Tichitt



 その昔、サハラを横断するキャラバン隊の街として栄華を極めた豊かな街ティシット。ティシット界隈は、旧石器時代、緑豊かな陸地と湖があり、その周辺に人が住んでいたのが石器などの出土から確認されている。そしてティシットの町自体は、8世紀頃から近辺の遊牧民らが定住して街を形成したといわれる。
 キャラバン隊の隊商が北アフリカを行き来していた11世紀から17世紀は、交易の町として栄えていたが、隊商の消滅と共に街は弱小化をたどった。

 交易時代の古い町並みがよく保存されていると評価され、1996年、ユネスコ世界遺産に 「ワダン、シンゲッティ、ティシット、ワラッタの古い交易の町クスール」として登録された。

 ヌアクショットからティシットまで行くのにまる二日、ともかく遠い。チジクジャから240kmあまりだというに。他より長いと感じるのは、私の好きな砂丘があまり無く、景色が終日1日走っていてもほとんど変わらないからかもしれない。他の州を移動する時にはもう少し、景色の変化があって車中、飽きずに楽しめるのだが。

 ティシットの町の近くの大都市といえば、チジクジャかネマ、またはアイウンのいずれか、どこに行くにしても交通の便が悪い、まさに陸の孤島だ。それゆえに、昔からさまざまな苦難が町を襲った。1822年から23年にかけて天然痘が流行し、町中に蔓延して多くの人が死んだ。1865年〜66年、アフリカバッタが大量発生し植物という植物がすべて食べつくされ、住民らは飢餓に襲われる。さらには1899年〜1900年、極度の旱魃(カンバツ)により食糧難。旱魃やアフリカバッタの襲来は1990年、2000年代にも再度くり返され、重ねて大雨の被害もあった。2000年8月の大雨では、町の半分以上が倒壊してしまう。

 倒壊した建物の多くは、2005年ごろからスペインの支援で現地に建築家が入り、古くから行われていた建築法で建て替えが進んでいる。本来キャラバン隊の残した古い町並みという意味で世界遺産に認定されたのかもしれないが、古いいにしえの町並みはなく、壊れた瓦礫にようやく名残をとどめているくらいで、町の半分くらいは新しく造り変えられている。昔づくりの石を重ねた建物は美しいし、町全体もそれで統一されているので観光するには楽しいが、世界遺産としての現存するキャラバン隊交易の町をを期待して行くと、少し違うかもしれない。ある意味、それがきちんと残されているのはモーリタニアの4つの世界遺産の旧都市のうちワダンだけなのではないだろうか。。

 この地方独特の建築は、近くで切り出される石は7段階にクラスがあり、それを平べったく切ったものを重ね合わせて作る。微妙な色のグラデーションが美しい。図書館(Bibliotheque)や博物館(Musee)なども、海外からの支援できちんと管理されている。

 町の中での物価は、さすがに陸の孤島というだけあって全てが高い。オーベルジュの宿泊費は他とあまり変わりないが、食事はランチまたは夕食が一品だけで3,000ウギア、パンとコーヒーだけの朝食は1,500ウギア、燃料もヌアクショットの3倍くらいする。たぶん、モーリタニアの中で一番物価が高いところではないだろうか。そして、ここまでの旅費も、モーリタニアの中で一番高額になるのではないだろうか。

 町の中を歩くにはガイドが必須で、2,000〜4,000ウギア。そして、図書館や博物館の入場料は500ウギア、そこで写真を撮るとさらに500ウギアかかる。図書館は1,000ウギアも出して入ったのに、1〜2冊見せてくれるだけと、少しお粗末。
  
