諸国は、スーダン大統領が国際裁判で逮捕状が出ているにもかかわらず、自由に国外に出られ、公式訪問をすることに不本意であることを表明していた。大統領の訪問の主要目的は、両国間の政治・経済協力を強化し、ヌアクショットとカットゥームの絆を深めることで、その為の合同委員会を12月20日発足させた。
 

◆鉱業セクターがモーリタニアBIPの12%

2009年12月21日 PANA
 モーリタニアで最も重要なセクター、鉱業の収入が国のBIPの12%になるとITIE(抽出工業のトランスペアランス・イニシアティブ)が発表した。
「我が国の鉱石・レアメタルなどの地質的ソースの埋蔵可能性については、より一層の国家対策と希望企業とのタイアップが必要。モーリタニア政府は鉱業の開発を最優先事項とし、法律の改正を進めると、イブラヒマ・ワンヌ (Ibrahima Wane) 鉱業部長が述べた。

◆モーリタニアで深刻な砂漠化

2009年12月20日 PANA.
 サヘル地帯と砂漠地帯が入り混じるモーリタニアで、地球温度変化による深刻な影響が懸念されると、環境専門家が発表した。
 1970年代、モーリタニアでは大干ばつが襲い、大量の家畜や動物が死に、乾燥化が進んだ。それ以降、断続的な干ばつは続いており、国内で恒常的な水不足が生じている。去る12月16日、コペンハーゲンで開かれた世界フォーラムで、モーリタニア代表は「ヌアクショットは砂丘の拡大、海水面の上昇による深刻な影響を受けている」と発表。ヌアクショットでは標高0以下の地区が水に浸り、家畜や農業の被害を受けている。
 国の内陸部でも砂漠化による被害が100万km2に及ぶと続けた。
 

◆中国が軍需資材を支援

2009年12月8日 AMI
 去る12月6日、ヌアクショットでモーリタニア国防大臣と中国大使の間で、モーリタニアの軍需資材100万ユーロ(約1億3,000万円)相当を支援する主旨の協定が交わされた。
 

◆パリ〜アタールのフライトが再開

2009年12月2日 NKC info.
 2007年暮れ、フランス人旅行者がモーリタニア南部で近隣国人の強盗に殺される事件があった。それ以降、フランス政府がフランス人旅行者へモ-リタニアへの入国を控えるよう、在モ仏人に外出の注意を呼びかけ、モーリタニアの安全警告を強化していた。観光客の大部分がフランス人を占めるモーリタニアでは、その為、観光客が激減し、関係業者らが減収・失業に苦しむ長い2年間が続いた。

 モーリタニアでは、2004年フランスのパリからアタールに直行便がフライトし、2007年にはシーズン中(10月から3月) 12、000人あまりまで旅行者が訪れるようになって、長い間の観光業推進への地元の努力が実り始めたかに見えた。それが、2008年には年間旅行者1,500人。2009年になっても旅行者は戻らず、10月のシーズンが始まっても閑古鳥が鳴いている始末。
 モーリタニアからの熱心な働きかけによって12月20日、ようやく、Le Point Afrique(ル・ポワン・アフリック)のパリ〜アタール間のフライトが再開されることになった。20日の再開最初のフライトで、98人の観光客がアタールに着いた。

◆誘拐されたスペイン人3人がマリへ移送された

2009年12月3日 PANA
 公式筋によると、29日にヌアクショットから北部170km地点で誘拐された、スペイン人ボランティア団体の3名が、誘拐者に連れられ、マリ北部の国境を越えたらしい。誘拐したグループはモーリタニアに入国していた外国人でAQMI(「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」系)グループに人質を売り渡したと見られている。AQMIの声明はないが、フランスの報道ではAQMIのホームページで発表されていると発表しているが、その信憑性はわかっていない。
また、スペインの外交筋はこの事件のコメントで、「モーリタニアにイスラミストの危険が間違いなく存在しているのを証明している」と、発表した。

 スペインでは様々な新聞で、同事件が取りざたされており、先にソマリア海賊に襲われたスペインのマグロ漁船の二の舞を踏まないよう、細心の注意を図って秘密裏のうちに、解放を達成すべきだと報道されている。ザッパテロ紙によれば、スペインでは外務省、国防省、内務省、CNI(諜報部)が合同で事件の解決に当たると書かれている。が、パブリコ紙は、政府が何も解放への手を打っていないと非難、そして、CNI諜報員がモーリタニア北部で誘拐犯人と接触を試みて失敗したと報じている。

 <モーリタニアの脆弱な警備力では国境を守るのはむずかしい>
 モーリタニアは12月1日に、全力を挙げて犯人を捕まえると大統領が宣言した。にもかかわらず、政府はモーリタニアの国境越えを阻止できなかった。モーリタニアのアルジェリア、マリとの国境は、数百kmにわたって車や人とめったにすれ違うことがないような砂漠が広がっている。ここを通さずに警備するなど、投入する人数・機材も相当な数が必要となって莫大な防衛費が必要になり、金銭的にも物質的にも不可能だろうと思えた。案の定、防ぎきれなかったようで、数日後に、マリのアルカイダ系イスラミスト・グループに売り渡されてしまったというニュースが報道される。

 動きはじめたばかりの新政権により、ようやく国際支援が再開され、これからテロ対策も強化しようという矢先の事件で、モーリタニアの警備力の無力さを露呈する事件となってしまったようだ。

 マリとアルジェリアとーリタニアが境とするこの無盲地帯では、麻薬、武器などの密輸が行われ、アルカイダのグループが訓練を行っている言われ、夏にはアルジェリアが音頭をとって、近隣国と共同警護を呼びかけている。遊牧民で、ぼーーっとしている田舎者のモーリタニア人は、交通網の発達によってどんどん国外からの人の行き来が盛んになり、「なんだってウチで誘拐だのテロだのってことになっちゃったのだろう??」という気分。

 12月26日現在、まだ解放されたというニュースは報道されていない。NGO団体員や国の再生にあたっている外国の兵隊を襲うなど卑劣としかいいようのない行為で、一日も早い解放を祈るばかりである。


 <その後> 
 12月29日、AQMIのウェブサイト”Al Arabiya"で、誘拐されたスペイン人3人と、11月末にマリで誘拐されたフランス人ピエール・カメット(Pierre Camette)、そして、12月18日にモーリタニア国境そばで誘拐されたイタリア人セルジオ・チカラとその夫人(ブルキナ・ファソ人)らが、マリとアルジェリア国境そばの一味の隠れ家に人質となっていることが発表された。
 そして、12月29日、一味は釈放の条件として700万US$とモーリタニアに拘留されているテロリスト仲間4人の釈放を求めた。

 スペイン新聞によれば、結局スペイン、イタリア、フランス政府はこの条件に応じなかった。
 2月になって一味は女性だけ(スペイン人一人とイタリア人の妻のブルキナファソ人)を解放することを発表。そして、2009年11月にヌアクショット-ヌアディブ間で誘拐されたスペイン人ボランティア3名のうちの一人、アリシア・ゴメス(Alicia Gomez)は3月10日に解放されて、自国スペインに帰国することができた。一方、イタリア人の妻のブルキナ・ファソ人女性は、体の悪い年おいた夫と別れるのを断り、いっしょに残った。

 2010年2月24日、テロリスト囚人4名の釈放を交換条件に、フランス人ピエール・カメットが解放された。
 
 2010年2月28日、テロリスト囚人4名の釈放を交換条件に、イタリア人、セルジオ・チカラ(65歳)とその妻ブルキナ・ファソ人のフィロメンヌ・カブーレ(39歳)の解放を発表。4月16日に二人を解放した。

 4月10日、スペイン人2名の人質解放に向け、テロリスト囚人の釈放と500万US$の身代金をマリ政府に要求した。

 2010年8月23日、ようやく人質となっていたスペイン人2名ロック・パスカル(50歳)、アルベルト・ヴィラルタ(45歳)が解放された。(関連記事上記 2010年8月12日 : 犯人の一人オマール・サハラウィが逮捕など) 

◆スペインのボランティアグループ3名が誘拐

2009年12月1日 PANA
 11月25日(木)から、26日(金)=Id Al-Adhaのイスラム教の休日、27日(土)の週末、そして49回目の独立記念日とモーリタニア版シルバーウィークが明けて、待ちうけていたのは、モーリタニア人だれもが信じられないようなニュース、スペイン人3名の誘拐のニュースだった。
 スペインからモロッコ、モーリタニア、セネガルを通過してガンビアに向かう支援団体バルセロナ・アッシオ・ソリダリア(約40名)の13台の車両がモーリタニア通過中、最後尾を走っていた4×4車の3名が何者かに襲われたのだ。一団はスペインのバルセロナを出発して2週間目、ヌアディブからヌアクショットに向かって走っている途中だった。
マドリッド対バルセロナのクラシコ・フットボール大会の終了2分後に誘拐

 目撃者の証言によれば、去る29日から30日にかけての夜、一団はヌアクショットに向かってコンボイを組んで走っていた。コンボイの車の中に時折、地元の車も入り混じって走っていたが、夜19時55分ごろ、最後尾を走っていた4×4車ランドルーヴァーを停止させる為、誘拐者の車から数発発砲する音がした。この車両に乗るロック氏が、所有しているFCバルセロナチームの試合の結果を情報収集するため、本国と連絡を取り合っていて遅れたため、離れて走行していたらしい。 団体代表ジョセフ・カルボネルが襲撃された車の一人から携帯電話で連絡を受け、引き返したところ、車はドアが開いたまま残され、乗っていた3人がいなくなっていた。

 誘拐された3名は、建築関係のGegoin社代表であり、支援団体の副会長ロック・パスカル(50歳)、スペイン地方環境大臣の息子でタバサ社代表のアルベルト・ヴィラルタ(45歳)、司法省公務員・同団体スタッフの女性アリシア・ガメス(37歳)。いずれも、今回への支援参加は数度目の参加になる。搭乗者のバックやお金、手荷物などはそのまま車に残されて、また車両に銃撃の跡はなく、周囲に銃弾の薬きょうが落ちていた。
 
 スペインの新聞El Paisによれば、一団は2週間ほど前にバルセロナを出発し、ガンビアに向かっているところで、約20トンのPCやミシンなどの支援資材を届けるところだった。誘拐した一味は、ヌアクショットから約170km、シェルハット・レグトゥタ(Chelkhett Legtouta)村そばの舗装道路上で3名を連れ去り、オフロードで砂漠の中へ逃げていった。
 
11月30日、モーリタニア外務大臣ナナ・ミント・ムーハネスはスペイン外務大臣に電話で、「早急に3名の居場所を突き止め、モーリタニアの国外に通じる道をすべて封鎖して逃避を阻止する」と連絡した。
 

ズエラット職業訓練所の設立にフランスが支援

2009年12月1日 APA
 フランス開発機関(AFD)が、ズエラット職業訓練センターの設置に向けて26億9,000万ウギア(約9億7,000万円)を支援するとことがAPA筋の確かな情報でわかった。
 この支援額は、同訓練センターの設立費総額の65.4%にあたり、残りはSNIM(モーリタニア鉱業国営会社)が負担する。建築される施設には、教室24、ミーティングルーム17、アトリエ11、語学ラボラトリーなどが予定されている。ここで、生徒は14か月の訓練を受け、年間155人の専門家が育成されることになる。

◆コカコーラが1億本達成

2009年11月25日 Citymag
 モーリタニアでは1日数万本の飲料が、コカコーラや他のメーカーのソフトドリンクが、国内の5,200の小売店に納品されている。そのコカコーラは、North Africa Bottling Compagnyの子会社 Sobama社で、1971年よりモーリタニア国内で製造している。社長ハマダ・ヤマア(Hamadi Yamaa)と取締役ドミニク・ドゥトゥイユ (Dominique Dauthuille)のもとに130人の従業員をかかえる、ヌアクショットでも最も古い製造工場だ。ファンタやスプライトなど、1日6万〜10万ケース{24本入り)を製造、中でもコカコーラが半分以上を占める。 
 
 「コカコーラはシンプルな飲み物だ。含まれているのは、水、砂糖、炭酸ガスとコカコーラエキスだけ。コカコーラエキス?何でも良いわけではない。1887年にアトランタの薬剤師が見つけたエキスは、今なお製造法が秘密にされたままだ。このシークレットのお陰で、コカコーラが世界的に成功を納めている。
 私達が使っているイディニ産の水は非常に質が良い。製造規定通りに製造されたコカコーラは、1960年に登録商標された、かの有名なコカコーラ専用ボトルに詰めて国内で販売されている。ボトルはリサイクルされるのでエコロジーにとって良い上、中身を最良の状態で保存することができる」とヤマア社長が本日の記念すべき1億本達成の喜びを語る。

◆冷凍トラックがロッソのバック(セネガル川フェリー)から転落

2009年11月23日 CP/ROSSO
 去る11月22日、12時ごろ、空荷の冷凍トラックがフェリーから上陸する際、誤って落ちてしまった。ブレーキの故障で、バックしてしまったらしい。幸い、川瀬が浅いところで、周りの乗員らにもけがはなかった。セネガル川フェリー管理局(SBM)はトラックの救済に尽くしたが、らちがあかず、結局中国人建設業者のクレーンを呼んで引き上げた。トラックの救済費用はボゲ・ロッソ道路公団が負担した。
 

サルコジ大統領が、SOMELEC救済

2009年10月29日 APA
 アブデラジズ大統領が10月27.28日パリを訪問、その際に、フランスのサルコジ大統領がヌアクショットの発電所に50MWの電力増加を支援すると約束した。ヌアクショットでは、今年に入って一段と停電が増え、常時17%ほどの発電量が不足しているという。

◆チュニジアが支援

2009年9月23日 PANA
チュニジアが22日、モーリタニアの洪水被害者に向けての支援を行うと発表した。支援物資は 14トンの食糧、医薬品、毛布やテントなど。

◆中国の外務副大臣がモーリタニアを訪問

2009年9月23日 APA
 中国の副外務大臣、Zhai Junが22日ヌアクショットに到着した。中国とモーリタニアの協力関係を深める目的。滞在中、様々なプロジェクトについての審議が交わされる予定。中国とモーリタニアの外交は1965年から続いている。
 同副大臣は南アフリカ、レソト、ギニア・ビサウ、カップヴェールを巡回してきたところで、今回のアフリカ訪問の最後の訪問先だった。
 
 中国は現在、ヌアクショットの外洋船停泊用のオートノーム港、地元の漁師らが魚を揚げているアミチエ港の2ケ所、ヌアクショット病院などを建設中。モーリタニアばかりでなく、隣国マリでも現地の人々に直接的に結びつく経済支援を進めている。

 滞在中、同副大臣はモーリタニアの漁業大臣と12300万ウォン(約1220万ユーロ)の融資契約を交わした。同協定は、無償事業6,000万ウォン、無利子貸付 6,000万ウォン、極貧対策への無償支援300万ウォンの内訳。

