Nouakchott



2004年末、石油発掘が発表されるまでは、世界でも後ろから数えたほうが早いほど、素朴な首都だった。荒野のガンマンのイントロに出てくるような、風の吹き抜ける街だった。

だが、石油をめがけて、ヨーロッパ各国、中国、オーストラリア、もちろんUSA,日本(??)からビジネスマンたちがやって来て、すさまじい勢いで変遷しつつある。それに対応すべく、
ホテルや外国人向け住居、公共建築物の建設ラッシュ、レストランや一般商店が日に日に増えつつある。特に中国からの石油業アプローチがすごいらしく、以前は道路などの建築に携わる労働者がほとんどだったのが、ビジネスマン中国人が主なホテルでかつての日本人商社マンのような動きをしているのが目出つ。
 そう、ヌアクショットはすでにモーリタニアを離れて一人歩きし、モーリタニアらしさが失われつつある、中途半端な発展途上都市になってしまった。

 併せて、車の数も急増ぶりもすごい。つい数年前まで市内にある車が数えられる程だったのに。車の間を縫うようにロバが引く荷車がかわいそうなほど。道交法もしっかり普及していない内にあまりに車が急増したものだから、ヌアクショットの交通事情はひどくなるばかりだ。1999年まで市内に1ヶ所しかなかった信号や、ロータリーもどんどん新設されつつある。だが、マナーが実状に追いつかないこの国の運転では、ラッシュアワーになると動かない車の列に無理矢理突っ込んだ車がもつれた車の列をいっそうもつれさせ、さらにロバ車もまじってにっちもさっちも行かない状態になる。 

 ヌアクショットとは「貝殻に囲まれた井戸」または「ラクダ用井戸」という意味。近年まで、砂丘の中にわずかな椰子やアカシアが茂り、井戸の周りに遊牧民のテントが点在する、モーリタニアではなんの変哲も無いひとつの部落だった。井戸の周りに少しづつ住民が集まり、小さな街になった。ヌアディブの首都候補を退けて、なぜかなんの特徴もないこの土地がわずかな有志によって首都と決められたのは1958年。第一回国会はテントの中で行われたと言う。そして、現在の中央市場の南側に、政治の中枢となる省庁用のバラックが立てられ、瞬く間に人口が15000人の都市になった。

年々拡大する砂漠化により、それまでの遊牧民の生活を捨てて地方から都会へと移り住む人々が急速に増大し、2000年には約80万人(推定)に膨れ上がった。 

ヌアクショットは伝統と近代化、富と貧が渾然としている、モーリタニアがかかえる問題の縮図のような町だ。



2007年にオープンしたビジネスセンターの8階からの展望。思いの他、木が多い。中央の林は大統領府 ヌアクショットは強風の日が多く、砂が舞って曇り空のようになる。景色がぼんやり見えるのは砂嵐の為。地方から戻ると、道路のセンターラインと街灯を見て、首都に戻って来たという感がする テブラク・ザイナ区は、モーリタニアの金と頭脳が集まるところ。町並みも、車も、住宅すべてこの国の最高級のものが集まる


ヌアクショットのみどころ


 街の目抜き通りガマル・アブデル・ナッセール通りには士官学校を初め、警視庁、国営ラジオ局や、国立郵便局、モーリタニア銀行、最近できたばかりのメリディアンホテルチェーンの“ホテルマルハバ”他 大きなビルが立ち並ぶ。国立郵便局はいつも人が立て込んでいるが、常時記念切手を買うことができる。また、ホテルマルハバのみやげ店は、比較的良質の美術品にちかい民芸品をそろえている。

 街の中でまず目につくのが大きなモスク。中心部にある大モスク(Grande  mosquee)はサウジアラビアの支援によってつくられた。そして、街の南部にできたばかりの新しいモスクはモロッコからの支援による。いずれも、モザイクの美しい建物だが、残念ながらイスラム教徒でないと入れない。
ミナレットが美しい大モスク。 モロッコから寄贈されたモスク・マロカン。モザイクが美しい ヌアクショットでは車が急増し、渋滞がすごい。道交法が確立する前に車が増えてしまったものだから、交差点では各方向を向く車がこんがらかって動けなくなることが度々ある
 

 ガマル・アブデル・ナッセール通りからアンデパンダンス通りに曲がって突き当たりが、大統領府(Presidence)。左右に2000年にできたばかりの国会議事堂や、アメリカ大使館、スペイン大使館、ソ連大使館が並ぶ。


 ガマル・アブデル・ナッセール通りの真中あたり、空港に向かって右側にある中央市場(Marche  capital)。大通りから入っていくとまず、衣料コーナーがありメルッファやブブー、下着や子供の衣類を売る店が並ぶ。

 

