Ouadane



 アルジェリアやモロッコからはるばるサハラ砂漠を越えてくるキャラバン隊が最初にモーリタニアで行き着く大きなオアシスの街である。南アフリカからの金や塩と、モロッコなどから運ばれてくる壷類、香水、布、貴金属などが交易された。

 ユネスコ世界遺産のひとつ。11世紀に建造されたといわれる石を積み重ねた建物が丘の上まで折り重なるように続く。古い方の市街地は既に廃虚と化して遺跡のように残っているが、17世紀頃の建物の市街地にはまだ生活している人々もいる。17、8世紀には、聖都シンゲッティと並んで、モーリタニアで最も重要な商業都市だったが、キャラバン隊の衰退と共に、ワダンもその重要性を失い、町が寂れていった。さらに、20世紀になると大干ばつや大腸炎の流行などによって住民がアタールなどへ移り住み激減した。

 街の中心に数軒商店が並び、細々と商いをしている。17世紀の小さなモスクは、ミナレ(尖塔)があるのでようやく周りの人家と違うことがわかる程。図書館(bibliotheque)には11世紀頃からの古書が残されていて、見学することができる。

 シンゲッティから砂漠の中の走っていくと、ハリウッドの映画の舞台のように平地の中にぽっかりと大きな廃虚の山が目の前に現れて感動的だ。キャラバン隊がはるばる旅をしていた時に、砂漠の中からこの景色が眼にはいった時にはどんなに感動したことだろう。

最近、シンゲッティからの道路が整備され、きれいにならされたピストを舗装道路上のようにスピードを出して走ることができ、2時間あまりで来ることができるようになった。だが、時間があれば、是非シンゲッティから砂丘を越えるルートをとって行きたい。
  


 ワダンの旧市街にあるモスク。旧市街はガイドがいないと入れない。  旧市街は大部分17,8世紀の建物で崩れ落ちているが、一部、そのまま今でも住んでいる家もある。 旧市街は外部からの侵略者を守るため、入り組んだ迷路になっている。
 ワダン市内の司法警察(gendarmerie)の庁舎 ワダンの市のはずれから、北東にひろがる砂丘を望む。かつてのキャラバン隊はこの砂の海に乗り出したのだ。 ワダンのオアシスから旧市街を見上げる。山の茶色の部分が旧市街。これだけの規模の遺跡が保存されているところがすごい!

新市街地は水道も電気もある。かつてポルトガルの兵隊が駐屯していた時期があり、その時にお菓子の作り方が伝わった。このモーリタニアでパウンドケーキのようなお菓子が食べられるとは! 私営博物館メゾン・ダルメ(Maison d'Arme)のコレクションは、古代石器ややじり、斧、そして植民地時代の銃、古い遊牧民の生活品など幅広い。オーナーは博識で話を始めると数時間相手をしてくれる。ただ、ガラクタを集めるのも趣味なので、それがいっしょくたになって、なんとももったいない。入場料1,000ウギア。 ワダンで出会った女の子。おばあちゃんが日本人で、漁業の仕事をしていた祖父といっしょにヌアディブに住んでいたのだとか。ワダンはなぜか美人が多い。



ワダン周辺の見どころ
ゲルブ・リッシャット (Guelb  er Richat) 

 ワダンから東へ15km程のところにある世界最大の死火山のクレーター。アフリカの眼と呼ばれ、衛星写真で見ると本当に目のような形をしている。1930年代にフランスのナチュラリスト、テオドール・モノ(Theodor Monod)によって発見された。最初、隕石によってできたと推測されこのクレーターの成型が物議をかもしたが、フランスやアメリカなどの調査が入り、周囲の鉱物などから隕石によるものではなく、火山によると1973年結論付けられた。周囲を数列の山で囲まれた窪地で、外周の直径は45mに及ぶ。
 
 周辺は石の宝庫、花崗岩、斑レイ岩、玄武岩、方沸石、砂岩、溶岩など、つい石に興味のない私でも石を拾いたくなる。

  中心部の小山の上に上ると、周りが円を描いて中心にいるのがわかる。半径16kmの無毛の内環の光景は、まるで月の表面にいるような錯覚をさせるほど美しい。モーリタニアのベスト5に入れたい印象的な場所だ。

 そして、中心部にある高さ7〜,80mくらいの山のふもとに一軒、オーベルジュ(民宿)がある。テオドール・モノを案内したという遊牧民の孫が営む宿で、2007年になってテントから石造りの建物に作り変えた。1990年代最初にこのテントを訪れた時には、なんという所に住むのかと驚いた。ともかく草木もないまっ平らな平地、井戸も近くにないのである。そして、近くの村落といえば、この山の外周の外、そこまで歩いて水を汲みにいかなければならない。えんえんと広がる砂漠の中にたった1家族だけでテントに暮らす遊牧民を何度か見かけてきたが、ここに住んでいた女性3人にも度肝を抜かれた。
 