◆モーリタニアで人口雨のテスト

2009年9月23日 APA
 モーリタニアで、人口雨を降らせる試みが環境庁を中心とする研究グループによって行われた。21日、モーリタニアのトラルザ、インシリ、アドラール、ヌアディブの4ケ所で、人口雲を打ち上げて雨を降らせるテストを行った。
 モーリタニアでは砂漠化が進み、1年に5kmも砂丘が移動している。砂丘の移動をストップさせるために、植林を行って緑化を進めることが理想であり、そのためのテストだと環境庁は説明している。

◆FIMから8,000万US$

2009年9月18日
 APA
 FMIの副総裁 Amor Tahariがヌアクショットで記者会見を行い、モーリタニアに特別枠の基金8,000万US$を融資する旨、発表した。
 同氏は、ヌアクショットに9月8日から滞在して、モーリタニア当局と新プロジェクトについての検討を重ね、数週間後に訪問予定のミッション訪問の準備を進めてきた。

 同氏の発表内容は、「FMIはモーリタニアと正常な国交に戻すことにし、同国の開発支援のためのパートナーシップを約束する。モーリタニアは世界金融危機の影響を受け、さらに昨年8月8日軍部クーデター以降の政権不安により、経済事情は非常に悪化している。しかし、同国は経済的悪化にありながら、インフラ率3% (一昨年は10%)でポジティブな面もある。
 
 モーリタニアは過去10年近くにわたって行われてきた基金の間違った移譲の古いやり方を脱っし、あたらしいページを開こうとしている。FMIはモーリタニアが示す開発への目的とまったく同じ視点にあると続けた。

◆ロッソーボゲ盆地への電化のためにスペインから530万ユーロ

2009年9月16日 APA
 スペインがロッソ・ボゲ盆地の電化に向け、530万ユーロを融資するとの情報をAPAが得た。
 スペインは2004年12月に、セネガル川域のマナタリダム開発プロジェクトニ向け、8,570万ユーロの融資条約を交わしており、今回の融資はそれを補うためのもの。
 今回の電化契約に向ける融資の条約は新任の経済開発大臣と、スペイン大使の間で調印された。

◆FOAがモーリタニアの化学物資縮小のために900万US$の基金

2009年9月16日 PANA
 モーリタニアを訪問したFOA代表団の代表Radizav Pavlovichtと、モーリタニア大統領付き審議官Dr.Diarra Idrissaとの間で、セネガル川域やニジェール河域の農薬の使用縮小を目的とするプロジェクトに対して、900万ユーロのファイナンス契約が取り交わされた。

 プロジェクトは、同2つの河域に関わるセネガル、モーリタニア、マリ、ギニア、ニジェール、ベニンが対象国となる。

◆ニジェールが洪水の見舞金

2009年9月16日 PANA
 ヌアクショット訪問中のニジェール設備大臣が、ニジェール政府からモーリタニア洪水被害者への見舞金として、2,500万セーファーフランを寄贈した。

◆また雨

2009年9月15日 AMI
 再び雨が降った。9月14日(月)に、モーリタニア各地で24時間を越える雨が降った。降雨量は以下のとおり。
タンタン  42mm、  キッファ70mm、  ゲルー 32mm、 ンブートゥ 13mm、  セリバビ 12mm・・・など。
最も多かったのは レグラヌ 116mm、他にも ハッシ・アブダラ 77mm、 レクセイバ 106mm、ズメイタ 75mmなどの村落が大雨の影響を受け、道路の遮断などのトラブルが起きている。

ベネズエラ大統領が、モーリタニアに精製所建設を表明

2009年9月15日 AFP
 ベネズエラのユーゴ・シャベス大統領が、モーリタニアに精製所を造ると発表した。
「モーリタニアで採掘される石油をすべて、国内で精製できるような精製所を作る。もし、充分な石油が採掘されなければ、ベネズエラから石油を持ってゆく」と発言。

 「モーリタニアでは1日18,000バレルの石油が産出、しかし、どこだか正確にはわからないがマルチナショナルの精製所で処理されている。モーリタニアの産出した石油を、モーリタニア、マリ、ニジェールに配分したい。

 ベネズエラは公式筋の発表によると、1日300万バレルの原油を産出し、世界でも有数の石油埋蔵量をほこっている。2005年から、中央アメリカ、カライブ諸国の17カ国のうち、最も優先的な原油価格を提示している。

◆EUが飲料水改善のための支援金

2009年9月7日 PANA
 ヨーロッパ連合がアフリカ・カリブ・大西洋(ACP)地域における僻村地で飲料水の改善プロジェクトを行い、その為に4,157,000ユーロ(=約554,000,000円)を支援すると発表した。

 同プロジェクトは、飲料水の輸送網・井戸・貯水槽の設置、学校設備へのトイレや浄化設備の設置などを行うもので、このプロジェクトによりモーリタニアでは3州、150,000人が裨益することになる。

◆アフリカの人口が10億人を越えた

2009年8月30日 Jeune Afrique
 去る2009年1月はじめ、誰からも注目されないうちに、アフリカの総人口が10億人を越えるという、きわめて象徴的なできごとがあった。
国連人口基金(UNPFA)によれば、アフリカ大陸の人口は、世界の15%にあたり、年間平均2,400万人の増加を考慮すると2050年には、この2倍に当たる20億人に達すると見込まれる。一人当たりの出産率は以前に比べて低下しているとはいえ、サブサハラ地域では一人当たり5,3人、最も出生率の高いニジェールで7,4人/一人という高い数字。

 アフリカでは、10億人の人口のうち、41%が15歳以下、平均寿命55歳 (世界の平均寿命は69歳)。
 一人の出産率を3人以下におさえないと、このままでは2050年に20億、2100年に42億人という人口になり、都市の過密人口などさまざまな問題が懸念される。

◆マイケル・ジャクソン、死を招いた薬のカクテル  (これはモーリタニアとは関係ない筆者の個人的興味)

2009年8月30日 Jeune Afrique
 かのマイケル・ジャクソンが死因となったのは、薬の危険な複合使用によることがわかった。米ロサンゼルス群検視局が28日、麻酔薬プロポフォールの多量の投与がマイケルの致命的な死亡要因であると発表した。
 マイケルの絶大な信頼をよせる専属医コンラッド・マーレー医師は、ロサンゼルスのマイケルの広大な自宅に同居、月額15万ドルという破格の給与を受け取っていた。マーレー医師はもともとヒューストンの貧しい黒人らを数年にわたって診ており、有名スターの気まぐれには全く縁のない生活だった。既に極度のプロポフォール依存となっていたマイケルに、この習慣を止めさせなくてはと、担当医となったという。

 6月25日に病院に救命搬送されるまでの24日の夜、
- 01:30 不眠を訴えるマイケルにヴァリウム 10mgを投与した。
- 02:00 効果がないというので、鎮静剤ロラゼパム 2mgを投与した。
‐ 03:00. 緩和剤ミダゾラム2mgを投与した。
- 05:00 再度、鎮静剤を投与
- 07:00 抗うつ剤を投与。
- 10:40 マイケルの切望を断りきれず プロポフォールを25mg投与。ようやく、マイケルが眠りについた。
そして、数分マイケルの元を離れて戻ってくると、呼吸をしていなかった。そこで、毒性を消滅させようとフルマニジルを投与したが、既に手遅れだった。
 
 8月18日に発表になったマーレー医師の映像では、「自分はできる限りのことをやった」と説明している。しかし、もっと早く救急車を呼べたのではないか、プロポフォールを投与していたことを救急車のスタッフに報告しなかったなど、同医師への嫌疑はすっきりしない。マーレー医師は、過失致死容疑で、捜査当局に立件される可能性が強まった。

◆アフリカに出回る中国製「メイドイン・インディア」のマラリア薬

2009年8月29日 Jeune Afrique
 スキャンダルが起きたのはナイジェリア。去る6月に国営食糧・医薬流通管理局が、国内で「インド製」と記載された中国製薬品が大量に国内で流通していると発表した。アブジャに駐在するインドの警視担当官は「インドの管理していない範囲で、その可能性は大いにある。同様の流通はナイジェリアだけではない」と述べたという。

 流通量は150億ユーロを誇るインド製薬、ニューデリーはすぐに北京に説明を求めた。そして、中国政府は公式に、不法のマラリア薬を製造し「インド製」と表記していたことを認めた。

 世界の医薬品のうち1/3は偽造といわれる。そして、マラリア予防薬による死亡者が毎年20万人にも上るという。1995年、ナイジェリアでは脳髄膜の予防ワクチンの偽造品を投与、2,500人の子供がこれによって死亡する事故が起きた。
 

◆覚せい剤2トンを没収

2009年8月30日 PANA
 モロッコ国境で、覚せい剤を大量に持ってモーリタニアへ入国しようとしていたモロッコ人モハメッド・アリ・フレイビッシュをヌアディブ警察が逮捕した。モハメッドは食糧輸送に見せかけワゴン車に25kgの覚せい剤79袋を積み込んでいた。最初、積荷の中身を知らないと言い張っていたが積荷の内容を確かめたところハミッドという常習犯から、モロッコとモーリタニアの間にある、無網の砂漠の中のグナダハル Ghnadaharに配送を依頼されたということで、中身を確認した。グナダハルは様々な覚せい剤の密売として注目されている場所で、モロッコ人の同伴者がいるものと見られる。
 
 このところ、モーリタニアでは度々密輸業者が見つかっている。中でも国際的な密輸網を持つエリック・ミカ・ウォルテール(Eric Mika Walter)とその仲間の逮捕の意義は大きい。エリック一味はサハラ砂漠、とりわけモロッコとモーリタニアで大々的な密輸を行い、ヨーロッパに持ち込んでいた。

 一方、セネガル警察が、モーリタニア国内で8月末に、麻薬密輸グループの中でも主要な位置にあり、2007年7月から国際手配されていたセイドゥ・カーンを逮捕した。セイドゥは先に逮捕されたエリック・ミカ・ウォルテールの右腕で、モーリタニアからの引渡役を担当していた。
 
◆関連記事  ギャングのボス、エリック・ミカ・ウォルテールが「砂漠の中の着陸」について暴露 (09.08.20 NKC INFO)

 法外な金額、取引のための飛行機が着陸するとんでもない砂漠の中のゾーン、ヌアクショットのモロッコ・モスクの野菜市場で取引される覚せい剤、モーリタニア国内で不正取引するモロッコ人八百屋・・・。 これらが2007年以来国際指名手配されていたコカイン取扱いギャングの一味、が6月はじめ逮捕され、明るみに出た。

 麻薬関連の逮捕の中でも最大級はエリック・ミカ・ウォルテールの逮捕だ。6月にモーリタニア国内で、セネガル警察によってつかまったもの。
エリック・ミカ(27歳)は、南米の覚せい剤を、モーリタニア経由でヨーロッパに流すルートを作ったとして知られている。ベネズエラやコロンビアから持ち込まれた麻薬を小型飛行機で運び、地方の小さな無人飛行場で取引していた。

 コカインの密輸にあたり、コロンビア人エドワルド、一味のアルジェジア人ナビルがモーリタニアに導き、モーリタニア人ヤヒア、バリカラッ、ミニ、セイドゥらが国内で引渡していた。そして、200kgのコカインは、いくつかの小包に分けられ、30kgで36万ユーロ、158kgで1,500万ユーロというようにヌアクショットのモロッコ・モスク市場の野菜コーナーで売られ、それをモロッコ人などの運び屋が陸路でスペインまで輸送していた。

 6月に一味のバリカラッが海外に逃亡するところを飛行場で逮捕、彼の手引きでヌアクショット市テブラフザイナ区の家で待ち受けていたところ、エリック・ミカ、エドワルド、ナビル、、セイドゥが到着した。一旦、隣の家に逃げたりしたが、最終的に逮捕された。

 つかまった一味は : エリック・ミカ・ウォルテール、ストーニィ・ナビル、バミール・ジェミル、 フレデリック、カーン・セイドゥ、ムスタファ・デエビ、モハメッド・ファキ、ヤヒア・ウルド・ムスタファ・ウルド・アベイデラミント、シダハメッド・ウルド・タヤ、アリ・ウルド・サレミ・ウルド・スーダニ、その他関係者 :ミニ・・ウルド・サレム、バリカラッ・ウルド・スレイリム、アリ・ウルド・ムーライ、シダッティ・ウルド・ハセム・ウルド・ブーシャブ、ブーシフメッド・ウルド・サレック、関連グループの一味:ブージェメ、モハメッドイッサ・ウルド・アハメッドミカエル・アンジェル・カルデロン、カルロス・ピエトロ、ホアン・カルロス、シェイク・バルデ、モハメッド・ウルド・オベジェフ、エリ・ウルド・アハメド・ウルド・ブラヒム、ブーバカー・アハメッド・ハミッド・シー、エスマン・ウルド・モハメッド・ウルド・ドメイッス、アハメッド・ウルド・バキ、エリ・ウルド・シガリ、シェイク・アブダラヒア・ウルド・バシール、アハメディ・ウルド・モハメッドウ、モクタールサレム・ウルド・シドモハメッド、アハメッド・ウルド・ウェイッサッ、レムラボッ・ウルド・モハメッド アブダラヒ、シッダハメッド・ウルド・メッキ・ウルドクライバ、ミッシェル・アンリ・アルカルミ。

 逮捕されたエリック・ミカは現在ヌアクショットの刑務所に拘留中で、砂漠の中の無人飛行場での取引について、手引きした一味や、転売先などについても暴露した。

◆アレグ傍でコレラ患者?

