サハラ砂漠と砂漠化
 砂漠化とは、草木の育っている土地が不毛になる現象で、天候の変動や人間活動がその原因とされている。砂漠化という言葉は局部的な乾燥により不毛になった土地、または、これまで砂漠ではなかった所が砂丘などが侵食して沙漠になった場所を言うこともある。

1996年12月に制定された「砂漠化対処条約」で「砂漠化とは、乾燥もしくは乾燥程度の弱い半乾燥地、および乾燥班湿潤地域における、、気候上の変動/人間活動など様々な要因による土地の劣化」と規定している。砂漠化は長期にわたる自然災害のひとつで、地球温暖化やサヘル地帯の家畜放牧で餌の草を食べつくしてしまったことなどが拡大の原因と見られている。

砂漠化は50年ほど前から認識されるようになり、国連からも要注意事項として見られ、1992年ブラジルのリオ・デジャネイロで開催された国際環境会議(CNUED)で砂漠化対処に関する協定が設置された。

ユネスコの推測では、地球の1/3が砂漠化の危機に瀕しているという。

CIRAD(フランスの国際農業開発研究センター)によれば、
 地球上全体の土地の40%(135億uのうちの52億uが)砂漠化。広域にわたる被害が拡大しており、南部が特に砂漠化しているが、特に地中海北部、中央アジアなどでも拡大している。乾燥地帯の37%がアフリカ、33%がアジア、14%がオーストラリア大陸に分布。アメリカや地中海周辺国(スペイン、イタリア、クレタ島、ギリシャなど)は、局部的だが、被害は大きい。また、2000年には、乾燥地の70%、36万uが既に砂漠化中だと発表した。

国際自然保護連合(IUCN)では2000年、地球の土地の70%が砂漠。そのうち25%が砂漠でなかった所が砂漠化した。この砂漠地域は90カ国にまたがり、地球の1/3の人口、つまり9億人がこの中に住むと発表した。

サハラ砂漠も数千年前まで草木が豊かで、今より湿度が高かったことが、壁画などから伺うことができる。サハラ砂漠の面積は約800万ku、西から東へ幅5,000kmに広がる砂漠である。

 アフリカでは1970年代からグリーンベルト運動などが進められてきた。
 - 1968年 アフリカ連合OUAでアルジェー条約が採択
 - 1974年 国連総会
 - 1984年 ナイロビ、国連で砂漠化対処の会議、 砂漠化対処プラン(Plan d'action pour combattre la deseertification)PACDが設立
 - 1984年 トーゴ、 ロメ(Lome)協定
 - 1994年 パリ、  砂漠化対処国際条約を採択
 
国連は毎年6月17日を世界砂漠化対策ディとし、砂漠化対策を現代における最大の環境問題の挑戦」と名づけた。

1992年、国連開発計画(UNDP)の世界砂漠化地図を発行、世界の砂漠化の危機を呼びかけた。




 モーリタニアの環境問題

 モーリタニアは、サヘルとサハラ砂漠に位置し、国土の4/3以上が沙漠という国で、1960年代以降、@極端な雨不足、A砂漠化という2つの問題に直面している。特に地方にこの二つが顕著なために、地方に住む遊牧民などの生活が逼迫し、国民の68%が貧民線以下の生活を送っているという実態を招いた。

 1968年〜1984年まで続いた大干ばつは、半乾燥地域にあったモーリタニアに未曾有の被害を与えた。家畜の90%が失われ、遊牧民や砂漠の村に住む人々は、生活の場を追われ都市に集まった。その後、緩和したとはいえ、地球の温暖化などの影響により年間5万uが砂漠化しているという。国際自然保護連合は、1995年〜2004年の10年間にモーリタニアで砂漠化した土地は、国土の15%、150,000kuにもなると発表している。

モーリタニアの中で保護地区として、自然保護を進めているのは1,7%だけで、バン・ダルゲン国立公園と、ディアウリグ国立公園の2ヵ所だけである。
この国の収入源として大きな役割を果たしている魚介に関しても、乱獲が原因で、良好な状況にあるとはいえない。

