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Atar |
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アドラール地方は、モーリタニアの中でも最も起伏に富んだ美しい地方だ。交通の便が良い上、オアシスや山、砂丘と最もサハラ砂漠のドラマチックな部分を見ることができ、また、文化の面でもモーリタニアの都会などで失われつつある古い慣習をかたくなに守り続け、良い意味での伝統が残っている地方である。 この辺は数十年前まで豊かな緑におおわれ、林や谷、丘、草原、川、湖などがあったが、今では全域といってよいほど砂丘や無もうの岩地と化してしまった。地下水脈のあるところだけナツメヤシのとれるオアシスが残り、かつてのナツメヤシの収穫に比較にならないくらい減少したが、それでもアドラール地方では畜産に次ぐ大きな収入源となっている。アドラール地方のナツメヤシはこの国では品質の良いことで知られている。 アタールはアドラール地方の州都、モーリタニア北部の商業の中心地である。このあたり一帯で生活している遊牧民が、羊・ヤギ・ラクダなどの食肉やナツメヤシを売りにやって来て、かわりに食糧や衣料などを買っていく。アタールの市場はヌアクショットと同じくらいさまざまな商品が売られ、品数が多い。 また、ここは皮製品などの民芸品を作ったり彫金が昔から盛んで、ヤギの皮にサンダルや袋、クッション、タバコ入れ、パイプホルダーなど、独特のアシメトリックな模様を施した製品が創られている。また、キャラバン隊が持ってきた金、銅、真鍮からネックレスやブレスレットなどの装飾品、トレーやお茶セットなどレリーフや透かし彫りのオリジナル製品が有名。 早くからこうした商習慣が栄えたため、アタールの人々は若いころから金銭感覚が発達し、いろいろなことを金銭価値で評価する傾向にあるといわれている。 アタール周辺地図 |
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アタールのみどころ 近年になって商業の町としてできあがったので、歴史的なみどころは市内にはなく、唯一見るとしたら市内中心部にある市場くらいか。市場に入ると、物売り、お土産、両替の呼び込みがうるさいくらい多いのが難点。民芸コーナーの一角は雑多に並べられ、革製品や木製品、金属細工のアクセサリーなどが埃をかぶって並んでいる。ひとつひとつ並べているものを見ていくと、製品の中から掘り出し物を見つけることがあったが、最近はむしろ、中国製の偽者などが目立つ。 アタールの炭焼きパンはおいしいので有名。 博物館 市場から150m、2001年にできたばかりで、遊牧民の生活品などを展示してある。モーリタニアのかつての文化に興味がある人にはおもしろいかも?
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アズーギ |
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サガン砦(Fort Sagan) アタールから東へ50km、 シンゲッティから北へ10km。1919年フランス兵のクローデル大佐が砦を築いた。その砦の情報をもとに、1984年にフランスの映画の舞台として建造された。映画監督アラン・コルノーが莫大な制作費をかけて製作したもので、ジェラール・デュパルデュー、カトリーヌ・ドヌーヴやソフィー・マルソーなどフランスの有名な俳優が出演した。 アモグジャール山の壮大な景色をバックに、その手前の平地の上に、ポツンと建てられた砦で、建てられた当時、映画ではちゃんとした建物だったが、年月とともに崩れて、すっかり周りの景色と同化しまるで遺跡のようだ。あまりに景色にマッチしているので、映画の舞台とは思えない。 筆者は10数年の間何十回とアタールからシンゲッティを行き来してきたのに、映画の舞台なんて、と訪れたことがなかった。2008年に初めて訪れ、景色の巣晴らしさに感動した。シンゲッティを訪れるのであれば、是非足をのばしたい。 |