2009年8月30日 Nouakchott Info紙
 アレグから18km南部のZephlaneゼフラン村でコレラ患者が出たもよう。8月25,26日にかけて吐き気、下痢を訴える患者をアレグ国立病院に収容し検査をしたところ、コレラ菌と疑われるものが見つかった。
 専門の検査員が急遽、同地に向かったが、コレラであることが確定すれば感染を避けるために隔離されることになる。雨季にかけてこの地方でたまり水を飲んでコレラが発症することがときどきあると、医療関係者は語っている。

◆大統領府警備隊が携帯電話5個とテレフォンカード30万ウギア相当を盗む

2009年8月27日 Nouakchott Info紙
 大統領府警備員が携帯電話5個 (20万ウギア=約5万円)とテレフォンカード30万ウギア相当(約12万円)を盗んだとして、8月27日ヌアクショット・インフォ紙の3面トップ記事に掲載。
本来ガードするはずの警備員が盗むとはなんたることかと盗まれた電話商が大統領に直訴した。件の警備員は大統領府警備隊BASEPの隊員でヤスレム・モハメッドアブダラヒ、ヌアクショット市内の一等地テブラフザイナ区の電話商から盗んだ。盗まれた電話の通話記録で犯人がわかったという。

 注:20万ウギアは日本でいうと40万円という感覚。3面トップ記事がこのような記事とはなんとのどかなとうらやましくなる。日本では警察が盗み・人殺しをするのは日常茶飯事になって、今では誰も驚かない現象だ。
そして、この日の2面のトップ記事が、ボゲ(セネガル川域の大きな年)で、12歳の少女が屋根が崩れて死亡という記事。南部の家は多くは日干し煉瓦や土でできた家なので、崩れることは珍しくない。死亡するほどの事故だったことがニュースらしく、こちらも、新聞の半分以上を割いた記事に。

◆ロッソで大雨の被害

2009年8月29日 AMI
 去る8月27,28日にかけて一晩で104mm、翌日28日に72mmもの雨が降り、ロッソを中心とするトラルザ州、セネガル河域に大きな被害をもたらした。この雨により死亡者1名、壊れた家は40世帯、宿泊する家のない者は3500名に上る。

 政府は、遅ればせながらロッソ〜ヌアクショット道路のから7kmに救急支援センターを設置、漁村サッタラ(Sattara)やデメルデック(Demeldek) などの浸水地域からの避難者を輸送した。さらに緊急輸送のために、30日、8台のトラックを差し向けた。また、市民保護隊25名と救急車2台がロッソに向かった。

 また、セネガル川域では、9月3日にもアレグなどを中心に豪雨があり、多くの家が浸水する被害があった。

 今年は異常気象で各地で豪雨が続いている。希望街道沿いの中ほどにあるタンタン(Tintane)でも去る7月30日に豪雨による被害があったばかり。同町は窪地にあって地面が粘土質のため、雨が降るとぬかるみがひどくなって交通が遮断されてしまう。2007年にも大雨により10,000人以上の被害があったばかり。

 
2009年9月3日  PANA アルジェリアが大雨の被害者に見舞い
アルジェリアはロッソを中心とする大雨の被害者のために、35トンの食糧と、テント100個ほどを寄贈すると発表した。


◆ ツェツェ蠅が西アフリカの大都市でも見つかる

2009年8月23日 Nouakchott Info.
 本来サバンナ地域に生息するツェツェ蠅は、眠り病を引き起こすことで知られているが、最近、ダカールやアビジャンなど西アフリカや、キンシャサなど中央アフリカの大都市で生息することが、IRD(Institut de recherche pour le developpement 開発の為のリサーチ研究所)が明らかにした。
 同地域でツェツェ蠅が見つかったのは初めてのこと。同研究所は、この現象が近年の人口や気候変動によるものと見ている。ツェツェ蠅は人の少ない地方の村落やサバンナで生息していたが、地球温暖化による砂漠化が進み、植物の多い地域へと移動してきたものと思われる。
人口密度の高い都市部で生息することにより、感染の危険性が高まったばかりでなく、都市間を移動する人口が増加したことによって、感染地域の拡大も予想される。
 ツェツェ蠅よる犠牲者は毎年5万〜7万人。眠り病にかかるとほぼ間違いなく死亡に至り、その予防ワクチンはまだ開発されていない。IRDとのコラボレーションにより、WHOは対策を強化すると発表した。

 注:モーリタニアでは今のところツェツェ蠅は見つかっていない。が、ダカールやアビジャンなどから頻繁な人の行き来があるので、今後その可能性も出てくるかもしれない。

◆今日からラマダン 物価高騰対策

2009年8月22日 Jeune Afrique
 モーリタニア政府は、21日、「ラマダ2009」というラマダン中の物価高騰対策を開始した。ヌアクショット240店舗他、地方の360店舗で、米、ミルク、砂糖、油、ジャガイモ、たまねぎなどの基礎食品を25%〜10%、一般商店より安く販売し、高騰を抑えようというもの。
 この対策には、商業省、輸出入国営企業、地方官吏局や消費者団体などが共同で行い、総額420万ドルを投入する。
 しかし、こうした対策にもかかわらず、例年ラマダン時期には、供給と需要量がいっきに増加するのを利用して値段を吊り上げる商人も少なくない。

 そして、実際始まってみたら、ヌアクショットでは生活必需品からすべて、中でも特に野菜や肉などの食糧の高騰がすさまじい。貧しい人のほうが圧倒的に多いのに、どうやって暮らしているのか??

 一方、選挙が終わって約1ヶ月、ラマダンが始まった。アブデラジズ大統領へ向けられていた非難の目もこれで一息。
 ラマダンの物価高騰に配慮して、今年もその対策が講じられたからだ。ヌアクショットのエルミナ区のコンビニでは、「ブティック・ラマダン」という垂れ幕を掲げて、いつもより安い価格で米や小麦、砂糖、油を売っており、その前に長い行列ができていた。

 エル・ミナ区など、とりわけ貧民の多い地区では、一気にアブデラジズの評価が上がり、「モーリタニアの救世主」「貧民のための大統領」「導く人」とまで評価され、ラマダンは予想以上の効果があった。
 

◆麻薬取引の大物、エリック・ミカ・ウォルテールが語る ”モロッコ人野菜売りがコカインを運ぶ、砂漠の中の飛行機着陸・・・”

2009年8月20日 EOM (Nouakchott Info紙)
 さる6月に、麻薬密輸の中心人物として国際手配を受けていたエリック・ミカがモーリタニアでセネガル当局により逮捕された。ミカ・ウォルテール(27歳)は、南アメリカのコカインをモーリタニア経由でヨーロッパに流している密輸一味の中心人物。麻薬をベネズエラからモーリタニア砂漠の中の無人飛行場に小型飛行機から持ち込み、着陸。そこで給油してヨーロッパに輸送する手立てをしていた。
 また、コロンビアの「エドワルド」と称するコカイン密輸団のボスから、麻薬を受け取り、アメリカやヨーロッパに送っていた。

◆イランが病院を

2009年8月15日 PANA
 現在モーリタニアを訪問中のイラン外務大臣が、イラン赤十字の仲介でモーリタニアに病院を建築すると発表した。イラン外務大臣Menou Chahr Motakiによれば、モーリタニアとイランとの国交を強化、特に医療・教育分野の強化を図る措置の一貫だとしている。

◆30mmの雨

2009年8月12日 Jeune Afrique
 去る7月27日にヌアクショット周辺で20mmの雨が降った。この雨が市内の至る所で水溜りとなり、8月上旬になってもはけないで住民たちを悩ませていた。下水道が完備していないヌアクショットでは、雨が降ると汚水の行き場がなくなり、水溜りとなる。数日も経つと耐え難い臭いになり、蚊も増え、病気の媒体となりかねない。
 そこに、8月12日早朝、さらに30mmの雨が降った。前回の雨で残っていた水溜りがさらに大きくなり、通行にも影響が出ている。そして、何よりも汚水を汲み上げ処理するシステムがないヌアクショットでは、汚水となって残る水溜りが、一段とひどくなることが懸念される。

 ヌアクショットの清掃を担当しているフランスの業者は、ゴミ処理は行うが、液体処理は契約に無いとして、汚水処理は行わない。

◆組閣発表

2009年8月12日

・首相 (Premier Ministre) : Mohamed ould Moulay Laghdaf
・法務大臣 (Ministre de la Justice) : Me. Baha Ould Hmeida,
・外務大臣 (Ministre des Affaires Etrangeres et de la Cooperation) : Naha Mint Hamdi Ould Mouknass,
・国防大臣 (Ministre de la Defense Nationale) : Hamadi Ould Hamadi
・内務・地方分権大臣 (Ministre de l'Interieur et de la Decentralisation) : Mohamed Ould Boilil
・経済開発大臣 (Ministre des Affaires Economiques et du Developpement) : Sidi Ould Tah
・財務大臣 (Ministre des Finances) : Kane Ousmane
・基礎教育大臣 (Ministre de l'Enseignement Fondamental) : Ahmedou Ould Dey Ould Mohamed Radhi
・中・高等教育大臣 (Ministre de l'Enseignement Secondaire et Superieur) : Ahmed Ould Baya
・イスラム教・道徳大臣 (Ministre des Affaires Islamiques et de l'Enseignement Originel) : Ahmed Ould Neini
・公務大臣 (Ministre de la Fonction Publique) : Coumba Ba
・雇用・職業教育大臣 (Ministre de l'Emploi et de la Formation Professionnelle) : Mohamed Ould Khouna
・厚生大臣 (Ministre de la Sante) : Dr. Cheikh El Moctar Ould Horma Ould Babana
・エネルギー・石油担当大臣(Ministre de l'Energie et du Petrole) : M. Ahmed Ould Moulaye Ahmed
・漁業・水産大臣 (Ministre des Peches et de l'Economie Maritime) : Ghdafna Ould Eyih
・商業・民芸・ツーリズム大臣 (Ministre du Commerce, de l'Artisanat et du Tourisme) : Bamba Ould Dermane
・住環境大臣 (Ministre de l'Habitat, de l'Urbanisme et de l'Amenagement du territoire) : Ismail Ould Bedde Ould Cheikh Sidiya
・地方開発大臣 (Ministre du Developpement Rural) : M. Brahim Ould M'Bareck Ould Mohamed El Moctar
・通産大臣 (Ministre de l'Equipement et des Transports) : Camara Moussa Seydi Boubou
・水利大臣 (Ministre de l'Hydraulique et de l'Assainissement) : Mohamed Lemine Ould Aboye
・鉱業大臣 (Ministre de l'industrie et des Mines) : Mohamed Abdallahi Ould Oudaa
・文化・青年スポーツ大臣 (Ministre de la Culture de la Jeunesse et des Sports): Cisse Mint Cheikh Ould Boida
・国会報道官 (Ministre de la Communication et des Relations avec le Parlement) : Mohamed Abdallahi Ould Boukhary
・児童・婦人擁護社会大臣 (Ministre des Affaires Sociales, de l'Enfance et de la Famille) : Moulaye Mint El Moctar
・地球環境担当相 (Ministre delegue aupres du Premier Ministre charge de l'Environnement et du Developpement Durable): Dr. Idrissa Diarra
・TICS近代化担当相 (Ministre delegue aupres du Premier Ministre, charge de la Modernisation de l'Administration et des TICS) : Wane Abdoulaye Drissa
・マグレブ担当相 (Ministre delegue aupres du Premier Ministre charge des Affaires Maghrebines) : Ikebrou Ould Mohamed
・国務長官 (Secretaire General du Gouvernement) : Ba Ousmane

  (茶色が女性大臣

 今回の組閣で女性は5名、女性の外務大臣は初めてのことで、選任のナハは1968年〜1978年ダダ政権中、外務大臣を務めたハムディ・ウルド・ダダの娘で、アブデラジズびいきの民主推進党(UDP)の党頭である。公務大臣になったバー・クンバはセネガル河域出身。

◆ヌアクショットで自爆男

2009年8月8日 AFP他
 8月7日夜、フランス大使館そばで若い男が自爆自殺した。件の男はアハメドゥ・ウルド・ヴィヘルバルカ(22歳)で、マリから10日ほど前にヌアクショトに入国していたモーリタニア人、腰に爆薬を巻き、それを爆発させて死亡した。傍をジョギングしていたフランス大使館警備員2名と、通行中のモーリタニア人女性が巻き添えになって軽症、病院で検査を受けた。

 モーリタニアで自爆事件は初めてのことで、政府筋ばかりでなく国民に大きな衝撃を与えた。モーリタニアのイスラム教の権威、アハメドゥ・ウルド・レムラボ・グランモスク導師は「世界中どんな宗教でも承認されない行為であり、自殺し他人も殺そうとする者はアッラーの神、イスラム教の預言者モハメットの約束する天国に導かれないであろう」と述べる。
 また、イスラム教急進派のTAwassoul党首のモハメッド・ハッサン・ウルド・デッドウは、「正すべき説教によって洗脳された、道を外した若者の行為」と激しく非難した。

 フランスでは3日前に、フランスのフランス圏担当相アラン・ジョヤンデが訪問したばかり。
 「フランスに向けたものではないと思われる。むしろ、アブデラジズ大統領選挙への不満によるものではないか。在モーリタニアのフランス人への危険はないと思う。しかし国の安全に対していっそうの努力を求める」とコメントを発表した。

 
その後の報道
8月18日、カイロ発 : アルカイダ・マグレブ・イスラミスト分派(AQMI)が8月8日の自爆男についての犯行声明を発表。発表したのは、8月15日、テロリストグループが度々使用するイスラミストのホームページで、動画とコミュニケを発表したのを、アメリカのインテリジェンスグループがチェックした。
声明によれば、自爆した男はアブー・オベイダ・ムーサ・アルバスリ(ヌアクショット生まれ)、爆発性ベルトを巻いてフランス大使館にアタックする予定だったが、らせん状に有刺鉄線で遮断された館内に入ることができず、フランス大使館の入り口で爆発させた。
さらに、「フランスはイスラムとイスラム教徒最大の裏切り者、横暴なエージェント(アブデラジズ大統領のこと、フランスから支持を受け、モーリタニアの若いイスラム教徒を苦しめ、逮捕した理由で)は神の罰を受けないわけにはいかない」と続けている。

8月19日 

◆モーリタニア・エアウェイズがフライト開始

2009年7月28日 Jeune Afrique
 モーリタニアで唯一の国際路線を持つモーリタニア・エアウェイズが7月11日、ヌアクショット→コトゥヌー→ブラザビルの新航路の就航に踏み切った。翌日にはヌアクショット→バマコ→ニアメィ、そして7月13日にはヌアクショット→ダカール→コナクリ路線がスタートした。
 2006年12月に設立したモーリタニア・エアウェイズは、チニジアのチュニスエアが51%、モーリタニアのブーアマトゥの会社が39%、モーリタニア政府が10%の出資により、1,000万US$の資本金を持つ企業だ。しかし、燃料のケロゼンの高騰、進まない行政処理、さらに不安定な政治により、なかなか就航できないでいた。
 同社は、今後8月までにバンジュル行き、チュニス行きの路線を航行する予定。また、国内でもヌアクショット→ヌアディブ、ズエラット、ラスパルマスへ就航する。
 

◆アメリカは憲法評議会の結論を尊重

2009年7月27日 アメリカのコミュニケより
  憲法評議会は不正投票と選挙結果に異議を唱えた候補者の告訴を退けた。そして憲法評議会は国際監視機関と共に、アブデラジズの得票に対し、国民の総合的な意思を表現したものであると発表した。
 これを受けて、アメリカ合衆国がコミュニケを出した。
 「合衆国はこの憲法評議会の決定に対して今後行動し、大統領に選ばれたアブデラジズとその閣僚と共に、国が立ち向かう様々な困難に共に働く所存である。

 民主主義に向けての国際的なコンセンサスを本質とするダカール協定は、モーリタニア国民にリーダーを自分達で選任する可能性を与えたものである。アブデラジズ大統領、ならびにモーリタニア全政治家に対し、合衆国は、合法的に国民のために働くようよびかけるものである。」
 

◆7月18日の大統領選挙を分析する

2009年7月27日 
去る7月18日の1回目大統領選で、アブデラジズの圧勝は国内・国外で物議をかもしているところである。憲法評議会の不正選挙についての告訴は棄却という結論にもかかわらず、多くのメディアは「ホールドアップ選挙」などと、不正について書き立てている。
 しかも、欧州連合やアメリカでも、真偽がより明確になるのを待って、いまだコメントを控えている有様だ。
 しかし、今回の選挙結果を分析したところ、モーリタニアの地方の与党の地盤となっていた隅々の町村で、アブデラジズを支持する厚い層がいることがはっきりした。

◆海外在住モーリタニア人
 今回、海外に在住のモーリタニア人が初めて選挙に参加した。ここでは、海外投票のうち48,82%をアブデラジズが獲得した。
アラブ諸国をみると、サウジアラビアでは(在住のモーリタニア人投票のうちのアブデラジズの獲得票は)69%、UAEは34%。一方カタールではトップがマンスール39,78%、アブデラジズは2位で33,15%。