砂漠の拡大は、草木に覆われた土地に住んでいた人口の減少も招く。1970年代の大旱魃やその後の度重なる旱魃により地方の遊牧民が大都会に移り住むようになった。1965年に国民の78%を占めていた遊牧民は、1995年に15%、2004年には8%に減少した。主にヌアクショット、ヌアディブに集中し、現在国民の2人に1人が都市部で生活している。(1995年には地方の定住者が48%だった)  首都ヌアクショットは、急激な人口増加に対し、居住地や住居の不足、飲料水の不足(水道が使えるのは30%だけ)、下水道の不備、ごみ処理、交通網などインフラ整備が追いつかない。

希望街道から南側のサヘル地帯では、木を伐採して墨を作りそれを他の地方やマリなどに売っている。その伐採が原因で、木が激減している。
 
オアシスが砂で覆われ、数メートルもあるヤシの木が半分以上も埋まってしまったアドラール州の村落 家々が砂で覆われ、入り口がすっかりふさがれてしまった (シンゲッティ旧市街)



モーリタニア政府の環境問題の取り組み

- 1992年それまでの地方開発省が、地方開発&環境省(MDRE)になった。
- 1993年、地方開発&環境省の中に、特に整備問題を中心とする地方整備・環境部(Direction de l'Environement et de l'amenagement Rural)が設置された。
- 1995年、新たに、環境・開発国務院(Conseil National Environnement et Developpement)が設立、環境に対する企画、コーディネイトや環境事業のアフターフォローを担当する。

モーリタニアでは、国が進める環境体制はあまり現実的でないと評価されている。また、海外などからの支援団体は主に農業省や水利省などと連携することが多いが、それが環境関連だとしても省庁どうしの連計がないので、環境省とつながらない。

2004年国連開発計画(UNDP)の90%の融資を受けて、長期環境・開発全国アクションプログラム(PANE)を実施。

1992年のリオ・デ・ジャネイロ(ブラジル)の国際環境会議に続き、モーリタニア国内で様々な会議が催され、長期間における環境保護や環境改善などに関する法律が批准された。
 またこれと前後して、様々な法律が制定されている。
- 水利法 1986年、- 衛生法 1986年、-森林法 1997年、-自然保護・狩猟法 1997年、-鉱業法 1999年、-漁業法 2000年、環境法 2000年、バン・ダルゲン国立公園管理法 2000年、 遊牧民法 2000年。

 ただし、これら国際協定はほとんど実施されておらず、法的プランも、様々な長期環境開発に関する法律も不在なのが実情。



環境プロジェクト

明確な環境政策は不在ながら、フランス開発支援エージェント(AFD)、世界銀行、ユニセフ、世界保健機構(WHO)、国連開発計画(UNDP)、ドイツ政府の開発援助組織であるGZTなど支援関係者からの環境に関する関心が高まっており、政府としても黙視しているわけにいかなくなった。

砂漠化対策は特に大きな課題で、海岸線&セネガル河域の農村開発、密漁対策を強化して天然資源の保護などのプロジェクトが組まれた。

首都ヌアクショットは世界に類をみない人口増加を引き起こしている都市で、1960年3,000人も住民がいなかったところに、わずか50年もたたないうちに80万人を超えた。年平均3,75%の増加率になる。現在、58,1%の家庭が配給荷車か水道で飲料水を得、4世帯に1つはトイレがない。下水道整備プランが遂行され始めた。

またヌアクショットで、1日600m3のゴミが排出されるのに対し、その集配率は50%にもならない150トン/日。ヌアクショットにある9つの区と都がゴミ処理の管理の責任者となり、定期的にゴミを収集し、また、無秩序なゴミの廃棄をストップさせるプランも立てられた。そのほか、期待された成果は得られなかったら、政府がゴミ処理に関する管理戦略を検討することが決定した。

ただし、国が打ち出したシェマが複雑すぎて、実質的な効果が得られそうもないと反対する自治体も少なくない。

海底油田によるエコ被害
 モーリタニアは北部のバン・ダルゲン国立公園、南部のディアウリグ国立公園があり、海岸線は豊かな漁場である。そこに、近年海底油田が開発され、海岸線が危機にさらされることになった。掘り出した後不要な泥の廃棄、大型タンカーの往来、発掘の際の水処理などエコ的な難題が多い。