女性の民族衣装メルッファ。1枚の布をふわりとまとう。


かつてメルッファを道端に並べて、お花畑のようだった。中央市場では道端販売が禁止になったから、今では見られなくなってしまった。残念!  ブーブーの洗濯屋。

 モーリタニアの女性がまとうメルッファ、
羽のような薄手の布から作られている。中央市場は、ヌアクショットの他の市場よりやや高め。無地や中国製の流行ものは2,000ウギア、手で絞り染めにしたものは8,00ウギアくらい。かつて、中央市場の周囲に色とりどりのメルッファを並べて売られていたが、最近禁止になり、市場の中の商店でしか売ってはいけないことになった。

 モーリタニアの伝統的な男性の衣装がブブーというもので、メルッファのように展示されず、ほとんど屋内で売られている。幅3、5mの身長の倍の布の真中に首を出す穴をあけ、胸の前にポケットをつけたような衣装で、サイズは1サイズだけ。白、空色、ブルーの3色があり、刺繍の程度によって値段が違う。(1500ウギア〜40,000ウギア)。2008年になって、中国で染色、刺繍、縫製されたものが出回るようになった。

 衣類や履き物、下着などの店が立ち並ぶコーナーのとなりは食材コーナー。肉や魚、野菜、香辛料、穀物、なつめやし屋が立ち並ぶ。食材コーナーは人がごったがえしているが、その奥のあまり人通りのいないあたりには鶏屋、金物屋や家具屋が立ち並ぶ。鶏は金網で囲われた小屋の中を鶏が走り回っていて、その中から選んで買う。

市内にあるテントの市場。2003年くらいまでラクダの毛のテントが見られたが、今はキャンバス地のものだけになった。 サンキエム(5区)の市場。4,5月は、セネガルからやってくるマンゴでトロピカルカラーになる。 中央市場の裏手にある木を売っている一角。モーリタニアの奥地では薪がない所があるからだ。


 ガマル・アブデル・ナッセール通りを国立郵便局と反対の方向に曲がると
ナショナル博物館(Musee  nationale)がある。遊牧民の生活品コーナーと、矢じりや石器など古代の遺跡コーナーと2つに別れる。日本政府からの支援で内部が充実したものの、国立博物館と呼ぶにはちょっと物足りないかもしれない。入場料500ウギア。
 
 博物館を出てすぐ、民芸市場(Marche  des  arts  traditionnels)がある。といってもアートに縁薄いモーリタニアでは、セネガルのようなオリジナルな民芸品があまりない。地べたに品物をならべ、砂よけの布をかけて全く商売っ気のないおばさんが売っている店が数件、日本のフリーマーケットよりもわびしい。


 


国立博物館。 国立図書館と続いている。建物は中国の支援により建築、中の資料展示棚は日本からのODA支援による。 ヌアクショットの下町は、文字が読めない人の為に、絵を描いた看板が多い。ユニークな男の顔が描かれた床屋の看板。 2008年になって、ヌアクショットから地方に向かう大型バスが走行するようになった。これは、ヌアクショットからバマコまで2日がかりで行く長距離バス。
 


 ガマル・アブデル・ナッセール通りを飛行場と反対方向に15分程ゆくと漁港(Port artisanal : Port d'amitie 友好の港と銘々されている)がある。百数十隻もの小型漁船が立ち並び、地元やセネガルから来た漁師たちが地引網を手作業で揚げる漁業を行っている。獲れた魚を卸売するコーナー、一般の客に小売するコーナーからなる漁業センターを1999年に、日本の支援により新築した。冷凍設備の整う立派なものになった。が、2010年以降、その拡張工事を中国からの支援で行っている。

 この地元の漁師が魚を上げる港の他に、ここからさらに10kmほど言ったところに、石油タンカーやコンテナ船など大型漁船が停泊する港がある。1986年に中国からの支援で年間50万トンの水揚げが可能な桟橋が建設され、2000年に入って拡張工事を重ねた。2010年現在中国人が工事を進めている。完成すれば、大型外洋船の停泊が可能になる。


 ヌアクショットの海岸は真っ白な非常にきめの細かい砂の海岸がえんえんと続く。波が荒いせいか貝殻が砂粒と同じくらい細かく砕けたのがいっそう白さを際立たせる。その砂丘の途中、漁港の前に黄色や赤、緑、ブルーと色とりどりの模様を描いた漁船が何十隻と並べられている。大西洋の荒い海の中を、木の葉のようにゆられながらこれらの漁船が漁をする。黄色いビニールの防水服を着た黒人の漁師らが、沖に張っておいた定着網を回収するのだ。漁獲の8割を日本に向けて輸出しているというだけあって、日本にそっくりな魚がたくさんいる。鯛、すずき、鯵、鯖、鰈やさくら鯛、まながつお、いか、たこなど。ヨーロッパの魚はヨーロッパ人のように目鼻立ちがごっつくカラフルでヨーロッパ人のような魚が多いが、この国は日本人の顔をした魚がいると驚くほどだ。