 アフリカ在住のモーリタニア人のアブデラジズ支持は非常に高く、コンゴ、ガンビア、象牙海岸やマリでは84%〜49%を獲得。唯一セネガルでブルヘイールが36,14%に対し、アブデラジズは26,68%にとどまった。

 モロッコではアブデラジズ34,5%がトップ、マンスールが27,78%と続く。アルジェリアでも同様アブデラジズがトップで39,74%、続いてマンスールが32,05%だった。リビアではアブデラジズが56%を獲得、圧勝した。

 一方ヨーロッパ在住のモーリタニア人の支持率を見ると、ベルギーはサール・イブラヒマ・モクタールがトップをおさえ34,59%、アブデラジズは25,15%だった。イタリアでは、サール・イブラヒマ・モクタールが44,19%、アブデラジズは16,28%で3位、フランスやスペインではアブデラジズがそれぞれ36,42%、47,89%とトップの得票率だった。

 最大与党のリーダー、ダダはとりわけベルギー、イタリア、フランスなどで票が伸びず、それぞれ11,32%、13%、15%という得票率。たとえ不正投票があったとしても、アブデラジズへの支持が圧倒的なことは否めない。

◆国内
 全国53群のうち51群でアブデラジズが圧勝し、負けたのはブーティミリットでダダ46,41%、アブデラジズ41,53%、エル・ミナでメッサウド37,43%に対しアブデラジズ35,05%。

 ヌアクショット州 : 2007年の大統領選挙で、大統領に選ばれたアブダラヒはここではわずか10%足らずしか獲得できなかった。それに対し、ダダが23,8%、ブルヘイールが16,5%と獲得した与党の基盤の地区である。しかし、今回アブデラジズがダダを大きく引き離して首都圏の支持を得た。
 テヴラフ・ゼイナ区(アブデラジズ43,18%、ダダ19,5%)、クサール区(アブデラジズ49.65%、ダダ20.40%)、タイヤレット区(アブデラジズ53.14%、ダダ21.69%)。
 その他のブルヘイールが有利とみられていた地区でも、セブハ区 (アブデラジズ34.34%、ブルヘイール27.74%)、リヤド区(アブデラジズ37.15%、ブルヘイール28.48%)と、アブデラジズがトップを押さえて、ブルヘイールが押さえたのはわずかエル・ミナ区(ブルヘイール37.43%、アブデラジズ31.05%)だけだった。

 一方、ダダの結果をみてみると、2007年大統領選でエル・ミナ区で15,81%を獲得していたのが、今回は7,19%、リヤド区で2007年30%以上を獲得していたのに、今回は14,7%、セブハ区では2007年33%だったものが今回14,33%。さらにアラファット区においてはわずか4,43%(2007年は8
%)しか獲得できなかった。

◆中央部:ブラクナ州、タガン州
 ともに与党の弱い基盤で、2007年にはダダとブルヘイールはそれぞれ12,15%、4,69%しか獲得できなかった。今回は、アブデラジズがブラクナ州で42,53%、タガン州で58,71%を獲得してトップ。

◆南部:ゴルゴール州、ギディマカ州
 2007年大統領選では、ブルヘイールはゴルゴール集で13,01%、ギディマカ州で14,86%しか取れなかったが、今回それぞれ27,52%、24,65%と票を伸ばした。一方、ダダは2007年19,56%、12,92%と獲得していたのに、今回はそれぞれ約5%足らずと落ち込んだ。アブデラジズが49,75%、51,14%とトップを獲得。

◆東部:アッサバ州、ホッジ2州
 これまでもアンチ与党の地域、2007年にダダはアッサバ集で14,83%、ホッド・シャルギ州で10.42%、ホッド・ガルビ州で9.65%しか獲得できなかった。 ブルヘイールも同様、この地域では低迷ぎみ。2007年アッサバ集で11.28%、ホッド・シャルギ州で4.82 %、ホッド・ガルビ州で2.8%の獲得だった。

 今回の選挙ではブルヘイールがわずかに票を伸ばし、ダダは大きく後退した。特に、タムシュケットではダダは2007年20,39%を獲得していたのに今回1,84%に落ち込んだ。

今回の開票の結果を分析すると、アブデラジズの得票は国民の総合的な支持を反映したものであると見られる。特に大きな基盤を持ったはずの与党のリーダー、ダダが、今回、忠実な支持者を大量に失った結果となった。


◆憲法評議会はアブデラジズの勝利を確認、国会議員の大半がアブデラジズを支持

2009年7月23日 AFP
 憲法評議会7月23日、はクーデターを起こした軍部のリーダー、モハメッド・ウルド・アブデラジズが、18日の大統領選挙で過半数を獲得し、勝利したと発表、また不正選挙として反対派の告訴を棄却した。
 一方、選挙委員長が選挙数日前、選挙の不正と投票の正当性に疑問があるとの理由で、退任したばかり。

 しかし、欧州連合やフランス、アメリカなどの国際共同体の立場の決定がカギとなった。
「アブデラジズは投票の半数以上を獲得した」と憲法評議会議長アブデラヒ・エリー・サレムが発表した。憲法評議会によれば、アブデラジズは52,47%を得票し、モーリタニア大統領に就任することになった。任命志気は来週中に行われる。

 一方、7月22日、国会で議員投票を行った結果、95議員のうち61議員がアブデラジズを指示を表明した。 そして、多数派のスポークスマンが、アブデラジズが18日の大統領選挙で過半数を獲得したことを認めるよう、不正選挙として上訴している反対派に呼びかけた。


◆大統領選挙に対し、アメリカ合衆国は?

2009年7月22日 sosabbere
 アメリカ合衆国のスポークスマン、フィリップ・クロウリー氏は、7月18日の大統領選に関し、憲法評議会の結果を待つと表明した。
選挙結果が不正だったとするのは次期尚早であるとの理由による。今回の大統領選には国際社会からの監督者を250名以上も設置し、アメリカもその一部を担当、重要な役割を果たしたと付け加えた。

◆アブデラジズ元将軍が、不法選挙?

2009年7月19日 AFP
 18日の大統領選挙では、16:00時点で、内務省がアブデラジズ元将軍の獲得率が、51.6%と発表し、52%〜53%で当選かと予想した。
 夜になって、アブデラジズ元将軍のグループは、勝利を祝って町に繰り出し、歓声をあげて騒いでいた。
 アブデラジズ元将軍は51,3%の票を獲得したが、その内 60%が不正票だという。印刷された投票用紙、海外からの投票がカウントされなかった、金で売られた票など、選挙前に偽装されていた可能性があるというのだ。

 アブデラジズ元将軍の反対派は、選挙は不正だと国際世論に訴えた。与党最大の派のリーダー、ダダをはじめ、ブルヘイール元国民議会議長、 エリー元暫定政府リーダー、メイムー(無党派・元大使)は、憲法評議会に実体を正し、内務省に今回の不正投票を承認しないよう求め、選挙結果は「前もって偽造されたもの」と共同声明を出した。

◆選挙結果

2009年7月19日 AFP
 モーリタニアで1回目の大統領選挙が行われた。7月2日から行われていた大統領選挙キャンペーンは前日の17日夜をもって終了した。有権者120万人に対し、有効投票は500,903票。 投票所は07:00から19:00、ヌアクショットやいくつかの大都市ではアフリカ連合やフランス語圏国際協会、アラブ連盟などから派遣された監督320人が立ち会った。

獲得率はアブデラジズ元将軍が過半数をとった。

- モハメッド・ウルド・アブデラジズ 元将軍 : 52,27%
- サール・イブラヒマ・モクタール Sarr Ibrahima Moctar, (国民議会副議長)  :5,37%
- スゲイール・ウルド・ンバレック  Sghair ould M'Bareck, AJD正義と民主同盟党リーダー) :0,25%
- カーン・ハミドウ・ババ Kane Hamidou Baba, (与党RDFの分離派)  :1,61%
- アハメッド・ウルド・ダダ Ahamed ould Daddah   (与党RFDの党首) :13,7%
- モハメッドジェミル・ウルド・マンスール Mohamed Jemil ould Mansour, (イスラミストテワッスール党リーダー):4,62%
-メッサオウド・ウルド・ブルヘイール  Messaoud ould Boulkheir,  (国民議会議長) :16,63%
- エリー・ウルド・モハメッドヴァルEly ould Mohamed Vall (元暫定政府リーダー) : 3,76%
- ハカダ・ウルド・メイムー Hamada ould Meimou : 0,95%
- サレ・ウルド・ハネナ  Saleh ould Hanena :0,88%



アブデラジズ元将軍 与党第派最大グループのリーダー、ダダ 2005〜2007、暫定政府を主導したエリー大佐

◆電気までアブデラジズ元将軍を敬遠

2009年7月15日 mauritania-web
 昨日午後、モハメッド・ウルド・アブデラジズ (クーデターを起こした元将軍)がヌアクショットの繁華街にやってきて、選挙演説を行なおうと付近の住民を集めた。選挙演説を始めたとたんに、停電でマイクの声が聞こえなくなった。近くでは、ライバルのダダがチャンスとばかりに、独自の電源を使って、マルウマの音楽を最大に流し、選挙キャンペーンを行っている。

 手を尽くしたがマイクを使えないアブデラジズ元将軍は、車の中に入って不機嫌な顔、ブスッとしたまま選挙事務所へ帰ってしまった。残ったスタッフが手でメガホンを作って、ミーティングはキャンセルと怒鳴り回る。モーリタニアの電気はSOMELEC社の独占体制だったが、アブデラジズ元将軍が権力の座についてから、国有になっていた。 
 

◆アブデラジズ元将軍が1,000万ウギアを寄付

2009年7月13日 mauritania-web
 大統領選に立候補しているアブデラジズ (クーデターを起こした元将軍)が、タガン州のチジクジャ病院に1,000万ウギア(約400万円)を寄贈した。
 寄付金は多くの関係者が見守る中、透明性を強調するかのように全額キャッシュで手渡されたが、選挙用のお金に流用される可能性もある。アブデラジスは昨年8月6日にクーデターを起こした軍部のリーダーであり、その後政権を握っていた国民評議会の議長でもあった。国民評議会が実権を握って以来、海外に留学する学生が奨学金を一ウギアも受け取っていない。

  写真は、デスクの上に積まれた1,000万ウギア。mauritani-web

スペイン籍漁船が難破

2009年7月2日 (AFA)
 6月30日(火)午後、ヌアディブから30kmの海域で漁船が難破し、スペイン国籍の船長が死亡した。船はモーリタニア人8人、セネガル人7人、計15人の船乗りが乗るタコ漁の船舶で、船長以外の乗組員は全員ボートで助かった。難破の原因は、専門家によれば、船の老朽化によるという。モーリタニア海域では2008年〜2011年の漁獲契約によりEU諸国の漁獲が認められており、操業するヨーロッパ船のうち、75%がスペインの船籍だという。EUはこの漁業権の為、モーリタニアに年間8,600万ユーロ(約12億円)を支払っている。

◆7月18日の大統領選挙に向けて、10名が立候補

2009年7月1日 mauritania-web他
 昨年8月6日にクーデターを起こし、軍部政権「国家高等評議会」を設置し、その議長として1年近く国を支配していたアブデラジズ元将軍は、国際世論から非難され続け、ようやく6月5日、セネガル大統領の仲介を得て、暫定政府→7月18日の大統領選挙と決定したにもかかわらず、国家高等評議会は解散しないだの、何かとゴネて6月2日の協定どおりに進んでいない。

 それでも、ともかく7月18日に選挙は行われるようで、立候補受付終了時に10人の候補者が上がった。立候補届出順に
- モハメッド・ウルド・アブデラジズ Mohamed ould Abdel Aziz (クーデターを起こした元将軍)
- サール・イブラヒマ・モクタール Sarr Ibrahima Moctar, (国民議会副議長)
- スゲイール・ウルド・ンバレック  Sghair ould M'Bareck, AJD正義と民主同盟党リーダー)
- カーン・ハミドウ・ババ Kane Hamidou Baba, (与党RDFの分離派)
- アハメッド・ウルド・ダダ Ahamed ould Daddah   (与党RFDの党首)
- モハメッドジェミル・ウルド・マンスール Mohamed Jemil ould Mansour, (イスラミストテワッスール党リーダー)
-メッサオウド・ウルド・ブルヘイール  Messaoud ould Boulkheir,  (国民議会議長)
- エリー・ウルド・モハメッドヴァル Ely ould Mohamed Vall (2005年8月、タヤ大統領がクーデターで国外追放になった後、2007年3月の大統領選挙で次のアブダラヒ大統領が着任するまでの暫定政府のリーダーを務めた。2007年の大統領選挙には立候補せず、クリーンな軍人として国内外で講演会などを行っていた)
- ハカダ・ウルド・メイムー Hamada ould Meimou
- サレ・ウルド・ハネナ  Saleh ould Hanena


ガバージュを実施する女性がようやく減少傾向

2009年6月30日 (Jeune Afrique誌)
 社会福祉省の調査によれば、2008年度、少なくとも全体の20%の女性が自主的または他から強要されて大食いしているという。美意識に対する変化、肥満による病気の増加などが原因で、ガバージュを行う女性は減少していると同省は述べる。

 しかし、それでも3分の1の女性は伝統的に「太っている女性が美しい」という習慣の餌食となって、肥満による病気を余儀なくされている。
 ンバルケール・ンハイミド(55歳)さんは、「子供の時に母親から美しくなるようにと無理やり食べさされた。12歳ですでに40歳の皮膚・体質になり、病気の見本のようだった。そして、高血圧と心臓病の治療を受けなければならなかった。食べ過ぎることが死につながるほど危険だということを思い知った」

 テレビやラジオなどで肥満の危険性を報道するようになり、民間団体などもドキュメンタリー映像などを作成してその普及に努めている。
モーリタニア政府は、2010年にはスペイン政府の支援を受け、国連のUNFPAとタイアップして、ガヴァージュなどの女性にとって有害なものと闘うキャンペーンを行う。

 「現在まで検診した300人のうち半分がガヴァージュや肥満が原因の心臓系疾患を持っている。そしてそのうちの多くが処方箋無しの薬品によるものが原因だ。」とIRINは報告している。同省は減少するだろうと述べているが、課題は多い。

漁の輸出が大ピンチ

2009年6月24日 (AFP)
 ヌアクショット漁港の倉庫は空っぽ、冷凍室は真っ暗、漁業輸出業者が苦境に陥っている。去る11月3日、水産省が鯛、メロー、チオフ(セネガル、モーリタニア海域で取れる高級魚、右図参照) の輸出を禁止したからだ。

 漁業相、ハセナ・ウルド・エリー(Hassena ould Ely)によれば、「モーリタニアで釣れた魚がスペインやポルトガルでモーリタニアより安く売られているのは納得できない。魚はモーリタニア国内で消費されるべきである。その為に価格調整が必要で、モーリタニア国民が安く魚を食べられなければならない」と語る。しかし、輸入業者は「モーリタニア人は大部分魚を食べないのだから、そんな言い分は理屈に合わない」と憤慨する。

