ミステリアスなネマディは狩猟民族の末裔か?
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カラバス:アカシアの木を削って作ったボウル。堅く、油がしみ込みにくい。遊牧民はこれでラクダの乳やヤギのヨーグルトドリンクを飲む。上部直径25〜30cm。 | グラース銃 M80 :フランス植民地時代にフランス駐留軍からもたらされたといわれるフランス製鉄砲。 | チシュター (Tichtar) アンテロープの乾肉 | |||
ワラッタで語られている「あるネマディの話」 ある時、若いネマディの夫婦がいた。彼らは犬以外、何も持っていない。テントも家も持たず、自分たちの食べ物を求めて 風のように自由に歩き回る生活をしていた。そこへ一人の首長が通りがかり、気品の漂うすばらしく美しいネマディの女に魅せられてしまった。女をさらって、自分のもとに連れて行き、彼女の気に入りそうな物、幸せになりそうな物は何でも与えて、彼女を宝物のように大事にした。こうして数年間が経ち、彼女はすっかりこの生活になじんていたかに見えた。 ある日、彼女は砂の上に足跡を見つけた。それはこともあろうに、一時も忘れたことのない彼女の元の夫の足跡だった。その夜のうちに、女は砂漠の中の夫の元へと逃げ出した。その後、二人を見たものはいないという・・・。 |
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ネマディの捕っていた野生の動物 |
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オリックス :体長160〜230cm(オス)の体に80cmもあるまっすぐな角を持つガゼルの仲間。北アフリカに生息する。 | ガゼル・ダミ :体長130〜165cm、体重40〜75kg(オス)、ガゼルの仲間で最も大きい。UICNで絶滅の危機に瀕している動物として指定されている。 | アンテロープ:一頭5kgから7kgほどで、ジャンプ力が強く、100km/hと足も俊足。1930年代にはセネガル川域のゴルゴールや、マガマあたりまで生息していて、ネマディの主要な獲物だった。 | |||
アダックス;オリックスより一回り小さく、体長約125cm。モーリタニアとマリの国境界隈、ニジェールやカメルーンの砂漠地帯に生息する。 | 野ヤギ (Mouflon) :家畜として定着する以前の野生のヤギでオスが大きな角を持ているのが特徴。アフリカ北部の砂漠地帯に生息するのはOvis ammon musimonという種類らしい。 | フェネック : 砂漠に住むキツネ科の動物。体長40cmくらいと小さな犬くらいで、とてもすばしっこい。現地で野営していると、テントの周りに足跡がある。写真は筆者が砂漠で撮ったもの。 | |||
筆者がネマディについて知ったのはつい最近のことだった。モーリタニアの様々な文献に、数行書かれていた。しかし、ネマディ、ノマド(遊牧民)と似ている上、動物を追って点々と移動して暮らす・・・等で、同じ遊牧民だと思って、全く眼中になかった。2007年暮れ、ワラッタへの旅行を計画していた折に、「La Mauritanie」 (下記資料参照)を読んでいたら、ネマディの美しい話が出ていた(上記参照)。 「それでも、行き残ったネマディの一部は今でも狩りを続けている。彼らの力が尽きる直前まで、最後のゲルバ(皮でできた水筒)の水の最後の一滴まで、彼らの犬と分け合って獲物を追う。彼らは一口水を口に含むと、口移しで犬に水を与える。」 なんという民族なのか!ワラッタに行ったら、ネマディに会いたいと思った。その年の旅は、数珠つなぎのように、ネマディに関わることと出会うことになるのである。 2008年1月にワラッタに着いてドライバーに「食べ物がおいしい宿」と言って連れて行かれた宿、そのおかみさんがネマディだった。結婚した当時は、まだ10代、小枝のように痩せた美しい少女だったと言う。かなり年上の民宿の主人にもらわれて、今では7歳の子を筆頭に4人の子供の母親となり、ふくよかになり、たくましいモール人の母親たちと区別がつかない。 ネマディはもともと、ネマディの間で婚姻をしてきた。「他の民族と交わらず、結婚するネマディは犬とガゼルなどの皮が持参金だった。