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アモグジャール峠 (Passe d'Amogjar) シンゲッティに向かって、上記エブヌー峠の左手にある峠。 アタールやワダンからシンゲッティに向かう時に、何世紀もの間、キャラバン隊が峠を越えることができるのはここ1ケ所だけだった。急な峠で、キャラバン隊はラクダから一度荷物をおろし、荷物を峠の上まで上げたりしながら、8時間もかかって峠を上ったという。11世紀から16世紀には、キャラバン隊の重要なルートだった。1950年代に、エブヌー峠のルートが作られ、こちらをルート120、エブヌー峠のほうをルート100と呼ばれていた。 2000年代になって、エブヌー峠への山道が舗装されると、このアモグジャール峠のルートはほとんど使われなくなった。 アタールからシンゲッティへ行くには遠回りしなければならないが、ここからの眺望はすばらしく、一見の価値がある。峠を下ってアタールへ抜けるには大きく迂回するので、下り始めてアタール市内まで約2時間ほどかかる。残念ながら2006年の大雨で道路が壊れ、今では車での通行不可となった。 |
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アタールの宿と食事 |
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1998年に、フランスの旅行会社ル・ポワン・アフリックがパリ〜マルセイユ〜アタールのフライトを開通し、週一フライトするようになった。そのおかげでアドラール地方を訪れる旅行者が3000人弱だったのが、年々増大し、2006年には18,000人を超えた。それにあわせてアタールではホテルが急ピッチで建築され、年々新しいホテルができている。 2003年にできたアタールの高級ホテルのひとつ。アクジューストからやってくると、右手に最初に目に付く大きな建物で、ガソリンスタンド向かい。ゆったりとした広めの部屋、エアコン付き、シャワー/バス付き。シングル9,000ウギア〜、ツイン12,000ウギア〜。レストランでは西洋料理が3,000ウギア〜。 ホテル・エル・ワハ(Hotel El Waha ) 2001年にできた、アタールで最高級ホテルだったホテル・オアシスが経営者が変わった。ヨーロピアンスタイルの部屋のほかに、伝統的なテントスタイルのバンガローが30あまり。部屋はエアコンの効いた快適なたたずまいで、テレビ、ミニバー付。 ホテル・エル・ムーラビティン(Hotel el Mourabitines ) かつてのフランス軍の駐在事務所だったもので、民営化され外国人向けのホテルとして使用されてきた。1990年代までこの町で唯一の高級ホテルで、パリ〜ダカールラリーの際には篠塚選手や多くのパリダカのスター達が泊まった。14部屋、全室クーラー、シャワー付き、ベッドルーム。 2003年からオープンしている町の中心街にある小さなホテル。クーラー、シャワー、テレビ付で、シングル5,000ウギア、ダブル6,000ウギア〜。レストランの食事もまあまあ、1品1,000ウギア〜。
アドラール地方の大きな旅行エージェント、キャラバン・デ・デゼールグループが経営するホテル。シンゲッティやテルジット、ティジクジャに同名のホテルがある。モーリタニアスタイル室内14部屋、クーラーまたは扇風機、シャワー付きで、2食付4人部屋で 4,800ウギア/一人。 素泊まりは1部屋4,000〜。 オーベルジュ・ヌーザ (Auberge Nouzha) 小さいが快適なホテルで、テラスからアタールの町が一望できる。クーラー、シャワー、テレビ付で、シングル5,000ウギア〜(8部屋)、 ゆったりしたスペースのスィートが6,000ウギア〜(2部屋)。レストランで食事もでき1,000ウギア〜。 オーベルジュ・ダルサラム (Auberge Dar Salam) 1,000ウギアで庭先で素泊まりできる小さなオーベルジュ。クーラー、シャワー付の部屋、5人部屋は5,000ウギア〜(3部屋) 。 オーベルジュ・ダズーギ (Auberge D‘Azougui) オーベルジュ・ダハイリ (Auberge D‘Hairith) オーベルジュ・アヴラ・エル・メディナ (Auberge Avrah el Medina) 食べる レストランはヨーロピアン料理が食べられる店は大きなホテルの中にあるのみ。肉のグリルやピラフ、クスクスなどの地元料理を出すレストランが10軒ほどある。食べる前に料金の交渉をするのを忘れないこと。 ル・マラケッシュ(Le Marrakech ) アタールの中心部、オーベルジュ・モノの向かい。2003年にオープンしたレストランで、アタールで唯一のきちんとした食事が楽しめる店かもしれない。タジンやケフタ、クスクスなど本格的なモロッコ料理がリーズナブルな価格で楽しめる。 |
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アタールへのアクセス |
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