 ティシットに2日滞在するとして、往復6日間、それだけの時間を使って、高額な旅費を払う価値はどうかといわれれば、私はワラッタやワダン方面のほうがいろいろな変化に富んだ風景を楽しめるような気がする。しかし、ゆったり時間が取れるのであれば、ティシットからワラッタ、ネマ、アイウン・エル・アトラスを巡る旅をお勧めしたい。特に、ティシット〜ワラッタの間にある、アグレジットやマッフルーガ、エッスバは、この長い移動時間を使っても見る価値があると思う。北部アドラール地方と一味違った、砂漠を見ることができる。ただし、こちらの砂漠は砂地で、あまり砂丘はみられない。


ティシットの町。奥の山がティシット台地 路地が複雑に入り組んだティシット市街。古い建築方法の石造りで統一され町並みは美しい。 博物館。中には遊牧民の生活品や、石器、土器などが展示されている。
町の中心にあるモスク。2006年に建て直されたばかり。 モスクの入り口。伝統的な石造りでこの土地独特の装飾が再現されている ティシットの町の人は、この国の8割を占めるモール人とは少し違う。南部のブラック・アフリカンでもなく、むしろマリ人に近い人種だ
アウケー湖の岩塩
 ティシットの町の東に大きな乾湖、アウケー湖が広がる。そこでは、動物用の岩塩がとれ、キャラバン隊の交易の時代からマリやスーダンに輸出されていた。かつては金と同じ価格で交換されていたという。岩塩を家畜に与えないと死んでしまうと遊牧民たちは言う。車がこれだけ発達した今でも、モーリタニアのアイウンやネマ、セネガル川域、遠くマリやスーダンまでらくだのキャラバン隊によって運ばれている。ティシットは北部、東部、南部が大きな砂漠に囲まれているので、車で輸送するのも難しいのである。

 実際、ティシットからネマまで塩を積んだトラックと出会ったが、途中、塩の重さで砂に埋もれ、搭乗した作業員数人でスコップで砂を掻きながら進んでいた。400kmあまりのこの距離を、何十回スタックすることだろう。パンクや車のトラブルがなくても、ゆうに5日はかかるという。らくだで運ぶにも、夜寝る時にすべてのらくだから塩を積み下ろし、翌日移動する前に再度積みなおす。どちらにしても大変な作業だ。

 岩塩は雨の後に地表に浮き上がった分をかき集めて袋に50kgづつ袋に詰められる。岩塩をかき集めるのは主に女性の仕事で、厳しい日射の中、手のひらや小さな平たい木切れなどで、地面に這いつくばって集める。そして、袋に詰めた岩塩をラクダにくくりつけ、運ぶのは男の仕事である。数十頭のキャラバン隊は、1週間かけてアイウンやネマ、そして2週間以上もかけてマリまで行くという。


アウケー砂漠 (Aouker)
 ふたつのホッド州にまたがる海抜マイナス200mの広大な盆地。北部はティシット台地、ワラッタ台地、ネマ台地に囲まれ、南は希望街道まで、約400km×200km、95,000kuの広さをもつ。中は砂で覆い尽くされ、その砂の厚さは場所によっては100m以上あるといわれている。この面積を言われてもどれくらいかピンとこないのだがが、ともかく延々と地平線まで右下の写真のような砂地が広がる。まさに砂の海である。地下水も無く、井戸のポイントもほとんど無く、スバッというキャメルグラスに似た草以外は、生えていない。

 チジクジャからティシットに向かう時、またティシットからワラッタに行く時には、この中を必ず通ることになる。パリ・ダカールラリーでもコースに使われる難所で、よほど熟練した運転手でないと、タイヤが砂に埋もれ、大変な移動時間がかかる。そして、たびたび襲う砂嵐で車のわだちが消され、遭難する旅行者は後をたたないという。地元の運転手でも、ティシットとワラッタの間は1台では走りたがらない。


