(特記がない場合、数字はモーリタニア国立統計局資料より)
国土面積 |
1,030,700ku (日本の約2、7倍の面積)
国土の3/4がサハラ砂漠、そして残りがセネガル河沿いのステップ地帯である。
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人
口 |
人口 2.929.530 人(2009年、国連ヌアクショットオフィス調査、2010/9/12発表数字 )
国民の半分が広大な大地があるにもかかわらず都会に集中している。特にヌアクショットでは、1977年13万人の人口だったのが1999年には80万人という急激な増大ぶりである。
人口密度は平均3.26人/ku、同じ国土のほとんどがサハラ砂漠というアルジェリアでもモーリタニアの2倍の国土面積を持ちながら平均10人/ku。また都市部と地方で大きく差があり、地方では0.4人/kuというデータもある。
国連の調査で1975年〜1985年の人口増加率は平均2、85% (2007年)
15歳未満ガ45,3% (2008年)
都市部への人口集中度 63%
5歳以下の子供の死亡率 1,000人に対し 122人 (2009年)
平均寿命 57,5歳 (2009年)
識字率 57,5% (2009年)
公務員数 32,000人 (内4,000は軍人)
失業率 30% (2009年)
貧民線以下の生活をしている人 : 46,7% (2009年)
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首
都 |
ヌアクショット (推定人口約800,000人、2008年)
難民の流入などにより、正確な数字がわかっていない。
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国
語 |
公用語はアラブ後とフランス語。国のほとんどで、ハッサニアというアラブ語の方言が使われている。他に、ハルプラール語、ソニンケ語、ウォルフ語などの部族の言葉がそれぞれの部族で使われている。 |
民
族 |
紀元前より、ベベルベル人や、北アフリカ・アラビア半島から来た遊牧民族らがずっと住み続けている。一方、南部にはブラック・アフリカンが住んでおり、モーリタニアはアラブとブラック・アフリカが伝統的に融合してきた独特の文化を持つ国である。
国民の約9割はムーア系アラブ人で、 家畜と共に国内、あるいは国外まで大きく移動していた遊牧民を祖先とし、共通の言語を話している。一方、南部は、ハルプラール、ソニンケ、ウォロフといったブラック・アフリカンの民族で、農業・牧畜を営みながら定住している。
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政治・社会 |
−1902年フランスによる支配が始まり、1904年にフランスの植民地となった。
−1958年 自治宣言、それから2年後の1960年11月28日フランスから独立し、国民議会が大統領制による憲法を公布した。以来、国民が選挙によって選ぶ大統領制。
−1978年、軍事クーデターが起こり、1党制、国民議会が廃止され、軍事政権が最高決定機関となった。
−1986年、ヌアクショット都知事及び、州(Wilaya)知事が、それぞれの地方選挙で選出された。
−1987年には、県(Moughataa)知事が、同じく地方選挙により選ばれるようになった。
−1989年1月13日、164の市町村が誕生。 国は13の州に分けられ、それぞれWARIと呼ばれる州知事が統治する。
−1991年、国民投票により、2院制のもとでの大統領制とする新憲法が採択された。
そして、マウイヤ・ウルド・シッダハメッド・タヤ (Maouya Ould Sid d’Ahmed
Taya)が大統領に就任。
- 1997年 普通選挙と国民議会議員選挙でタヤ大統領再選
- 2003年6月 軍部によるクーデター未遂事件、政府軍により事態は収拾された。
- 2003年11月、タヤ 大統領に三選。
- 2005年8月、タヤ大統領が不在時、軍部によるクーデターが勃発、タヤ大統領は国外追放。
軍部による暫定政権「正義と民主主義のための軍事評議会」が発足し、民主化プロセスが進められた。
- 2007年3月、選挙によりシディ・モハメド・ウルド・シェイク・アブダラヒ(Sidi
Mohamed Ould Cheikh ABDALLAHI)が大統領に選出された。