 漁業による収入は、モーリタニアでは国益の25%を占める。世界銀行のデータによれば、年間68万トンの水揚げ、その85%が国外に輸出されている。2006年は37,500万ユーロの漁業輸出額だった。

 

アメリカ人の暗殺犯人がつかまる
2009年67月18日 (APA)
 去る6月23日ヌアクショット在住のアメリカ人、クリストファー・ランゴス氏を殺害した犯人が逮捕されたことが国家保安筋からわかった。
 モーリタニア国家警察がランゴス氏の襲撃殺人をめぐって調査を進め、容疑者2名を捜査していた。二人はマリから入国してきた外国人で、手製の爆薬と、アメリカ人を殺害した際のピストルを所持していた。
アメリカ人の暗殺についてアル・カーイダが犯行声明?
2009年6月26日 (AFP)
 6月26日イスラミストサイトで、23日のヌアクショットのアメリカ人殺害についてマグレブ・イスラミック圏アルカーイダ(AQMI)グループによると表明した。同コミュニケでは、アメリカ人ランゴス氏氏殺害は、イスラム教の福音の責任において行ったものである、アメリカのオバマ政権がブッシュ前大統領と同路線を踏襲するものだとし、更なる襲撃をほのめかしている。そして、モーリタニア国民に、「十字軍」征伐へのジハードへの参加を呼びかけている。

 注: AQMI マグレブ・イスラミック圏アルカーイダとは、アル・カーイダがアフガニスタン、イラクで解体した後、ビン・ラーディンの活動を引き継ぐとして、イスラム教の福音と戦闘の為のアルジェリア人サラフィストのグループ(GSPC)が1990年代に結成された。その後同グループの流派がアルジェリアに拠点を置いて、サハラ周辺をイスラム・テロ組織の温床としているグループ。アフリカの西部・北部でイスラム教の過激派を集め戦闘訓練をし、フランス、イタリア、ベルギーなどヨーロッパに6ヶ所ほどの支部があると見られている。
 しかし、AQMIとビン・ラディンのアル・カイーダとの関連を証明するアル・カーイダ側の発表は見当たらず、アル・カーイダの名を勝手に名乗られることを不快がっているという見方もある。AQMIは主にアルジェリア内の西洋人、モロッコの旅行者やユダヤ人をターゲットにし、襲撃の仕方や爆発物を持った戦闘員が自ら飛び込んで襲撃するやり口は似ているが、活動の資金もアル・カーイダから流入していないとされる。

 AQMIは2007年12月11日、アメリカで国連を襲撃し、37人が殺される事件を起こした。その後、度々ジハードとして襲撃事件を起こし、今年の1月にもマリでイギリス人を誘拐した声明を出している。
  

アメリカ人がヌアクショットで暗殺
2009年6月23日 (ロイター、AFP)

 ヌアクショット在住のアメリカ人が6月23日朝、ヌアクショットで銃殺される事件があった。
 
 AFPによれば、殺されたアメリカ人は、十年ほど前からヌアクショットに在住のクリストフ・ランゲ氏(48歳)で、英語を教える一方、ヌアクショットのストリートチュルドレンの生活改善などの支援を行っていた。目撃者の話では、22日朝8時半ごろ、ランゴス氏が車から降りてルクサール区にある事務所に向かって歩き始めた時に2人の白人の一人が鉄砲で撃って、TOYOTAカローラに乗って逃亡したという。            

モーリタニア内務省は、「二人の若者による不愉快な犯行で、ランゴス氏の乗った車が同氏のオフィス傍でストップした際、同氏の頭を拳銃で撃った」と発表した。

 昨年のフランス人4人の旅行者が殺された事件に続き、今回の事件は、モーリタニアの印象を悪化する象徴的な事件となった。クリストフ一家は2006年からヌアクショットに在住し、NGO団体NOURAの代表を務めていた。

◆モーリタニアの政治が再び混沌の渦

2009年6月5日 mauritania-web他
 昨年8月6日以来、クーデターの後に軍部が政権を握って国際社会から非難されていたが、去る6月5日、セネガル大統領をはじめとする国際代表団の説得でようやく終結したと思われた、アブデラジズ元将軍が主導する国家高等評議会が、6月5日のダカール協定に反して、評議会の解散を拒むコミュニケを発表した。

 7月18日の大統領選挙まであとわずか、ようやく民主政治が戻ると期待されていたところだったが、再び政治は混乱状態へ。フランスの外務大臣をはじめ、国際社会から民主政治へ戻すよう呼びかけのコメントが寄せられている。

アブデラジズ元将軍の夫人がパリの大統領宿舎に宿泊

2009年6月22日 (For-Mauritanie))
 パリのモーリタニア大使館公邸で通常、同国大統領用として使われる施設に、クーデターを起こした首謀、元アブデラジズ将軍の夫人、タケイベル・ミント・アハメッドが滞在している。同夫人によれば、「モーリタニアで伝統的な出産法で赤ちゃんを産むより、パリで世界的に有名な先生の元で出産したい」という。もしこの費用がすべて税金から支払われるとしたら、国民に与えるショックは大きい。

 暫定政府の臨時首相であるバー・ンバレに、この首相立候補者の (しかもプッチスト=不当に暴動を起こした一派)の妻が、大統領用の施設を使う権利があるかどうかはっきりさせてもらいたいものだ。

◆7月18日の大統領選挙に向けて、数名が立候補

2009年6月5日 mauritania-web他
 来る7月18日の大統領選に向け、次々と候補者が名乗りを上げる。早くは、FNDD(民主擁護国民党)からメッサウド・ウルド・ブーヘイルが早々に手を上げた。同党は、クーデター前の大統領、シディ・モハメッド・アブダラヒが属する党。
 イスラミストの連合党テワッスール(Tewassoul)からは、モハメッド・ジェミル・ウルド・マンスールが6月13日に立候補。そして、2005年〜2007年の暫定政権で政権を握っていたエリ・ウルド・モハメッドヴァル将軍が、野党の立場から16日に立候補し、これで3人目の大統領候補となった。

◆熾烈なシェア争いを広げるモーリタニアの携帯電話

2009年6月17日 www.beta.mr
 モーリタニアに携帯電話が使われるようになってわずか3、4年。その普及のスピードには驚くものがあり、そのシェアを巡って3社の電話会社が熾烈な争いを繰り広げている。
 普通、一社の電話会社がカバーするのは500万〜3,000万人、フランス(6,500万人)、ドイツ(8,000万人)、サウジアラビアでさえ2社しかない。ところがモーリタニアは、マーテル、モーリテル、シンゲッテルの3社が、300万人あまりの国民を巡って登録者を競い合っているのだ。
 最大のシェアを押さえるモーリテルの契約者は122万人、この数字は国内すみずみまでの有権者数より多い。

 契約者の増加を巡って、それぞれの電話会社が様々な手段を打ち出し、今、最もポピュラーなのが景品が当たるという懸賞のスタイルで、これは形を変えたくじ引き。本来、イスラム教は宝くじや懸賞を禁じているはずなのだが、なぜか、誰もそれを口にする宗教関係者はいない。たとえば、マーテル社が軽自動車を懸賞に出すと、今度はシンゲッテルが違う車種の懸賞を出すという具合。モーリタニア人は、懸賞に当たって家やリッチな車が当たるのが今トレンディのようだ。
 

モーリタニアがワシントンのブラックリストに

2009年6月17日 BBC African
 去る6月17日のBBCアフリカの放送で、「アメリカ合衆国ガモーリタニアをブラックリストに加えた」と発表した。エリトリア、モーリタニア、ニジェール、チャド、ザンビア、スーダンなどがリストに入っており、このリストの対象国にはアメリカからの人道的な支援以外の支援を中止するという。

◆モーリタニア・エアウェイズでボーイング737を2機投入

2009年6月12日 PANA
モーリタニア・エアウェイズという民間航空会社 (ブーアマトゥという、元学校の先生、モーリタニアで今破竹の勢いで勢力を伸ばしている企業家がオーナー)が、107人乗りのボーイング2機をドライ・リーズィング契約により借り入れた。2機の飛行機は、搭乗者107人のキャパがあり、それぞれワラッタ、アルゲンと名前がつく。就航は6月19日、行き先は、バンジュル(ガンビア)、コナクリ(ギニア)、チュニス(チュニジア)、ニアメイ(ニジェール)、コトヌゥ(ベナン)、リーブルビル(ガボン)、ブラザビル(コンゴ)などの新航路開発に向けて投入される。

 モーリタニア・エアウェイズはモーリタニアとチュニジアの融資によって設立された航空会社で、現在はダカール(セネガル)、ラスパルマス(カナリア諸島)、アビジャン(象牙海岸)、パリ(フランス)へ首都ヌアクショットからフライトしている。


◆危機解消に向けての協定にサイン

2009年6月5日 AFP他
 去る2008年8月6日のクーデター以来、アブデラジズ将軍(選挙の為に4月に退任)をトップとする軍部政権がようやく終焉した。ヌアクショットの国会議事堂で行われた調印式は、セネガルのワッド大統領の主導で、国際機関(ヨーロッパ連合、アラブ連盟、OCI=イスラミック会議)が証人として担当者が出席する中、軍部政権グループと軍部に反対する党の代表が参列した。
 政治危機の解消に向けてとられた策は、アハメッド・ウルド・ダダを首とする反軍部派と、アブデラジズ将軍を首とする軍部派の連立。クーデターで軟禁状態にあった前大統領のシディ・ウルド・シェイク・アブラダヒの解任。

 この調印式の間、市内で軍部派のアブデラジズ将軍のポートレートをかざして、「アジズ、アジズ」と叫ぶ女性達十数名を、軍部派が押さえる騒ぎがあった。
 

◆交渉成立

2009年6月3日 AFP他
 モーリタニアの政治危機の解決に向けて、ダカールで、軍部政権の主導者らと交渉がまとまったと、フランス外務省報道官が発表した。

 「合意は、クーデタで大統領職務を追放されたアブダラヒ大統領の立場にも及んだ。ダカールで得られた合意は立派なものである。仲裁役のセネガル政府、アフリカ連合、国際交渉団に敬意を表す。」 (6/2付けPANA発表)。

 交渉に応じたのは、アブデラジズ元将軍の代理人、FNDD党(アブダラヒ大統領の支持派)、RFD党(軍部政権に反対している党)のメンバーで、6月6日の大統領選挙を7月18日に延期することで合意の調印を行った。

 6月6日暫定政府が組閣され、国連が監視に当たる。アブデラジズが進めてきた6月6日の大統領選挙のキャンペーンは直ちに中止し、7月18日の正規の大統領選挙に向けて15人のメンバーによる選挙委員会を設置する。(軍部政権が行っていた)反軍部政権を唱える党派の主導者捜査を直ちに中止し、反対派への弾圧を止める。

 暫定政府の中には、クーデタを起こしたアブデラジズ元将軍が首相として入閣する他、軍部政権の閣僚と、反軍部政権のメンバーが選出される。

 仲裁役を担っていたセネガルのワッド大統領は、6月3日夜、説得役の国際組織グループと、モーリタニアから参加していたメンバーらと共に、調印の儀式のためにヌアクショットに入った。
 
  

◆大統領選挙は7月18日に延期か?

2009年6月2日 APS/APF
 潘基文(パン・ギムン)国連事務総長が、モーリタニアの合法回帰の為の協議に参加している党に向けて、仲裁者に協力するよう呼びかけた、と国連のプレス・リリースが発表。

 ダカールのAPSによれば、モーリタニアの主要3党が、大統領選挙を7月18日、さもなくば8月1日に延期することで合意したという。セネガル外務大臣シェイク・ティヂアン・ガディオが、モーリタニア6党の代表団との交渉の最終コミュニケを読み上げた。

 一方AFPの交渉団筋の情報によれば、交渉はいくつかの合意に達していない点があるようだ。反軍部政権の党は、選挙を安全に実施できるよう、内務相、情報相のポストをなんとしてもおさえたかったが、軍部政権はそれを手放そうとはしないようだ。一方、当のアブデラジズは、ダカールで行われている交渉を無視するかのように、6月6日の大統領選挙に向けて、地方でキャンペーンを続けている。
  

2009年1月以降の軍部政権の動き
2009年5月30日 AFP/Observateur などから抜粋
 2008年8月にクーデタにより、軍部が政権を握った件は先に記載したとおり。その後、国連、ヨーロッパ連合、アフリカ連合、アラブリーグ、フランス語圏インターナショナル機構、フランス政府やアメリカ政府などさまざまな国際機関の代表団が調整を試みてきた。去る2月20日にもパリでこれら国際機関の代表者らとモーリタニアの軍部政権からメンバーが集合して説得を試みたが、失敗に終わった。

 クーデター主犯であり、国家高等評議会の議長となって実権を掌握したアブデラジズ元将軍は組閣し、独自の政権を進めてきた。そして、本年6月6日に大統領選挙を実施するとして、国家高等評議会議長を退任し、4月15日最初に大統領候補に名乗りをあげた。

 他に立候補したのはこの他に3人、イブラヒム・サール、AJD-MR党のリーダーのネグロ・モーリタニア人、そして2人目はカン・ハミドゥ・ババ、国民議会副議長であり、RFD党の2番手だ。3人目はかつての奴隷の末裔と自称するスガーイル・ンバレックで、タヤ大統領時代に首相を務めた。アブデラジズはこの立候補に向け、立候補条件をにわかに「地方議員100名以上の推薦、500万ウギア(約200万円)の保証金、2%(これまでは1%)の投票を獲得できれば保証金返還というルールを定めた。クーデタの際に軟禁されたアブダラヒ大統領のことを考えれば、立候補したところで、再びアブデラジズのような軍部に政権をのっとられる懸念は大いにあるので、当然、主だった政党からの立候補はない。

 選挙をやる前からすでに、アブデラジズが一人勝ちしているような不当な大統領選挙で、FNDD(民主化推進)党や、アハメド・ダダ率いるRFD(民主化急進)党など主要政党が選挙をボイコット。アブデラジズは、5月中旬に、選挙日までデモ禁止を発表し、デモの参加者の1部やアブデラジズを批判するジャーナリストらを弾圧、検挙したりしている。

 去る3月11日には、アフリカ連合から派遣されたリビアのカダフィ大佐がモーリタニアの政治危機の解決に向けて仲裁にヌアクショットを赴いた。ところがなんとカダフィ大佐は軍部を支持するような説得を軟禁中のアブダラヒ大統領にもちかける。「(クーデタで起きてしまった)現状を承認するよう」アブダラヒ大統領に求め、断られた。国際世論がアブデラジズに政権を「正規の民主投票で選ばれたアブダラヒ大統領に戻すよう説得しているというのにである。

 そして、5月末から、セネガルのワッド大統領が仲裁に入り、軍部政権メンバーと数党の代表をセネガルの首都ダカールに呼び寄せ、国連・EU・アラブリーグ・フランス語圏インターナショナル機構の代人らと、解決に向けての会談を進めている。説得グループとしては、
 1)大統領選挙の期日の延期
 2)新しい内閣を組織
 3)独立した国民選挙委員会の設置
 4)拘束中の政治犯の釈放
を求めようとしていた。