マジャバ・アル・クーブラ Majabat Al Koubra
 ティシット台地の北部からマリにかけて広がる無毛の砂漠。こちらも上記アウケー砂漠と同じように、井戸もなく、1本の木も生えていない。広さは250,000ku、500,000ku と資料によってさまざまの記載があり、正確な面積はわかっていないが、世界最大の乾燥地帯であることはまちがいないようだ。マジャバ・アル・クーブラとは現地の言葉で、「超孤独の広大な国」という意味で、この地域の中をラクダのキャラバン隊もとんど通っておらず、現代でも車が通過することはほとんどない。

 フランスのナチュラリスト、テオドール・モノ(Theodor Monod)が1954年から55年にかけて、この地域をラクダで旅した。その後、1993年〜94年同地を再び訪れ「マジャバ・アル・クーブラ」という本を出し、一躍、この土地が世界に知られるようになった。そして、2002年、フランスのレジ・ベルヴィル(Regis Belleville)がこの中をラクダ数頭と共に旅し、≪砂漠のかなたに≫という本、映画を出し、フランス冒険賞をとった。この時は、モノの資料を参考に、シンゲッティの北部からマリのトンブクトゥまで、50日にわたる徒歩の旅だった。

アウケー湖で岩塩を集める女性。厳しい日射にさらされ、砂漠の強風の中、苛酷な作業だ。そして一日砂を集めてもわずかなお金にしかならない。 25kgづつ袋詰めにされた岩塩を2袋づつラクダにくくりつける作業員 ティシット南部に95,000kuわたって広がるアウケー砂漠。砂丘ではなく不毛の砂地。水がないので木が生えていない。唯一、水のない砂地で、雨が降った時に生き返るスバっという草だけが一面に生えている。

ティシットの宿と食事
 町の中には、数件オーベルジュがある。訪れる観光客があまり多くないので、稼動していないことも多い。
 飛行場のすぐそば、警察署の裏手にオーベルジュ・デ・キャラバン、オーベルジュ・ド・ティシットが並んでいる。

 オーベルジュ・デ・キャラバンはティシット振興協会が運営する宿泊施設で、2〜3人用バンガローが3棟と、8人まで寝ることのできるメインの建物がある。宿泊料一人3,500ウギア〜。 


ティシット周辺のみどころ

アグリジット (Agrijit)
  このティシット台地一帯では紀元前3,000〜紀元前1,000年ごろの石器、土器が見つかっている。当時、アウケー湖には水があり、周りは緑に覆われていたようで、発見される器具から当時の生活をうかがうことができる。こうした生活の跡の中でも、アグリジットの遺跡は、紀元前1500年ごろの町並みが非常に良好に残された遺跡である。モーリタニア、いやアフリカで最古の≪村落跡≫であろうといわれている。

 ならだかな山のに石を重ねて作られた村には300あまりの住居跡がある。最初に調査団が入ったのは1971年、アンリジャン・ユーゴ(Henri-Jean Hugo)を隊長とする調査団で、その後、崩れた壁などが積み直したりして、一部村落が復元された。何より驚くのは、足元に散らばる土器や石器のかけら。一面に落ちているのだ。中には、観光客が土器を再現しようと並べたと思われるものまである。

 新石器時代の村落、まるで今でも生活しているような感覚を受けるのは、こうした土器や石器がその辺にさりげなく置いてあるせいなのだろうか。そんないにしえの時代のものに触れているようで、とても感動した。 

 ティシットからワラッタに向かって32km、アウケー砂漠とティシット台地の境界あたりを2時間あまり走ると、アグリジットの村がある。言われなければ見落としてしまいそうな小さな村落、そこはアグレジットの新村で、1840年、アラブ人ビラ・エル・ハッジ(Billa El Haj)一族によって作られた。そして、村から7kmあまり砂地を走ると、左手に山が見えてきて、その遺跡はこの山の上だ。

 村人によって、石を並べたり、石に白いペンキを塗ったりして、ふもとから山の上まで道しるべがしてある。息が切れるほどの急な山斜面を登ると、石を積んだ壁のようなものがある。見渡すと一面、この石の壁だ。かなり広域にわたって、この石の壁は並んでおり、山頂まで続く。ゆっくり観察しながら見たら、午前中いっぱいくらいかかりそうだ。私のような遺跡無関心派にとっても、ワクワクするひと時だった。