長く定住することはなく、夫と数カ月も旅を続けることもあれば、何十日も同じ場所で夫が獲物を持ち帰るのを待っている時期もあった。赤ちゃんは旅の間に産んだ」―――lこうした暮らしを何世代も繰り返しきたネマディも、近年になって少しずつ変わってきているようだ。植民地時代にフランス人と結ばれたネマディがいて、青い目をした白人のネマディもいるという。そして、この民宿のおかみのように、ごく稀に、一般人に嫁いでいる女性も出てきた。子供は[犬の子」といじめられ、ネマディというだけで、今なお社会から蔑視されているからである。 そして、滞在中チシュター(アンテロープの乾肉)を見たいと言っていたら、ワラッタを出発する前夜手に入った。今でもアンテロープがいるのかと驚いたが、考えてみれば、ティシットやアインサフラに行く途中、ガゼルのような動物が遠くに逃げているのを見たことがある。めったに捕れないが、時折、ティシュターを持っているネマディがいるのだという。ネマディから購入したものは、1kgで数万ウギア、当時の現地小学校の先生の1カ月分の給料くらいの値段だった。そのままちぎって食べたが、際立って臭いもきつくなければ、味も濃くなく(塩もしないで乾してあるのだから当然だが)少し脂分の多い肉だった。この脂分の多い肉によって少しの量でも腹もちがよく、ネマディだけでなく遊牧民にとっても貴重な食べ物だったらしい。 そのワラッタへの旅の途中、鷹をつれて狩りをしているアラブ・首長国の金持ちのグループに会った。4人のアラブ首長国人ハンターは、モーリタニアに4輪駆動の自動車を置いてあり、それで時折狩猟をするのだという。4人は3台の車に分乗し、他にテントや食料・水を運ぶ車、使用人を運ぶ車などといっしょに数台連なって、砂漠の中を狩猟の旅をしていた。そして、その案内役がネマディだった。アラブ首長国人ハンターらからクルマを一台もらい、自分で運転して走り回っているというのだ。 モーリタニアやマリの砂漠奥地で鷹と共に狩猟をすることを趣味とする中近東の金持ちは、インターネットで情報を交換し合い、そのうち何組かがモーリタニアにやってきている。遊牧民も足を踏み入れない無網の砂漠に、最新の衛星通信機器と食糧、水、テントを持って、狩猟をするアラブの金持ち、そして、そのガイドをするかつての狩猟の民ネマディ、それも地球温暖化により滅びつつある行き残った民の生きる知恵なのかもしれない。
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アラブ首長国からやってきた鷹を使って狩りをする人。砂漠の中では野雁を捕まえるのだという。 | 最新の車、最先端の通信機器を使い、無網の砂漠の中を自由に狩猟する、元砂漠の民 | 鷹は猟以外は冷房の効いた車の中で大切にされている。夕方、車から出してもらって、使用人たちと休憩 | |||
資料 : - 「ネマディの最後の狩猟 (la derniere chasse des Nemadi)、1997、フランスの国立科学リサーチセンター(Centre national de la recherche scientifique)が、J.ガビュー (Gabus)の監督により製作した映像 − Diego Brosset大佐 :1916以降、サハラに滞在したフランス駐留軍の指導者の一人。サハラに駐留した折の報告書 ”Bulletin de l'Afrique de l'Ouest Francaise"の中で”Les Nemadi"、1932 - D..Brosset大佐 : Un homme sans l'Occident, Harmattan 1991 - J.Gabus : ”Contribution a l'etude des Nemadis" 1951 スイスのNeuchatel人類学研究のレポート - J.Gabus : Walata et gueimare des Nemadi 1976 (1975/12/19〜1976/5/29の民族学調査による滞在のレポート)スイスのNeuchatel民族博物館蔵。 - Christine Daure-Serfaty ”La Mauritanie"1993 |
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