 クーデタ以降、在ヌアクショットアメリカ合衆国大使館は、毎週声明を出して、軍部政権に対しアブダラヒ大統領に政権を戻すよう呼びかけ、6月6日の大統領選挙も承認しないといの立場だ。一方、フランス政府は、経済制裁を進め、アメリカと同様の民主政権に戻すよう進めながらも、国家高等評議会とは友好的な関係あった。

  

パリ〜アタールのフライトが再開される

 2009年5月17日   AFRIK COMより
 モーリタニアでは、2007年12月から観光客が激減し、パリ〜アタールを週1便フライトしていたフランスの民間飛行機ル・ポワン・アフリックも高校を中止していた。
 観光客激減の原因は3つ : 2007年12月に南部の希望街道沿いの町アレグで、フランス人観光客5人が強盗に襲われ、そのうち4人が死亡した事故。 そして、2008年1月、フランス外務省の指導により、ダカール・ラリー2008が中止になったこと。そして、2008年8月のクーデタによる政権交代。

 これにより、2007年に12,000人いた外国からの観光客が、2008年には1,000人になってしまった。

 今日、フランス政府とモーリタニアの旅行関係者が、モーリタニアの観光復興に向けての対策を協議しあった。
 そして、モーリタニアの主な観光地の安全性、サハラ砂漠の美しさを強調し、観光客の誘導を図ることで合意した。
 
 観光客にとっての良いニュースは、フライトが中止していたル・ポワン・アフリックが2009年10月から運行されることだ。10月25日にパリ→アタールの最初のフライトが、そしてシーズン中2010年5月2日まで、週1便のフライトが予定されているという。
 
 ル・ポワン・アフリックのチャーター機はパリ〜マルセイユ〜アタールを週一便フライトし、491ユーロ(約\66,000)〜と格安価格。 シンゲッティのオーベルジュ・エデンのオーナーでもあり、ウォーキング・ツアーや4×4車のツアーも企画している。

早婚の習慣が密売に

 2008年12月17日   AFRIK COMより
 自分の娘を外国の金持ちに嫁がせる、そんな密売が一部流行しているという。
 「わずか6,7歳になった地方の少女を、湾岸諸国の金持ちに嫁がせる、それはかねてよりひそかに行われていたが、最近は都会の娘も対象になり、新しい商売となっている。」ヌアクショットの社会学者シディモハメッド・ウルド・ジィッドが指摘する。
 「かつて、年若い少女を金持ちに嫁がせことは、嫁ぎ先の慣習になじませ、シンボル的要素が強かったが、近年は少女の売買となってしまっている」と同氏は続ける。

 貧しい家庭が、娘を一人金持ちの男に売ることで大金が転がり込む。早婚が利益を確約してくれるのだ。美しさと年齢で娘の値段が決まる。若ければ若いほど良いのだ。少女は一人4,000ドル〜数十万ドル。密輸入者は少女の売買取引で、飛行機代から少女の滞在先まで支払う。

 ウムレックハリ・ミント・シディモハメッド、14歳の少女は8歳のときにマリの国境そばの村から、父親に連れられ、ヌアクショットに住む叔母の家に連れてこられた。そして、サウジアラビアの金持ちに売られ、その家の使用人にされ、暴力を受けた。父親は、交渉の末、離婚したが、その後再び彼女の人身売買を試みた。 
 現在彼女はIRINの仲介で、ヌアクショットに戻り、学校に通っているが、少女時代の体験は彼女の心に傷を残す。

 モーリタニアでは法的には18歳から結婚できるが、イスラム教では6歳の少女でも結婚できるとされている。政府では、早婚の正確なデータはつかんでいない。国連の数字によれば、2006年には1,400万人の18歳以下の娘が、アフリカのサブ・サハラ地域で結婚したという。

 

◆フランスのセメントメーカー、VICATがモーリタニア進出
2008年11月20日 CITYMAGより
 フランスの大手セメントメーカー、VICAT社が10月中旬、モーリタニアのBSAセメント社の株65%を所有し、モーリタニアに進出すると発表した。BSAセメント社はモハメッド・フマイエン・ブアマトゥ(Mohamed Hmayen Bouamatouが率いるモーリタニア最大のセメントメーカー。アミティエ港そばの工場で年間45万トンのコンクリートを製造している。
 VICAT社によれば、モーリタニア全体でのセメントの年間消費量は昨年度で70万トンを超え、年間7%の増加率だという。そして、同社は世界の11カ国に進出し、2007年の売上げは200万ユーロを超え、アフリカ・中近東での売上高は12,3%増だった。

◆ビンター・カナリア航空がモーリタニアから撤退
2008年11月20日 CITYMAGより
 スペインの航空会社ビンター・カナリア航空がモーリタニアへの航行を11月中旬をもって中止する。一方、モーリタニア・エアウェイズが同路線に参入が決まっている。

◆モーリテル、売上げ減
2008年11月20日 CITYMAGより
 モーリタニアでは携帯電話がモーリテル、マーテル、シンゲッテルの3社がシェア争いをしているが、2008年上半期の売上げは7200万ユーロ、前年度比1,7%マイナスとなった。固定電話の設置が激減したことによる影響。

◆鉄鋼収入の予測
2008年11月20日 CITYMAGより
 経済・開発省によるSNIMの売上げ2008年ー2010年の中期予想によれば、2008年度は52,100万ドル、2009年度は49,600万ドル、2010年度は40,600万ドル。鉄鋼石の単価が2008年には単価が78ドルUS/トンだったが、2009年の45ドルUS/トン、2010年の31ドルUS/トンに減少するとの見解による。
 モーリタニア鉱業省(MCM)によれば、2009年の 年間収入予想額は24,600ドルUS: 銅の単価 7,000ドルUS/トン、金600ドルUS/オンスを基準とした場合。
 このうち2,2%にあたる540万ドル/年間が国に治められる計算だが、現行の単価は銅の4,800ドルUS/トン、金750ドルUS/オンス。Tasiast Mauritanie LTDの収益増により、国は720万ドル/年間、3%、210万ドル増が見込まれている。

EU,アメリカ、世界銀行などからの支援・貸付が凍結され、その影響は?
 2008年9月19日    IRIN
  国連調査によれば、モーリタニアは食糧の約70%を海外から輸入、100万人以上(3人に一人)が慢性栄養不良に陥っているという。今回のクーデターにより、アメリカ、ヨーロッパ連合、世界銀行などが支援をストップする経済制裁を行っているが、これが軍部だけでなく、一般の人々の生活にのしかかっているという見方もあるようだ。

 IRINは、ヨーロッパ連合、アメリカ、世界銀行で支援ストップしている金額は5億ドルUSに上ると推測する。これら支援・貸付金は、本来、地方開発、教育・衛生の向上、地雷除去、平和維持、アンチ・テロ対策、軍部トレーニング、ロッソ〜カエディなどの道路建設などに向けられるものだった。

即効果の出にくい経済封鎖
 世界銀行が凍結している900万ドルUSは、人道・食糧支援とはかかわっていないものである。モーリタニアの最大の支援組織、フランス開発期間(AFD)も緊急支援を除く支援を停止していると、在ヌアクショット・フランス大使館のフラット外交官は説明する。「AFDのプロジェクトは数年にまたがるようなプロジェクトが多いので、軍部政権にすぐに反映できないかもしれない。1憶ユーロを3年間で支払うというような支援もあるので」
既にいくら支援し、今後いくら支払うのかという詳細は明らかにしてもらえなかった。

ヨーロッパ連合の支援凍結
 ヨーロッパ連合は、モーリタニア海域の漁業に対し、去る8月31日から向こう4年間にかけて、3億ユーロを支払うとの協定を交わした。この協定の実施前にクーデターが起こり、資金の送付がストップしたままだと、ヌアクショットのEU連合の代表、ストラマー氏が語る。2013年までの支援金 (ロッソの道路建設費など、人道・食糧にかかわらない)2億3000万ドルUSの支援金も、凍結の可能性があるという。道路建設などにかかわる地方の企業に即響いてくるので、支援凍結の反響はすぐに現れるのではないかと同氏は語る。

世界銀行の場合
 世界銀行は地方開発、衛生、教育、インフラストラクチャー、道路建設などの為に4憶ドルUSの貸付供与が予定されており、それを凍結することになったが、そのうち17の支援・貸付プログラム、1億7500万ドルUSは凍結解除したと発表。 
 ヌアクショットで官庁不在の折、世界銀行担当者と軍部政権の担当者との接触がなく、「食糧支援の為に900万ドルUSが凍結解除しなければならないのに、その実施にはインターナショナル共同体と軍事政権の協議が条件付けられているので、実施が進まない」と述べる。

 国連モーリタニア支部のコーディネイター、マリア・リベロは、これら支援凍結が長期にわたると、人道的な重大は問題を引き起こす可能性があると語る。しかし、軍部政権は、EUやアメリカなどからのアブダラヒ大統領復権解除には応ぜず、9月1日に新内閣を発表、次の国民選挙まで政権を握るというスタイルを譲らない。
 
 

軍部によるクーデターとその後
 2008年9月14日    (8/8〜9/14のAPF、AMIなどの情報をもとに筆者がまとめたもの)
 去る2008年8月6日、軍部によるクーデターが発生し、アブダラヒ大統領、ワグフ首相、内相が拘束された。大統領警護隊長モハメッド・ウルド・アブデラジズがその日の朝、アブダラヒ大統領から解任の命令を受け、すぐさま、クーデターに踏み切ったのだ。アブデラジズは軍部の首謀5名と共に、大統領府、首相府、テレビ・ラジオ局、空港を押さえ、その日のうちに世界に向けてアブダラヒの退任を報道した。

 アブデラジズはその前の2005年8月に先のタヤ大統領を無血クーデターによって国外追放し、2007年3月の国民選挙までの、軍部暫定政権の中心人物だった。クーデターをおこした軍部は、「正義と民主主義のための軍事評議会」を設立、エリ−大佐をトップに、2007年3月の大統領選挙までの民主化プロセルを進める。実質的にはアブデラジズら首謀者が政治を動かし、エリー大佐は象徴的代表といわれる。大統領的役割を果たしていたエリー大佐は、大統領選挙には立候補せず、今では、クリアな政治を行った軍人として、国内外から講演などを依頼され、ヌアクショットからアタールへ向かう道路沿いに広大な地所をもらいうけ、悠々自適の生活をしている。

 一方、大統領警護隊長として、2007年3月以降、大統領を補佐していたアブデラジズは、他の国家警察、地方警察のトップの3名の交代という命令をいきなり8月6日にアブダラヒ大統領から受ける。クーデターを起こした後、11人の軍部主導者によって「高等国民評議会」を設置、大統領権限を合議的に執行すると発表。
 その後、8月14日にムーライ・ウルド・モハメッド・ラグダフを首相に任命、9月1日には22名の大臣による新内閣を発表した。

 しかし、クーデター当時から、欧米諸国、アフリカ連合、アラブ連盟から非難を受け、アブダラヒ大統領を復権させるよう求められてきた。アメリカやフランスは、支援凍結を検討すると発表してきたが、この新内閣に対しても、アメリカやフランスは公認しないと大使館を通じて発表した。おいては、新内閣や軍部政権メンバーの入国に対しても禁止すると発表。

 モーリタニア国内では、モーリタニアテレビ局やラジオ局が「高等国民評議会」によって握られているため、政治的な話題はすべて、高等国民評議会寄りのないように限定されてしまっている。モーリタニアの一般の人々は、アル・ジェジーラや他のアラブ諸国、フランスの国際放送などのテレビ放送を見ることができるので、そちらからモーリタニア関連の国際的な情報を得ている有様である。
 
 クーデターから1ヶ月あまり、軍部政権に対して、クーデター当初意見を示さなかった政治の派閥や地方議員などが徐々に賛成、反対の意思を示し始めた。9月2日には、50あまりの市町村の長が新内閣の不支持、アブダラヒ大統領や首相の解放を要求した。政党の中で最も政界で人数の多いRFD、他にFNDD,APP,PNDDといった数党も新内閣の不支持を表明している。
 

元大統領の息子が麻薬取引で逮捕
 2008年9月11日   APA
 APA筋によれば、1980年から1984年モーリタニアの大統領 モハメッド・フーナ・ウルド・ハイダラの息子、シディ・モハメッドがモロッコで麻薬の密売の容疑で起訴されたという。去る2007年末、アガディールで18kgのコカインの密売取引をしているところを現行犯逮捕され、その一味と大統領息子シディ・モハメッドが関わっていた模様。本日裁判が行われ同犯者が起訴に答えたが、来月16日に元が法廷に呼び出されている。

◆2ヶ月間、漁業禁止
APA 2008年9月2日
 沿岸漁業リソース保護のため、9月1日から10月31日まで、モーリタニア沿岸での漁業が禁止になる。ヌアディブ海産物・漁業研究所の要請を受け、4月1日〜5月31日の、年2回の漁獲停止期間を設置することになったもの。ティミリス岬南部、ヌアディブ周辺、ヌアクショトまでの海岸線の一部の地域、深海物捕獲やトロール漁業に対しては特例が設けられる。

 

◆世界銀行がモーリタニアへの支援強化
APA 2008年5月29日
 ワシントンの世界銀行が、IDA(国際開発協会 Association internationale de Developpement)がモーリタニアの経済開発に向けて500万ドルUSのクレジット授与を承認したと発表。
 同資金は、モーリタニアの貧困層の縮小、失業者対策、雇用創出、プライベートセクターの競争力の強化に向けたもので、予算700万USドルのうち、モーリタニア政府が200万、IDAが500万USドルを捻出する。

◆イスラミック開発銀行(BID)が4,000万ドルの供与
2008年5月19日 APAより
 モーリタニア情報機関AMIが本日発表したの公式コミュニケによれば、イスラミック開発銀行が、モーリタニアに対し、食糧支援として4,000万USドルの支援に調印したという。
 モーリタニアは、雨不足による穀類・野菜の不作、水害、世界的な物価高騰により危機的な食料問題にあって、自給作物が1/4以下に落ち込んでいる。政府はそれに対し、先だって最低限必要な物資(小麦、畜産用餌、水、電気、ブタンガス)に対して補助する特別補給プログラムを推進してきた。
 この特別補助プログラムにより、小麦や畜産用餌の値段が7500〜8,000ウギア(3,400円〜3,600円)で市販されていたものが、4,000〜5,000ウギア(1,800円〜2,250円)に抑えられた。イスラミック開発銀行の支援は、同プログラム推進の費用に当てられる。
 アブダラヒ大統領は、去る4月5日に同プログラムを発表すると共に、5月5日ロッソで、農業開発への積極的な働きかけを表明したばかりだった。

◆アティジェリワファ銀行(Attijariwafa Bank)がモーリタニアで開行
2008年5月14日 APAより
 モロッコの大手銀行グループ、アティジャリワファ銀行が、モーリタニアに支店を開設すると、同グループ代表モハメッド・エル・ケッタニ氏がダカールで発表した。