  
   
たぶんアフリカ最古の≪現存する新石器時代の村落≫。約300世帯の家が残っているという。 中には集会所だったと思われるような会場もあり、家と家の間には細い道路があり、町中をその道路がはしっている。 地面には数え切れないほどの土器や石器のかけらが落ちている。誰かが並べようとしたのか?
マッフルーガとエッスバの岩  (Makhrougha & Es Sba)
 ティシットからワラッタに向かって約100kmあまり、アウケー砂漠の中の単調な景色が続いている時に、いきなり大きな岩が見えてくる。そして、近くへ行くとさらに度肝を抜かれる。≪象の岩≫と呼ばれ、象の集団がいるような形をした大きな岩が、まっ平らな台地にポツンと立っているのだ。

 近くに車を止めて一回りするだけで小一時間かかる。それにしてもなんという自然の芸術!岩のカーブの見事なこと!そして見る角度によってさまざまな表情があり、離れて見るとまた違って見える。

 それにしてもなんだって神様はこんな不便なところに、こんな偉大な芸術品を作ったのか?ティシットまでの長い我慢の旅がすべてここで帳消しになった。

 そして、マッフルーガを離れ、さらにそのままワラッタに向かって進むと、ピスト(車のわだちでできた道)上に、また大きな石の塊がどしんと立っている。これがゼイガ(巨像という意味のハッサニア語)である。正面から見ると長方形のビルディングのような形で、高さは50mくらいだろうか。

 マッフルーガから約30km、アラタンの井戸を通り過ぎてまもなく、エッスバ(Es Sba)の石群がある。数kuにわたって、風化した大小3〜10mくらいの石が、砂地の上に点在している。マッフルーガは荘厳ですばらしかったが、こちらは、ピグモンのような形、トカゲやハリネズミ、キノコや恐竜のような形をしている石が並んでいて楽しい。ここもゆっくり一回りしたら小一時間はかかる。
 
 
マッフルーガの岩。高さは2〜30mくらいか。手前は通りかかった遊牧民。 岩が風化により彫刻され、たくさんの空洞や穴や通路ができている。なんという自然の芸術。 確かに象がたくさん並んでいるように見える!
エッスバの石群。マッフルーガは一つの大きな塊だったが、こちらはこうしたキノコのような石が砂地に点在している。ちなみに高さは、3階建てのビルくらい。 ひとつひとつが動物や昆虫のような形をしている。宮崎駿さんがこれを見たらさぞかし、いろいろイな楽しいメージをすることだろう。 エッスバ西端にある≪3本指の岩≫。周りが深い砂なのでアクセスが難しいが、向きによってさまざまな表情があって美しい。写真では見えないと思うが、岩の足元の点のような黒い影が乗用車。

ティシットへのアクセス

 ティシットへ行くにはチジクジャからオフロード車で240kmあまり、現地の慣れた運転でも9〜12時間かかる。

 ティシットからワラッタまでは約400km、止まらずに走れば10時間あまり。数年前からパリ・ダカの車が数百台も通過したお陰で、ティシットからワラッタまでしっかりピスト(車のわだちでできた道)がある。砂嵐さえなければ、以前のように道に迷うことがなくなったと言う。しかし、それでも十数か所は、まったく行き先がわからないような複雑な場所がある。
 
 ネマからワラッタを経由してティシットに行くには、風向きが反対になるので、走りにくいという。シーズン中でも一日すれ違う車は5台とないので、走行する時はかならず同伴車が欲しい。何かあった時には、現地の遊牧民に助けてもらわなければならないので、言葉がわかる地元のガイドがいたほうが安全。

  ヌアクショットからの飛行機は2005年以降、運行されていない。