モーリタニア鉱業関係のニュース


ズエラットの鉄鉱石

 1935年にフランス人によりケディア・ディジル山(Kedia  d’idjil)の鉱脈が発見された。当時、植民地としてモーリタニアをおさえていたフランス政府は、鉄鉱石の輸送の困難さとそれにかかる莫大な費用を考え、実用化は見合わせてしまった。
 
 1960年になってモーリタニアが独立し、ヨーロッパ数ヶ国の鉄鋼企業から巨大資本を導入しヌアディブまでの鉄道敷設が実現した。2年がかりの大工事で、これにより、鉄鋼石をヌアディブまで鉄道で運び、その後ヌアディブからタンカーで海外輸出が可能になった。

 その後、世界の鉄鉱石の需要の増加に応じて、年々繁栄し、1989年の最盛期には年間1,200万トンもの鉄鉱石が発掘された。

 1960年終わりに、鉱山の運営をめぐって鉱山争議が起こるが、1974年にそれまで国際資本によって運営されていた開発会社を国営化して争議が終結した。

 
 1974年以降、国営鉄鋼公団SNIM(Societe Nationale Industrielle et Miniere)の運営となり、ヌアディブの輸送と鉄鋼積み込み作業、ズエラットの鉄鋼掘削、鉄道輸送などのスタッフ4,000人を抱えるモーリタニア最大の国営企業となった。
 
 1978 企業体制を、一般企業をパートナーとする合同企業に変更。

 2001年10月25日、オージ山(Guelb el Aouj)鉱脈開発につき、オーストラリアのSphere社より10億US$の融資を受け、50%のジョイント・ベンチャー契約をした。ズエラットから40km北西にある山で、500MTの埋蔵が推測されている。

 ズエラットの鉱山はケディア・ディジル山(Kedia d'ijil)にルーサ(Rouessa)とTO14の2ケ所、エル・レン山(Guelb el Rein), ンハウダ(M'Haoudat)の4ケ所のオープン鉱脈がある。年間1,200万トンの開発で向こう100年の採掘が可能と見込まれている。

 ディジルとン・ハウダの鉄鉱石は含有量65%と非常に高品質。エル・レン山の鉄鋼は磁気性・酸性で37%。

 ヌアディブには国営鉄鋼公団SNIMの町、カンサド地区に関係者が居住し、小学校4校、病院、専用ホテル2、スポーツクラブなどを完備した1,500のアパートが完備している。また、ヌアディブ〜ズエラット間の鉄道も、6ケ所にメンテナンススタッフ用の宿泊設備を設置し、1回に100トンもの鉄鉱石を運ぶ列車の線路整備にあたっている。

 SNIMが製造する鉄鉱石は7種。
 ズエラットで採掘される鉄鉱石は高品質で、TS製造によるGMABは鉄含有量が66%、TH製造によるGFMは64,5%。

 鉄鋼は世界でも有数の優良な品質で主にヨーロッパに輸出。輸出量は2004年で、フランス2,831KT、ベルギー1,300KT,ドイツ2,071KT, イタリア2,559KT、スペイン568KT,スェーデン147KT, 中国482KT,イギリス335KT,アルジェリア618KT、フィンランド53KT。

 現在、新しいヌアディブ港建設が検討中。2009年5月に建設予定で、これが完成すれば18万トンの船の停泊1時間に1万トン(現在は5,000トン)の積み込み作業が可能になる。この積み込みが実現すれば、年間2,500万トンの輸出が可能になる。


モーリタニア北部の金・ダイヤモンド
 1998年より、国営鉄鋼公団SNIMの系列会社GMMがモーリタニア北部で金の開発権を取得、現在モーリタニド、アムサガ、ティリスの3ヶ所、31,000kuを探索中。そのうちアムサガ(Amsaga)では、金、プラチナ、パラジウムの
の開発が進んでいる。
 
 また同じく、アムサガ、ティリスでダイヤモンドの探索が1998年から始まった。



アクジューストの銅・金・コバルト


 アクジューストはヌアクショットから北東、アタールに向かう道路の中間に位置する町でインシリ州の州都。1933年に銅がみつかり、銅山の町として栄えた。モグレン(Moghrein)山でを中心に開発が進んだが、1970年代以降閉山していた。2005年から再開され、ヨーロッパからの企業が進出し始めた。
 
 <ゲルブ・モグレン・プロジェクト>
銅の開発プロジェクトで、現在出資はGEMAK, ジェネラル・ゴールド・リソース(GGR)が50%、インシリ鉱脈アラブ会社(SAMIN)が50%。

現場はアクジュージュトそば、81km2の鉱脈。深さ220m。金と銅の埋蔵量は2,370万トンと推測されている。含有量は銅1,88%、金1,41g/t、コバルト144 parts/millon。

1997年4月、ヨーロッパのKilborn SNC-Lavalin Ltd社によって、開発推測調査が終了し、それ以降金の開発者らの注目を集めていた。

1999年SAMINとモーリタニア政府との協定により、 GGISAとSAMINとのジョイントベンチャーが6,000km2の開発に乗り出した。この開発地域はもともとSAMINが開発権を持っていたもの。プロジェクトの期間は2007年〜2017年。



  

シンゲッティ油田

ヌアクショットから少し北部の80km沖の海底で見つかった油田で「シンゲッティ・プロジェクト」と名づけられた。

2001年5月に最初に発見され、オーストラリアのWoodside社がをメインとする数社のコンソーシアム。発掘される原油は、当初75,000バレル/日、埋蔵量は1億2,000万バレルと見積もられていた。コンプレックスには6本の原油井戸、5本の排水用、1本のガス排出用井戸からなっている。ちなみに世界第6の産出量を誇るナイジェリアでは、260万バレル/日を市場に送り出している。モーリタニアでは他の油田のものと合わせて、数年後には20万バレル/日を産出できると予想していた。

産出するまでに推定で、7億2,000万ドルを投入して開発したといわれている。メインオペレーターのウッドサイド社は47,38%、グループHardmanが19%、モーリタニアの炭化水素公社(Societe Mauritanieenne des Hydrocarbures、SMH)は12%、Premier Oil社8,12%、 Orc Oil社が3,24%の配分。

石油タンカー”Le Berge Helene"(輸送量 160万バレル)は2006年2月、最初の積荷を中国に向けて輸送した。

2006年中頃になって産出量が15,000バレル/日と激減し、見積もりミスがあったことがわかった。ウッドサイド社はマレーシアの企業Petronasに4億1,800万ドルで権利を譲渡することになる。(ニュースのページ参照)。

ウッドサイド社の見積もりミスについて、フランスの地政学者、モーリタニアの石油専門家であるベンジャマン・オージェ氏によれば、「同社がアフリカの石油開発の経験が浅く、現地の地質を十分把握していなかった。高額なテクノロジーを投資して海底800mのリザーブを開発すればよいのだが、それでは投資額に見合わない。」と評する。