  


船は漁民と現地の手伝い人たちが協力して浜辺に引き上げる。船も人もカラフル プロの魚運搬人。船から輸送車まで、頭に乗せて走って運ぶ。沖には、大西洋の荒い波間にたくさんの漁船が浮かぶ。壮観な景色は、ヌアクショットのみどころのひとつ ヌアクショットのアルティザナル港には約100隻ほどの小型漁船が停泊している。半分以上がセネガル人漁師のものだという

 陸にあがった漁船から、黄色いカッパの漁師達が、頭の上にのせた箱に魚を満載し、それを一本の紐で支えながらわき目も降らず運搬車へと走ってゆく。漁を終えて砂の上に並んだ漁船の周りに、セネガル系の民族衣装を着た女性たちが、地面に直に魚を並べて売っている。上がったばかりの漁船から女たちは魚を買い、そして砂の上にならべて売るのだ。黄色いカッパの他に、普段着のままのヘルパーがいる。上がってきた漁船を陸づけする手伝いをして何がしかの魚をもらう大人や子供である。

 

市場の外景。2009年に中国支援により改造された 市場の中。ヌアクショット市内の市場で売るために仕入れにきた商人や、一般客が集まる。しかし、魚はあまり食べないので込み合うのはほんのひと時だけだ 魚はアジ、サバ、鯛、太刀魚、いとよりなど日本と同じような種類もたくさんいる


 ヌアクショットの市内ではほとんどの女性がヴォワルを来ているが、この漁港ではセネガル系の民族衣装が目立つ。狩猟民族を先祖とするモーリタニア人は、あまり魚を食べる習慣がないので、ここに集まるのはセネガルから帰化したり移民したモーリタニア人が多いのだ。

 午後14時頃から漁船が上がってくる時間帯に見学にゆくと人の多さと活気に驚かされる。エジプトやセネガル、モロッコなどを旅行したことのある人はしつこいくらい熱心な物売りに辟易すると思うが、その正反対にあるのがモーリタニア。売る気があるのかという程、シャイでおとなしい、悪く言えば活気がない、陰気ともいえる程の静かな性格のこの国にあってこれほど生き生きとした光景が見られるのはめずらしいのではないか。


 さらにこの先に、近代的な漁港があって、こちらは世界の各地からやってくる大型船舶が停泊、出入港している。1986年に中国からの支援で建設された物で、西アフリカを航行する船舶の拠点となっている。2010年に中国からの支援でリニューアル工事が行われている。

 

 

 

モーリタニア南部からセネガルにかけて着用される民族衣装。巻きスカートの上から襟ぐりの大きく開いた上着を着る。すらりとした美しい体型に、カラフルな色あいの衣装はとても色っぽい 日本のネイルサロンのような感覚で、ヌアクショットにはヘナ・サロンがある。女性たちは数時間、サロンでおしゃべりしながらヘナをしてもらう なんとこれは男の人が頭に巻くターバン。かつては黒、紺、白だけだったのが、今ではこんなにカラフルになった


ヌアクショットの宿と食事
 宿泊施設については入れ替わりが多いので、別紙、ホテル案内のページを作った。

  
 レストランで食事をするとしたら、ヌアクショットはモーリタニア内で一番おいしいものが豊富といいたいが、レストランの数があまり多くない上、料金は一般に高い。もともと遊牧民の土地柄、野菜があまりない国なので、一般の人々は羊ややぎをグリルかボイルしたもの、それに米やクスクス、クレープ風の料理を食べている。親類や友人宅で食事を楽しむ慣習なので、モーリタニア人どおしが家族や友人とレストランで食事をしたりすることはほとんどない。それでも、最近の欧米人ラッシュで外国人向けレストランも急ピッチで建設中。ピザショップ、ハンバーガーショップ、スナックレストランなど、筆者が調査が追いつかないほど、市内のいたるところにできている。ただし、味に関してはまだまだ途上国だ。

 エル・アマンやパークホテル、ホテルハリマのレストランは味も料金も無難。古くからあるイタリアンのピザ・リナ、最近できたばかりのセレクトは共にイタリアンがメイン。ピザ・リナはスパゲッティ、ピザがメインだったが、最近ステーキや魚のグリル、アイスクリームなどがメニューに加わった。セレクトはシリア人が経営するヨーロピアン料理。魚や肉のカレー煮やグリル、イカのオードブルなどオリジナルな料理はお勧め。