◆セネガル川からヌアクショットまでの用水工事、アフトー・エッサヒリプロジェクトに対して、84億1,600万ウギアの追加支援
2008年3月17日 AMIより
  本日、モーリタニア経済財務相、アブダラハマン・ウルド・ハッマ・ヴェザズと、クウェート経済開発財団、副会長M.ガネム・スーレイマン・エル・グーネイマンが、モーリタニアに対して100億クウェート・ディナール(約37億8720万円) の基金に調印した。

  同資金は、セネガル川から首都ヌアクショット(200kmあまり)まで、水道管を引いてヌアクショットの飲料水を補給するための工事、アフトー・エッサヒリ・プロジェクトに対し、2ヶ所のステーションと水道管購入費などに当てられるもの。
  同プロジェクトに対し、同クウェート経済開発財団からは既に100億クェート・ディナールの支援を授与していたが、今回、モーリタニアの資材などの高騰による追徴金の支援要請を受け、それに応じた。

  これまでクウェートがモーリタニアに対して行った貸付は1975年以降既に14件、金額にして2億3、000万USドルに上る。
  

◆モーリタニアとヨーロッパとの漁業交渉、決裂
2008年3月13日 APAより
 モーリタニアとヨーロッパ連合との間で、2006年から2012年の漁業交渉がヌアクショットで行われていたが、交渉がまとまらず決裂に終わった。

 モーリタニア海域の漁業において、200隻あまりのヨーロッパ漁船(ほとんどがスペイン船)のエビ・カニ類、メルーなどの深海物、頭足類(いか、たこなど)、遠洋魚の捕獲が認められていた。 これに対し、モーリタニア側は、ヨーロッパ連合に対して10800万ユーロのリベートを受け取っていた。

  魚介類の過剰捕獲により、9月〜10月、2ヶ月間の漁業禁止区間を設けることになり、ヨーロッパ連合がこの間のリベートを引き下げるか、4,5月に期限を変更するよう要求、双方とも折り合わず決裂に終わった。次回の交渉日程も決まっていない。

◆ドイツの経済・テクノロジー相がモーリタニアを訪問
2008年3月30日 ANIより
 ドイツのミカエル・グロス経済・テクノロジー相が3月29日よりモーリタニアを公式訪問している。2日間の滞在中、アブダラヒ大統領、ゼイダン首相と会談の予定。その後、同相は同行した代表団らと共に、モーリタニアの経済金融大臣アブデラハマン・ウルド・ハマ ヴェザス、個人投資プロモーション委員代表のモハメッド・アブダラヒ・ウルド・ヤハ、商工会議所会頭他、企業数社と会談する予定。
 

◆ボゲ〜ロッソの道路の一部、ロッソ〜レグエイバ間の建設を中国が落札
2008年3月27日 Nouakchot Info Quotidien より
 モーリタニアの南部ボゲ〜ロッソの舗装道路の入札が提示されて数週間経ち、提出案件がテクニカル委員会で審査が進められてきた。選定された企業は、中国のCOVEC社、モロッコのHOUAR SINTRAM、 モーリタニアのTRM(モーリタニア道路工事社)、セネガルのLefebvreグループで、他の中国企業やモロッコの企業2社は経験不足などの理由により選定からはずされた。
 今回のロッソからレグエイバ間の道路工事およびロッソ市内の道路網整備12kmにつき、モーリタニアのTVM社は173億ウギア (=約8,1億円)のオッファーを出したが、一方中国COVEC社は172億ウギアで申請。

 いったんモーリタニアのTRM社が決まったが、意義が持ち上がり、首相へ直訴するほどの騒ぎになった。結局国際的な監査を受けて、技術力のある中国のCOVEC社が落札することになった。

2008年は食料安全の危機
2008年3月20日 Jeune Afrique誌
 食料の70%を輸入するモーリタニアは、2008年かつてない深刻な食糧危機に見舞われると、食料安全のエキスパートが予告している。
「2008年は食料危機に関するすべてのファクターが起こりうる。石油価格の高騰、原料の高騰、食料の高騰、海上輸送の主な航路の再編成、ドルの弱化...など。」と国連の世界食料プログラム(PAM)の代表、ジャンカルロ・キリは述べる。

 2007年9月の、モーリタニア厚生省とUNICEFの調査によれば、2007年度同国の、極度の栄養失調は国民の11,9%にも達する。同調査で、5人に1人が適切な食料を得ておらず、17のコミューン(村落)が極度の食糧危機に瀕しているという。4月に発表予定の政府とPAMとの合同調書によれば、年間を通じて十分な食料を得ることのできない家族が15%も増加したという。

 「今、食料の高騰と穀物の品不足が深刻な問題となっている」とキリ氏は説明する。モーリタニア南部のセネガル川沿いの農作地帯で、燃料価格が0,77US$から1,5US$と1年で約2倍に高騰した。2007年5月から2008年1月で、モーリタニアの小麦、モロコシは40%も値上がりした。2007年末、食糧価格の高騰に抗議してデモが行われた村落もある。

 2007年政府は320万US$の食糧安全に向けての開発基金を充当し、1200自治体の穀物倉庫を補充した。しかし、2008年度は「価格の高騰により」十分なストックができず、さらなる食糧危機に瀕しているという。

◆2007年度フランスとの貿易
2008年2月27日 在ヌアクショット・フランス大使館インフォメーションより
 2007年度のフランスとモーリタニアの相互取引についてのデータが発表された。
 ストックで、フランスはモーリタニアへの投資のトップ、続いて、オーストラリア、カナダ、スーダン、アラブ首長国、モロッコと続く。それ以外のサウジアラビア、カタール、クウェイト、中国がこれらトップ投資国を追い越す勢い。
 フランスのモーリタニアへの直接投資ストックは、2005年は2,400万ユーロ、2006年1,100万ユーロ。

  モーリタニアのフランス系企業は50社、そのうち33社がフランス系企業の子会社。
ホテル業 (Accor)、輸送業(エールフランス、エールモーリタニア・カーゴ、Servair, Saga),通信業 (Vivendi), 農産加工物 (Grands Moulins de Mauritanie)、セメント業 (Cimenteri MAFCI),自動車 (CFAO)、 建設業(Sade、Razel) 電気(Forclum, Pielstick)、クレーンレンタル(Mediaco)、エンジニアリング(Apave)、保険(Gras Savoye, AGF)、ごみ処理(Pizzorno)、銀行(Societe Generale, BNP Paribas)。石油関連ではTOTALE&P, Schlumberger, Friendlander。

過去10年の輸出入額 (単位:百万ユーロ)
 
年度   輸出    輸入 
1998年 127 85
1999年 122 88
2000年 164 108
2001年 158 53
2002年 146 91
2003年 130 84
2004年 116 77
2005年 156 98
2006年 126 128
2007年 201 136


子供たちの立場が危ない!UNICEFが緊急報告
2008年2月17日 APANEWS

 5歳以下の8人に1人の子供が死んでしまう、1ヶ月未満で死んでしまう幼児が2人に1人、というショッキングなニュースが、2月17日、ヌアクショットの記者発表で、ユニセフ・モーリタニア代表のクリスチャン・スクードにより発表になった。

 「世界の子供の状況」の年間報告の中で、同氏は、「モーリタニアでは1000人に対して122人が死亡している」と最近の特に増加している子供の死亡について述べた。
 「2007年に、麻疹(ハシカ)で死亡した子供は11人。その前の年は数百人が死亡していたから、非常に改善された。」とモーリタニア政府の「多大な尽力」に敬意を表しながらも、同士は、緊急事態を報告する。

 近年、モーリタニア厚生省とユニセフ、世界保健機構が提携して、モーリタニアにおける子供の寿命の延期対策がとられ、子供の死亡率を引き下げる抑制措置が進められていた。とりわけ、出産の際の介護をする人や、新生児の養護人を派遣し、乳児の養育費を賄えない家庭に負担するという対策が講じられている。

 そして、対策には、水質の改善、トイレの設置、エイズ/・HIVの母から子供への伝染予防、適切な栄養(特に6ヶ月までの新生児)などを盛り込まれている。

 伝染病にかかるのを防ぐ効果の高い6種類のワクチン、亜鉛の投与により脱水症を治療する方法、栄養サプリにより滋養分の補給、特に免疫を強化するビタミンAの補給が強く勧められている。また、マラリアの伝染を抑えるために、カヤ(蚊帳)や予防薬も推奨されている。

 スクード代表は、アフリカのサハラ砂漠以南地域における子供の状況に触れ、「緊急事態」であるとし、「むしろ悪化が進んでいる」とも述べた。同地域では、6人に1人の子供が5歳になる前に死亡していると指摘した。この原因を、地域内紛争、自然災害、エイズ、貧困、インフラストラクチャーの不備、健康への予備知識の不毛によると述べている。

 

イスラエル大使館襲撃犯、テロ容疑で3人が取り調べ
AFP  2008年2月26日
 2月26日、ヌアクショットにあるイスラエル大使館を襲撃した容疑で、モロッコ人2人とモーリタニア人1名の3人が取調べを受けたとAFPが発表した。

 海外に逃亡していたモロッコ人1人とモーリタニア人1人が、海外のモーリタニア在住者に対してテロ行為を行ったとして、また、もう一人のモロッコ人はテロを擁護・暴力扇動の容疑で取り調べられたという。

 3人のうち、モーリタニア人は留置所に入れられ、残り2人に対しては国際逮捕の手続き中だという。
去る2月1日にヌアクショットにあるイスラエル大使館が襲撃された事件で、犯人11人のうちこの3人が容疑を受け取調べを受けた。この中には2006年4月にモーリタニアの刑務所を逃亡、隣国のセネガルに逃亡していたアルカディム・ウルド・エスマンも含まれると見られている。また、2名のチュニジア人容疑者も含まれている。

 イスラエル大使館の襲撃事件で、大使館関係者にケガはなかったが、その近所のレストランでフランス人女性一人とフランス系モーリタニア人の男性二人がケガをした。

 モーリタニアはアラブ諸国の中でも、エジプト、ヨルダンと並んでテロ問題の希薄な国とされ、イスラエルと良好な関係にあった。モーリタニアは1999年以来、イスラエル大使館がモーリタニアに開設され、良好な国交関係だと表明している。


◆モーリタニアで最も活躍する企業家、モハメッド・ウルド・ブアマトゥ(Mohamed ould Bouamatou),55才にインタビュー
2008年2月17日 AFRIMAGより


ブアマトゥ氏は、銀行・保険会社・工場経営、販売、新モーリタニア・エアウェイの株主、マーテル(電話)社の経営者でありながら、いっかいの教師つまり公務員という肩書きを持つ、モーリタニアきってのビジネスマンである。ほとんど日中は、市内の学校で教鞭をとる。

今ブアマトゥ氏がとりかかっているのは、ヌアクショットから数km先にセメントの製造・梱包工場の建設することで、4,000万ユーロを投資した。セメント業はモーリタニアでは今建築ラッシュの折、MAFCI(フランスとモーリタニアの合弁セメント企業)とCM(モーリタニア・セメント公団)の2社の独占市場で、価格はこの2社にコントロールされている。ブアマトゥ氏はこのセメント市場にメスを入れたいと参画することにした。
一方、国営企業エア・モーリタニアが企業の退廃により法的清算を受けたのを機に、モーリタニア・エアウェイ社を2006年12月に設立した。モーリタニア・エアウェイ社は資本金1,000万US$で、去る12月7日から航行をはじめた。株主はチュニスエア社(51%)を筆頭に、モーリタニア政府(10%)、ブアマトゥ氏が39%を持つ。

1953年生まれ、商業にたけたウレド・ベスバ(Ouled Besbah)ファミリーの一族で、親類に元大統領モハメッド・バル氏もいる。エコール・ノーマル校の教員資格を持ち、「少しだけ教えている」。22歳で起業家に仲間入りし、叔父の経営するSOMIPEX(輸出入業)社に入社した。「自国で製造する工場もなければ、経営に関するカルチャーもないモーリタニアで、輸出入業はまさに金を生む仕事だった」。1977年、SOMIPEXに入社して2年後、ブアマトゥ氏は同社の副社長になった。そして、その傍ら、夜間学校で経営を教えた。

同氏は間もなく、ヌアクショットのメディナ区にパン工場を作り、販売網を組織する。仕事はうまくいったが若いブアマトゥはこれで満足しない。1983年、政府が設立したばかりの国民開発基金から融資を受け、製菓業COGITREM社を設立する。キャラメルや飴などの菓子の製造業で、製品はモーリタニア、マリ、セネガルで売られ、現在も経営を続けている。

1980年代、スペインのブイヨンのメーカー、JUMBO者の経営者ガリナ・ブランカ(Gallina Blanca)と出会い、モーリタニアの販売権を得る。有名なブイヨンはモーリタニアを除くアフリカ全土で売られていた。圧倒的シェアを持っていたマギーのスープを押しのけ、ジャンボのスープはモーリタニアでほとんど独占販売となった。さらにフィリップ・モーリス(タバコ)の販売権も得た。続いて、日産の特約店になり、政府の公用車のディーラーになる。

1995年、元公務員はGBM(モーリタニア・ゼネラル・バンク)を設立、銀行家となった。モーリタニア初のプライベート銀行である。農業・漁業のプライベートセクターに融資し、あっという間に、モーリタニアで最もアクテイブな銀行となった。さらに、保険会社AGM(Assurances generales de Mauritanie)を設立、2000年、チュニジアのテレコムとタイアップしてモーリタニア初の携帯電話会社マーテルの設立に参加する。

多くの政治家に寄付しており、タヤ大統領もモーリタニア、マリ、セネガルでブアマトゥ氏からかなりの金が出ていたと見られているが、本人は政治は興味がないという。


モーリタニアにイスラム系銀行が設置
XINHUA 2008年2月26日
 モーリタニアにイスラム系銀行 「アル ワタニヤ (Al Wahaniya)」が開設されることになった。モーリタニアの大金持ち事業家モハメッド・ウルド・ヌエイゲド(Mohamed oule Noueighedh)グループと提携。
 新アルワタニヤ銀行は、モーリタニアの40%の金融を担い、同国における良好な資金回転を招くことになろうと、モハメッドマハムー・ウルド・ベイ頭取は、APAに報告した。

 同国では多くの事業家が、特に貸付、利息でトラデッショナルな銀行が不法な取引を行っているという。

 ベイ頭取によれば、当銀行によるトランザクション取引は、シャリア(イスラム法律)の指示に従って、事前に専門家シェイクモハメッド・エルハッサン・ウルド・デドウ(Cheik Mohamed El Hassen ould DeddeW)氏が担当するという。

 モーリタニアには既に12の銀行があり、そのうち2行は、ソシエテ・ジェネラル、パリバのヨーロッパ系銀行。

 過去に海外取引を行う銀行が設立しかけたが、手続き・ファイナンシャル関係で実施にいたらなかった。



カエディ、洪水から半年経って今は?