- 2008年6月 ワゲフ内閣に対し不信任決議。翌月、第2次ワゲフ内閣が組閣。
- 2008年8月6日 軍事クーデターが発生し、アブダラヒ大統領、ワグフ首相、内相が拘束された。軍部の中心となったモハメッド・ウルド・アブデラジズ元大統領警護隊長が、「高等国家評議会」の樹立を宣言、同氏が議長となった。
- 2008年11月15日 元大統領のアブダラヒが釈放、生地のレムダン(首都から250km)で軟禁状態になる。
- 2008年12月21日、元大統領のアブダラヒがヌアクショットに連れて来られ、釈放。軍部政権が国際連合からの12月27日から始まる国際調停に向けて、要請を受け入れた。
- 2009年4月15日 軍部政権「高等国家評議会」の議長として、大統領的実権を握っていたアブデラジズ将軍が、議長職を辞任。6月6月に予定した、大統領選挙に立候補するため。
- 2009年6月5日、セネガル大統領が主導する国際調停が功を奏して、軍部政権の終焉。アブデラジズ元将軍他2名が立候補していた6月6日の大統領選挙は中止になり、新たに7月18日に候補者を募って行われることになった。それまで、国連が介入する暫定政権となった。
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GNI |
国民一人あたりの国内総生産は 2008年度は 844US$ (2007年現在、約966US$、 2006年度は約744US$)
経済成長率 2008年 1,9% ((2007年は 1%, 2006年は11,7%、この年は石油が発掘され成長率が高くなった))
物価上昇率 2007年 8,7% (2006年 2、6,4%)
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産
業 |
主要産業は、漁業と鉄鋼業。
2007年 輸出総額 :約13億3,000万US$
輸入総額 :約11億9,300万US$
ちなみに2006年は 輸出総額は 約14億8,400万US$
輸入総額は 約12億4,900万US$
主要貿易国は 輸入 :フランス、アメリカ、中国 (2007年に中国がイギリスを抜いた)
輸出国 : イタリア、日本、フランス、ドイツ
漁業収入は、全輸出総額の約45%を占め、その70%を日本に輸出している。
鋼業は、北部ズエラット界隈で採れる鉄鉱石の輸出により輸出総額の約12%(2007年)を占める。鉄鉱石の保有量は2億tと推測され、鉄の含有量はそのうち65〜70%で非常に高品質。
他に、銅、金、燐鉱も産出、ダイヤモンド、ウラン、リチウム、コバルトなどのレアメタルの開発が近年進んでいる。2006年よりヌアクショット沖合いで油田が開発され、中国などへ輸出し始めた。
2007年度 輸出額 : 鉄鉱石 490 百万US$
原油 70 〃
銅 42,5 〃
金 9,8 〃
農業は主に南部のセネガル河流域で行われ、とうもろこし&小麦(1,3,1万トン/2007年)、粟(約7,17万t/2007年)、米(約5,7万t/2007年)、なつめやし(約2万t/2007年)などが主要産物。
北部アドラール地方ではなつめやしが主産物。野菜はヌアクショットや南部でたまねぎ、にんじん、トマトが極わずかに作られているだけ。
畜産は過酷な気候に関わらず、モーリタニア第一の産業人口を占め、ラクダ、ヤギ、羊類を遊牧・移牧しながら行っている。牛類はセネガル河流域でわずかに飼育されている。2007年度の魚産物輸出額 : 18,800万US$
輸入に関しては日用品、医薬品、衣類などをフランスが主要輸入先。米は東南アジアやアメリカから、果物、野菜はヨーロッパやセネガルから輸入している。最近急増した自動車は近隣アフリカ諸国やヨーロッパから中古車を輸入。
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行政区分
モーリタニアは12の州に分かれている。
州コードは
01 ヌアクショット
02 ホッジ・エッシャルギ
03 アッサバ
04 ゴルゴール
05 ブラクナ
06 トラルザ
07 アドラール
08 ダフレ・ヌアディブ
09 タガン
10 ギディマカ
11 ティリス・ゼムール
12 インシリ
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