Banc d’Arguin



 モーリタニア北部のヌアディブの南から、チミリス岬まで12,000kuにわたって広がる国立公園。アルゲン一帯の生き物たちを保護する為に1976年に国立公園に指定され、入園者を厳しく限定している。

1989年に世界遺産に指定された。バン・ダルゲンとはアルゲン(地名)暗礁という意味だが、現地でそのまま通じるようにあえてバン・ダルゲンとした。
 
 陸からの絶え間無い風の影響で、赤みを帯びたアゼファル砂丘(Azeffal)は、15mもの断崖のから大西洋に自ら飛び込むかのように海岸線まで押し寄せている。延々と続く未踏の絶壁、その断崖の上は砂丘、このような風景は世界中どこに行っても見ることができないに違いない。
 このアルゲン一帯では海岸から60km沖でも干潮時に水深5m程にしかならない大きな岩礁があり、付近を航行する船にとって昔から難所として知られている。写真(地図)

そしてこの岩礁は、暖流と寒流がぶつかり合うところで多くのプランクトンが繁殖する。ミネラルをたっぷり含んだ冷たい水が暖かい水面に上がり光と接触すると植物性プランクトンがすさまじい勢いで増殖するのだ。それを小魚や甲殻類、くらげが食べ、さらにそれを鳥や海生哺乳動物(シャチ、いるか、あざらし等)が食べるという食物連鎖が起きて、アルゲン一帯何百万という魚や鳥がこの食物連鎖に参加する。

 外敵がないことや人跡未踏の環境は、魚を求めて集まってくる鳥たちにとって格好の餌場となり、大西洋を越えて毎年ここにやって来る渡り鳥は700万羽に及ぶ。そのうちの1/3がここで越冬、繁殖し、越冬する鳥の数、営巣する鳥の数、鳥の種類(110種)のいずれも世界で有数の場所である。       

 最も数が多いのがクロアジサシで100万羽におよび、他にはフラミンゴ、ダイゼン(チドリ類)やシギ類、鵜、ペリカン、鴎など。モモイロペリカンの営巣も世界有数のもの。寒い時期にはオランダからローズ・フラミンゴ、シベリアからロシアン・オグロシギなどが越冬にやってくる。
また、アオウミガメやタイマイなどの貴重な産卵地でもある。

ペリカンの群れ


 一番大きな島、ティドラ(Tidra)島は東西幅8km、南北35km。これを筆頭にニルミ島(Nirroumi)、ネール島(Nair)、アルゲン島(Arguin)など15ほどの島がある。
 それぞれの島は塩を含んだ湿地面で、一部マングローブがある以外、草木は生えていない。塩地でも育つ海洋植物に覆われ、大満潮の時には海面下になってしまうところもある。
 ティドラ島やネール島のような満潮時にも陸が残っている島では、ペリカンや鵜などの営巣があるが、大潮の時には陸続きになるほど潮が引いて、陸からシャッカルなどがやってくることもあるという。

 ティドラ島

 園内に住んでいる漁民の帆船で、鳥やいるかを観察することができる。島に近づくことはできるが、鳥たちの巣があるので上陸は禁止。

   


空から見たイウィク湾。干潮になると、この川のような水路がすべて陸になる。











    








     700万羽の鳥が集まる鳥の楽園




バン・ダルゲンを訪れるには
入園料 一人1,200ウギア
 ヌアクショットのバン・ダルゲン事務所で申請し、2日〜1週間でとれる。定員があるので時折、学術団などが入っていると許可されないことがある。公園内はガイドが必須。

 ナムガーまたはシャーミの側の管理事務所で入園の手続き:パスポートチェックと行き先の報告を行う。行き先を告げるのは、公園の中で迷ったり、何かトラブルがあった時の為のものなので、きちんと予定を告げる。
広大な国立公園の中は、井戸がなく、行き来する車両も少ないので、道に迷ったり、干潮に車が動けなくなると、生死に関わる事故になる。予定の行き先にあまりに到着が遅いと管理事務所は捜索を開始する。

 広大な公園の中は生息物や植物などの保護ばかりでなく、入場者の安全のためにさまざまな規則がある。車同士がすれ違う時や、管理事務所では情報交換しあうのがルール。もっとも、イウィックやナムガーなどの大きな村以外では、ほとんど、他の車とすれ違うことがない。1日走りまわっても、1台も見かけないことも度々ある。
 
 公園の中で自由にキャンプすることはできない。また、狩猟、釣りをするにはあらかじめ許可証が必要。遺跡の破片や石器・土器あるいは植物などの持ち出しは禁止。また、外部から植物や動物を移入することは禁止。
 キャンプできるのは、指定の区域に限られる。ゴミの廃棄は禁止なので、すべて持ち帰る。