Nouakchott Info紙 2008年3月2日
 モーリタニア南部、セネガル河域の都市、カエディでは、昨年9月27日の洪水の被害を受け、1,188ヘクタールもの水田が被害にあった。水田経営者らは、全て失い、何も収穫できなかった。そしえ、2008/2009の耕作が手付かずのまま、助けを求めている。

 去る2007年9月27日、PPG II水田地域で、やっと堆肥をまき終わったばかりの耕作地が洪水の被害にあい、24時間以上も田が水面下になるという事態がおきた。この被害で1人が死亡。

 SONADERの農業指導員は、至急、田から水を排水するよう指導した。
 
 1997年〜2007年の10年間で、PPG II水田地域では、1,188ヘクタールの水田を開発し、カエディ、ジェオル、ガンキ、レクエイバなどの町村の人々が、水田を営みようやく、自給できるまでになったところだった。

 洪水の被害から半年経って、農民らはぼうぜんとしたまま立ち直れない。2003年以降、鳥の被害で耕作は悪化するばかりだった。

 

モーリタニア・エアウェイ、最初のフライト
Jeune Afrique誌  2008年2月27日


 エール・モーリタニアの長い終焉の最後のエピソードとなった。去る1月17日、ヌアクショット商業裁判でエール・モーリタニアの解散が決定されたのである。モーリタニア独立の翌日設立された、同航空会社はモーリタニア国威のシンボルのようなものでもあった。1990年はじめ、経営の一部が個人化(政府は39%の株を所有していた)し、それでも国で唯一の航空企業として最近まで存続していた。去る9月に、エール・モーリタニアはフライトをストップ、アメリカのILFC(インターナショナル・リース・ファイナンス・コーポレーションに、同社が運行する2機のレンタル料300万ユーロの支払いを求められていた。長年にわたるずさんな経営の結果、資本金2,200万ユーロの同企業は3,000万ユーロもの借金をかかえ、去る12月から再生を試みたが、結局再建不能とされた。

 一方、チュニスエアー51%、モーリタニア個人企業ブアマトゥガ39%、モーリタニア政府が10%の投資により設立したモーリアニア・エアウェイが、1月よりフライトをはじめた。




ヌアクショットのイスラエル大使館が襲撃
Le Quotidien紙  2008年2月1日
 イスラエルが「テロの仕業」と発表した。そしてモーリタニアとの関係に重大な事件と、在ヌアクショットイスラエル大使が述べた。

 証人によれば、6人の男が自動拳銃で大使館に向けて発砲し、通行人や近くのレストランの客に数人けが人が出たという。大使館のガードマン、モーリタニアミリタリーが反撃し、襲撃集団は逃走した。

 外務大臣 アレイ・メカル(Aryeh Mekel)は「当国に古くからある大使館を襲撃するのはテロの常套手段だ。モーリタニアはアラブの国の中で、エジプト、ヨルダン、イスラエルと良好な関係にある唯一の国。イスラエルとモーリタニアの国交に重大な影響を及ぼしかねない」と発表した。

 在ヌアクショット・イスラエル大使ビスムツ(Bismut)は当大使館の襲撃者に反撃したと「モーリタニアの警備員のセキュリティ・サービスと協力」を褒め称えた。同大使は、イスラエルラジオのインタビューで、「金曜日夜中2時過ぎ、一人の男が大使館に向けて発砲した。大使館には誰も折らず、けが人は無かった。」

 一方モーリタニア大統領は「この襲撃は、モーリタニアでのイスラエル大使の存在の重圧が増していることを示している。イスラエルに対して恥ずかしい行為だ。両国の関係を再確認する必要がある」と述べた。
 モーリタニア大統領が、国交を見直さなければならないと述べたのは初めて。タヤ大統領の1999年以来、良好な関係にあった。


ヌアクショットのイスラエル大使館が襲撃
Le point Afrique誌 2008年2月1日
 去る金曜日夜、ヌアクショットのイスラエル大使館が何者かに襲撃された。大使館員、ローカルスタッフにケガはなかったと、イスラエルビスムツ大使(Boaz Bismuth)。

 襲撃したのは3人と見られ、夜中2時ごろ、"アッラ−・ウックバー" と叫びながら、市内中央に位置する大使館に向かって発砲した。そして、50mほど離れた飲食店にも弾は届き、オーナー他1人がケガをした。車で通りがかったフランス人にも銃弾が向けられ、軽症ながら、フランスで治療の為、夜の間に空輸された。フランス政府によれば、他に2人、フランス人がケガをしたという。

 アル・アラビヤTVでは、大使館付近にストップしていた車に3発射撃されるところを放映している。

 これまで良好な関係にあったモーリタニアとイスラエルにとって非常に悲しいことです」と大使は打ち込まれた銃弾を示しながら語った。「外国の大使館に銃を向けるとは、とんでもない重大な事件だ」と続けた。

 イスラエルのラジオ局はモーリタニア当局の国防責任者に、同国の安全対策についてインタビューし、「許しがたい不幸な事件」と、世界中に警告した。

 モーリタニアでは去る12月にフランス人旅行者4人が殺され、ダカールラリーが中止になったばかりだった。それから数日後、モーリタニア人ミリタリー3名が襲われ、アルジェリア系戦闘グループ、アルカイダ・マグレブ・イスラミックの仕業だとされた。
 仏人旅行者殺人の容疑で、ギニア・ビサウで2名が逮捕、アル・カイダの一味と主張している。

 「一ケ月の間に3度も襲撃事件があるとはとても残念で、許しがたい」とモーリタニア元外相アハメドゥ・ウルド・アブダラヒはソマリアで行われていたONU会議の場で述べた。「私どものような小さな国で、このようなことが起こるわけが無い。モーリタニアはアラブ諸国の中で、エジプト、ヨルダン、ユダヤの国と良好な関係にある唯一の国だ。この絆を断とうと、ガザの集団が仕組んだに違いない。

 アメリカをベースとするグループのインターネット、インテル・センター(IntelCenter)で、アルカイダのNo.2、エイメン・アル・ザウアリ(Ayman al Zaouahr)iが2007年2月に、幾つかの大使館襲撃を予告していた。
 「アルカイダはモーリタニアにはいないが、広大な国土なので、アルジェリア、モロッコ、マリとの国境に、アルカイダに近い人間が侵入することがありうる。」 とジャミール・ウルド・モハメッドマンソン(Djemil Ould Mohamed Manson) モーリタニア・イスラミック穏健党代表 RNRD が述べている。

テキスト:Daniel Flynn, Nicolas Delame, Jean-Philippel


エール・モーリタニアの今後は?
Marianne Meunier  2007年10月14日
モーリタニア国営航空会社エール・モーリタニアを救う為、株主らが責任者らに詰め寄った。

 ヌアクショットでは初めてのことだった、国主が国連総会に出席するのに自国の国営航空会社の飛行機で出かけないのは。大統領アブダラヒをヌアクショットからニューヨークまで送り届けたのは南アフリカ航空だった。大統領が自国に対して不謹慎といわれそうだが、こうするしか選択肢がなかったのだ。

 去る2007年9月5日から、エール・モーリタニアの2機のボーイング機(これが同社が所有する全部の飛行機)は、パリのオルリー空港にストップしたままなのだ。同機をレンタルしている、米企業インターナショナル・リース・ファイナンス・コーポレーション(ILFC)が未納金300万US$を理由に飛行機を凍結した。残念ながら、どうころんでもエア・モーリタニアはこの金額を払えそうにない。南アフリカのインターエアーの飛行機を借りて、一時しのぎのパリ〜カサブランカ間をフライトしたが、ついに運行を止めざるを得なくなってしまった。ラストフライトは10月3日に上る。

 エール・モーリタニアの社員らに聞いてみると、数年にわたるずさんな経営管理から今日の結果は明白だったという。「1980年中盤、社長のイスが政治に使われ、ある企業家に上げてしまった」と人事責任者モハメッド・ウルド・シダハメッドは説明する。「航空輸送の知識もなければ、経営もわからないのは明らかだった」。
 「エール・モーリタニアは現金のなる木、大きな金づるだった。航空券の売り上げを取り上げて管理に回さない上、景気後退に加え、燃料の値上がり、国際的なセキュリティ規定の強化などが経営を苦しめ、わずか2機で400人もいる社員の給料も支払わなければならない。理事長ティディアニ・ベン・アルフセインによれば、資本金220万ユーロの会社が、借金が3,000万もある」という。

 エール・モーリタニアの数字を見てみると、年間売り上げは3,000万ユーロと決して悪くはない。「需要はある。しかし、インター・アフリカンとの接続が悪い」と旧管理責任者は言う。28人のパイロットの腕に定評があるが、エール・モーリタニアはヨーロッパの航空会社と連携がない。

 モーリタニアの歴史と密接に繋がってきた主権のシンボルのようなエール・モーリタニアの将来については国民みんなが疑問視する。「エール・モーリタニアはモーリタニアの歳でもある」と理事長は言う。しかし3,000万ユーロもの借金を抱えた会社の「パートナー」として興味を示す企業がいるとは思えない。51%の株を所有するモーリタニア個人企業の株主がサイフを開けるとは思えない。49%の株を持つ政府の姿勢はあいまいだ。2007年初頭に銀行から10億ウギア(約430万ユーロ)を借り入れたが、再び銀行が融資するかどうか?しかし、一方で政府はこの国営航空会社を手放すつもりはない。エール・モーリタニアを救えるのは誰か?破産もひとつの方法でもある。


2006年度石油&鉱業収入は2億5,000万US$
Webmanagercenter.  2007年8月7日
 世界の石油・鉱物産出国の多くが収益が不透明で、国民にその恩恵が行き渡らない問題に突き当たっているが、モーリタニアは鉱業収益をクリアにする国営組織 ITIE (Initiative sur la Transparence des Industries Extractives) を設立した。この鉱業情報公開委員会は、石油・鉱業収入のデータを作り、公開する組織である。
 
 同委員会によると、2006年度の石油と鉱業による収入は2億5,000万US$, モーリタニアの全体の収入の約38%にあたるという。

 

ヌアクショット空港建設を中国が受注
Jeun Afrique誌  2006年1月06日
 ヌアクショットの空港が市内の居住地域に隣接し、しかも手狭になっていることから、新空港の建設が噂されて久しい。新空港建設を中国の大手建設会社、中国冶金建設集団公司 China State Construction &Engineering Corporationが受注した。同社のグループ企業、「上海宝鉱冶金建設公司」が中心となり、設計、資材などの購入、施工まで一括プロジェクトで、3年後の納期、契約総額は2,8億US$といわれる。

モハメッド・バル大佐にインタビュー: 「すべてが変わった、変わらないのは私だけ」.
Jeun Afrique誌 2006年7月23日
去る2005年8月3日のクーデターの後、モーリタニア国の代表は2007年3月に権力の座を去るという。そして、次の大統領選挙にはどの候補者の支援もしないという。

ヌアクショットを1年ぶりに訪れた人は、そのあまりの激変振りに驚かされることだろう。モーリタニアの首都は、さながら砂漠のドラゴンと言ってもよいような繁栄を見せているからだ。デイリーでヌアクショットに到着するエール・フランス航空のビジネスクラスはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、中国人のビジネスマンで超満員。市内の住宅街には邸宅がきのこのように建てられ、ピカピカのハマーやトヨタの高級車が現地の新鋭企業家の異常とも思えるようなリッチ振りを示す。

こうした変化は金持ちばかりではない。長い間ヌアクショットの恥とされていたケッバ(掘っ立て小屋)が立ち並んでいた郊外でも、公団建設が開始し、広大な建築現場となっている。市から北にヌアディブへ向かう道路で、ヌアクショット市民の度肝を抜くような2つの大きなプロジェクトが企画されている。ひとつは道路右側に国際空港建設、そしてその反対の海側には、カタールやフランスからの投資により、5つ星のホテルやゴルフ場、ショッピングモールなどの巨大なリゾート地区建設だ。

素朴な遊牧民300万人にとって、2006年2月26日以来産油国となって、本格的な革命が始まった。今のところ開発されているのはシンゲッティ・オフショア油田、ヌアクショット沖80kmに位置する油田で、向こう10年以内には20万バレル/日の産出が予想されるという。

地味ながら、BIPは45%の増加、押し寄せる海外からのビジネスマンなどの収入で8億5,000万US$の国債が返済できそうだ。

2005年8月にクーデターにより、20年来政権の座にあったタヤ大統領を国外に追放し、実権を握ってきたエリ・ウルド・モハメッドバル大佐はこの経済繁栄の波に乗り、国民に十分に貢献してきた。大統領不在のまま、モハメッドバル大佐は、16の軍部委員会を設立、法改正や民主化に向けてさまざまなイニシアティブをとってきた。メディア法の改正、一般市民の教化、独立選挙委員会の設置、とりわけ新政体はアラブ系イスラム諸国の中でももっともリベラルな体制と思われる。

フランスで高等教育を受けたモハメッドバル大佐は1年前の2005年9月、モロッコでジューヌ・アフリック誌のインタビューを受け、大佐自身も、軍部委員会の者も誰一人2007年3月の大統領選挙には立候補しない、と発表。大佐が権力の座に着いた時に、「私を信じて欲しい、すべてが変わるから」と約束したが、クーデターから大統領選挙までの8ヶ月の間、約束は守ったかとのインタビューに対し、
「約束は守ったと思う。すべてが大きく変わって、動き出した。モーリタニア人の意識から変わる、それが何より重要だ。国民自身のビジョン、将来への展望は、2005年8月3日以前とまったく切り離されるべきだ。それまで将来への希望がふさがれていたのが、展望が開けるようになった。国民の意見を聞いてみると、明るい希望の声が聞かれると思う。1年以来、われわれは自由に向かって正しい政治という本格的な改革の中にいる。」

モハメッド・バル大佐のとった政策の中でも、モーリタニアで革新的なのは、来る9月19日の国会議員・地方選挙で、各政党は20%の女性候補者を
含むリストを義務付けたこと。国民の50%以上が女性であるのに、女性らが職業を持たない、生産に参加していない、男性に依存して生活しているのは無為だという。国の発展に向けて、経済、政治分野でもいっしょに切り開くべきだと意見を述べる。


ティジクジャで洪水
在モーリタニア仏大使館情報 2005年10月10日
 2005年9月26日から30日まで降り続いた雨で、ティジクジャの500〜600世帯が浸水した。気象庁によれば、4日間の間休みなく降り続けた雨は103mmに上るといわれる。
 市庁舎付近の乾川周辺に雨水が集中的に流れ込み、周辺の家の屋根や壁、ヤシ畑、道路などが被害を受けた。雨がやんだ後、3日間も水がはけず、交通、流通がストップした。死亡者はなかったが、正確な被害の額はまだわかっていない。

教育相が二つに分割
Jeun Afrique誌 2005年3月24日
 モーリタニア教育省が二つに分けられ、小中学校省(Le Ministere de l'Enseignement Fondamental et le Secondaire)と、高等教育省(Le Ministere de l'Enseignement Superieur et de la Recherch)に分割された。そして、その後初めての新学期を向かえ、全国の60万人の生徒と3,000人の教職者がクラスを始めた。

 小中学校省の設立に伴い、学校のテキストや学用品の無償配布、学校設備や奨学金、通学費などの整備を行った。大臣シェイク・アハメッド・ウルド・シィダハメド(Cheikh Ahamed ould Sid'Ahamed)は、実施状況に満足していると発表。

 また、地方の僻村地における児童への、遠方登校手当ての修正が検討中。