 ワダンからは直線で15kmだが、砂丘を越えて迂回しなければならないので約45km、車で2時間ほどかかる。ガイドは必須。


直径40kmの輪の中は、中央に小さな山があるだけで、まっ平ら。木も生えていない。
そのかわり、あまりに色々な種類の石があるので、ついコレクションしたくなる。
中央の山に登って周囲を一望する。無毛のまっ平らな平地がはるかかなたまで続いて、何もない! 先に衛星写真を見ておかないと、まわりの低い山があの円形をしているとは理解できない。これを肉眼だけで地形を想像したモノさんはすごい。 フランスの自然学者、テオドール・モノ(1902〜2000)は人生の大半をモーリタニアで送った。1990年代後半を夫人と共にゲルブ・リシャットで暮らし、現地の人から大事にされた。これはモノ夫人の木と呼ばれているアカシア科の大木。
ゲルブ・リシャットを空から見た写真(本のコピー)。
NASAの衛星からとった写真で見ると、本当に目のように見える。
アウルールのクレーター。(Hofrat Aouelloul):直径250mの小さなクレーターで、カマサイトが見つかり、隕石によってできたと発表されている。
テヌメール(Tenoumer)のクレーター。
モーリタニア北部にある、直径1,9m。アウルールのクレーターと共に、フランスのテオドール・モノが1930年代に見つけた。


テオドール・モノとゲルブ・リシャット

 モーリタニアにはアウルールのクレーター(アドラール地方、ザルガ山の近く)や、テヌメールのクレーター(北部、シュームの近く)など隕石によってできたクレーターが数カ所発見されている。共にフランスのテオドール・モノによって1930年代に発見されている。空から見てクレーターと判別できても、現地に行ってみるとなかなかわかりにくく、これらを探すのに現地のガイドなどと共に困難を極めたと記述している。

 テオドール・モノ(1902〜2000)はフランスの自然科学者。パリの国立自然科学博物館の教授、海洋アカデミー、サイエンス・アカデミーなどのメンバーに選ばれ、で1922年から60年にわたってモーリタニアの海洋物や隕石、砂漠の動植物などを調査した。

 1922年、20才の時に、国立自然史博物館のスタッフとして、モーリタニアのポーテチエンヌ(今のヌアディブ)で海洋生物の調査の為に派遣される。翌年初めてのラクダでブラン岬周辺のサハラ砂漠を旅し、砂漠にすっかり魅了されてしまう。
 ミッションを終了した後一旦フランスに帰国するが、砂漠への憧れはとまらない。1927年にアウジェラス〜ドラペールの調査に参加し、ラクダに乗ってタマンラセットからトンブクトゥまでを旅し、周辺で新石器時代の矢じりや石器を調査した。
 さらに1929年、ホッガー山域の石の調査、その後、マジャバ・アル・クブラ(世界最大の無網地帯)をラクダで縦断する旅を行った。
 1938年ダカールにあるフランス国立ブラック・アフリカ研究所(IFAN)に任務を得、その後25年にわたって同研究所でモーリタニアやマリの調査を行った。

 砂漠の動植物や石、海洋の生物などさまざまな分野の文献を残し、1998年再び夫人をつれてワダンに住んだ。



ワダン周辺地図


アグエイディールの砦
 ワダンから20kmほどのところにあるポルトガル人の砦跡。ゴム・アラビックを求めて14世紀にやってきたポルトガルは、ここに宿舎を建てた。その後何度も襲撃を受け、中でも16世紀のモロッコのパシャジューデルとの戦いは有名。


ティンラベの洞窟

ワダンから4km西にあるオアシス。村の西側に大きな岩山で、その岩山の中に洞窟がある。ティンラベは元大統領アブダラヒの出身地。

     アグエイディールに行く途中、岩山に壁画があるという。 確かに壁画のようではあるが、こんな雨ざらしのものが古いものなのだろうか? アグエイディールの砦。粘土レンガの建物の4つの角が残っている。周りを囲って、土産屋が並んでいなければ、なんだかわからずに通ってしまいそうな跡だ。ポルトガルが再建する予定だそうだ。
ティンラベの村はずれのオアシス。この岩盤に水がたまってヤシの木が育っているという。 岩山の上部に洞窟の入り口がある。かなり急な山肌を登ると、木で作ったドアがあった。 ドアから入ると、中は女性が入れるくらいの細い通路を抜け、生活できるくらいの広い洞窟だった。岩の隙間から明かりがさしていた。
            崖の上から見下ろしたティンラベ村。              ティンラベのオアシス こんな海から離れているところでも、この周辺の砂丘に貝殻が落ちている。何億年も前に海だったらしく、遊牧民の子供がサンゴの化石をくれた
 
ワダンの宿


 オーベルジュ・ワダンAuberge Ouadane Agweidir 

 町の外れ、乾河向こうにあるシックなオーベルジュで、高台にあるワダンの旧市街を見上げるように一望できる。2000年にオープンしたばかりでオーベルジュのデザインも美しいが、まわりの景色もすばらしい。バンガロー、またはテントを選択でき、中は絨毯の上にマットレス、クッションを並べたサハラ・スタイルの部屋とベッドの部屋がある。この宿の料理はワダンのホテルの中でもお勧め。  222-250791

  アタール、シンゲッティ同様、2003年ごろから観光産業がさかんになり、ワダンでも宿泊設備が増えた。旧州知事舎が民間の手に渡り、ベッド付きのホテルとなったほか、上記のアグエイディール宿のならびに2005年に新しいホテルが建設された。市内にも小さなオーベルジュが数件ある。
 

ワダンへのアクセス


 アタールを出てシンゲッティに向かうと、エブヌー峠を越えた後、二股の分岐点があってワダン方向の標識が建っている。アタールから約220km、シンゲッティから120km。道路は舗装されてはいないが、きれいにならされた岩板質の路面なので走りやすい。