 ヌアクショットで最も高級なレストランle Casablancaはサウジアラビア大使館向かい(525-5965)で、緑の庭が美しく、静かなたたずまいで食事は快適。そしてLe Taska(529-4158 フランス大使館並び、教会側)はフランス料理の他、インターナショナル料理をそろえた高級レストラン。パシオと庭が美しいコロニアルスタイルの店で、毎週木曜日はカラオケ大会をやっている。

 El Bahdja(630-5383 教会側)は、モロッコ料理専門店。デラックスなモロッコのクスクスやタジンなど、アラカルトで1,300ウギア〜
同じく教会側の中華レストラン“.L'oiseau du Paradi”(525-5752)は、ヌアクショットで最も高級な中華料理。ただし、日本の中華料理店を期待していくとはずれる。ここ数年たくさんの中国人労働者達がモーリタニアの道路工事や公共建築物の建設作業で長期滞在しており、小さな中華料理店や中華食品店が急増した。
  

 

ヌアクショットへのアクセス
  海外からヌアクショットへのアクセスについてはアクセスのページを参照のこと。

 国内の飛行機については、2004年までエール・モーリタニアがフライトし、アイウン・エル・アトラス、アタール、 カエディ、 キッファ 、ネマ、チジクジャ、 セリバビ、ズエラット などへフライトがあったが、倒産。今は代わってモーリタニア・エアウェイズが運行し、国内はヌアクショット-ヌアディブ(月・火・木・土)、ヌアクショット-ズエラット(月・水・金)の2都市間がフライトしている。ヌアクショットーヌアディブ 39,186ウギア、ヌアクショットーズエラット74,900ウギア。 

 陸路についてはアタールや、ワダン、シンゲティまでの北部の幹線道路がかなり改善されたので走行時間がかなり縮小された。アタールまでオフロード車で約5〜6時間、そこからさらにシンゲティまで1時間あまり。


 また、ヌアディブまでの舗装道路が2005年末に開通した。車で約7時間。砂丘の上を走る高速道路は印象的だ。

 ヌアクショットからチジクジャも完全舗装道路で約8時間、一方ヌクショットーキッファーアイウンーネマの希望街道も道路が修復されてほ全域が舗装道路。

 セネガル国境のロッソまで舗装道路で約3時間。そして希望街道もキッファまでは完全舗装道路なのでヌアクショット〜アレグ約3時間、アレグ〜キッファ約3時間が目安というところ。

 2008年後半から、ヌアクショット発着の大型バスが運行し始めた。
 コースは、ヌアクショット-ヌアディブ、 ヌアクショット-アタール、ヌアクショットーキッファーアイウンーネマ、ヌアクショットーカエディ、ヌアクショットーロッソ。 特にヌアディブ路線は毎日運行しているバス会社が数社ある。
 クーラー付きの大型バスは人気が高く、すぐに満員になる。ただ、バスもクーラーも壊れたらなかなか修理できないので、クーラー付と言われて乗ってみたらクーラー無しということも度々。クーラー無し、窓があまり開かないバスでの日中の移動は楽ではない。
また、バスが壊れて昨日まで運行していた路線が今日から無くなる、おいては2台しか所有バスのないバス会社が無くなるケースもあり、次々と新しいバス会社ができたが、大手の1,2社を除きあっという間に姿を消すという現状で新旧交代が激しく、事前チェックが必要。

 おおまかな運賃は、ヌアクショット-ヌアディブ(約5,000ウギア) ヌアクショット-アタール(約5,000ウギア)、ヌアクショットーキッファ(約4,000ウギア)ーヌアクショット-アイウン(約7,000ウギア)ーヌアクショット-ネマ(約8,000ウギア)、ヌアクショットーカエディ(約3,500ウギア)、ヌアクショットーロッソ(約3,000ウギア)。
 
 ヌアクショットでレンタカーを借りることができるが、ヨーロッパとほとんど同料金。また、レンタカーの状態もかなり傷んでいることがあるので十分チェックしてから借りた方が良い。道路状況が日本やヨーロッパとかなり違い幹線道路以外はほとんどかなりなオフロードなので、日本のような良い状態のレンタカーは皆無と思っていたほうがよい。アドラール・ボワヤージュやMKTなどの旅行エージェントを通して、ドライバー付きレンタカーを借りることもできる。

 
燃料は、主要都市で入手できるが、チシットやワラッタのような砂漠の奥地では入手できないことが多く、できたとしてもかなり高額なので、ルートを決める時に入念に燃料の購入ポイントを考慮した方がよい。ヌアクショットでリッター約280ウギア(=\130 2008年3月)。

 レンタカーの目安 : ランドクルーザー クーラー付き 35,000〜40,000ウギア/1日。
 トヨタやニッサンのピックアップ クーラー無し  20,000〜25,000ウギア/1日
(2009年9月)