 ゴミを埋めるとハイエナなどがあさり、付近に生息する動物に悪影響を与えることになるので、必ず持ち帰る。

島の砂の中に鳥が営巣をしていることがあるので、絶対に島に上陸しない。

 訪問した人は、生息物の異常に気がついたり、入園者などがトラぶっているのに出会ったりした場合、管理事務所に通達したい。

バン・ダルゲン国立公園内でのキャンプ

公園内でのフリーキャンプは禁止。
テソット, テイショット、テナルー、ナムガー、イウイク、アルケイス の6カ所に公営のキャンプ施設があり、キャンプできるのはこの施設に限定されている。。
 レンタル費は10人用テントは12,000ウギア、7人用大テントは10,000ウギア/日、2人用小テントは3,000ウギア/日。
 公園内はガイドが必須、管理事務所入り口でガイドを雇う。4,000ウギア/日。
 料理は、要望に応じて、イムラゲンの漁師が1,500ウギアで魚を調理してくれる。5人乗りカナリアン小舟のレンタル費は20,000ウギア/日。船舶ガイド(必須)は3,000ウギア/日。

アルケイスのキャンプ地

 アルケイスは美しい湾に面した、バン・ダルゲンキャンプ地の中でもっとも美しいところ。ヌアクショットに住むヨーロッパ人達が、週末を過ごしに来る。

 イウイクやテイショットのイムラゲンの猟師は、かつて独特のイルカ漁を行ってきた。イルカに手伝ってもらって網の中に黄ボラを追い込む漁で、2月末〜3月末、10月中旬〜12月中旬行われる。NHKでも紹介されたことがある。

 
公園北部にあるタファリット岬。

 この公園は全体的に標高が低く、見渡す限り平原。なんとか、一望できるようにと、高いところを探したくなる。あまりにだだっ広くて、たいへんな数の鳥といわれている割には、私たちの通れる道路から見える鳥はほんのわずか、しかも、肝心の鳥たちは遥かかなたに点にしか見えない。
 
 潮が引いてティドラ島に取り残されたシャッカルがいたとか、車の音に驚いて飛び出すウサギの話をドライバーから聞かされるが、実際に行ってみると、陸地の動物に出会うこともかなり少ない。

 バン・ダルゲンを訪れるのにあまり時間がない方は、ここタファリット岬からの眺望と、陸から比較的近くにペリカンやフラミンゴが見られるナムガーの2ヶ所がお勧め。

 ランシュ(帆船)をチャーターしてイウィックっから島めぐりをすると、ティドラ島やアレル島にヒナを育てるアフリカ鵜やペリカンを見ることができる。フラミンゴは浅瀬の中でダンスをするように足踏みしながら餌をついばんでいるのが遠くから見られる(慎重な性格らしく、近づくと逃げてしまうのだ)。シギやチドリの群れは本当にたいへんな数で、海面近くを飛んで休息場所に戻る瞬間に出くわすと、何万といきらきらと移動する点の中を走っているようだ。


 ランシュ(帆船)で湾内を案内してもらうと、時折伴走するイルカを見ることがある


ヌアクショットからナムガーへの海岸線を走る
ヌアクショットからバン・ダルゲンまでの海岸

 2005年にヌアクショットからヌアディブに行く道路が出来上がり、一般にそちらからバン・ダルゲンに行くようになった。しかし、かつてのように干潮時に波打ち際を走るコースも捨てがたい。

 ヌアクショットからバン・ダルゲンの最南端ナムガーまでほとんど岩場のない海岸線なのだ。干潮時間を調べておいて、波打ち際を走る。濡れた砂は硬くしまって、思いの他走りやすい。ただし、故障して動けなくなり、潮が満ちて走れなくなった車もあるので、できれば2台以上で移動するようお勧め。
 
 波が押し寄せ、車の音に驚いて飛び立つ小鳥、あまりに気持ちよくて夢見心地になっていると、小さな漁村の地引網やタコ漁のロープでいきなりストップさせられることがある。このあたりはタコ漁がさかんで、特に夜の走行は要注意だ。ナムガーまで、6つくらい部落がある。

 ヌアクショットから約20km北にあるポーテンディック(Portendik)、ゴムを求めてやって来たオランダ船の接岸地として16世紀末からできた小さな町。今はジュレイダ(Jreida)と現地名で呼ばれている。その先に、難破船が砂に打ち上げられ、まるで模型のように残されている。

 タニ (Tanit)はさらに25kmほどのところにある村で、ここはヌアクショットのブルジョアの別荘地帯。モーリタニア企業によって大きなリゾートホテルの建設も予定されている。  

 ティウイリ(Tiouilit)とエル・マヒジラ(El Mahijrat)の間に、約4万年前からある貝の山といわれる大きな貝塚がある。モーリタニアでは建築用ブロックやコンクリートに補強用に化石貝を混ぜるが、この貝塚の化石貝を無用心に走るとパンクするので要注意だ。


バン・ダルゲンへのアクセス


 ヌアクショットを出てヌアディブへの道路を走り約3時間、約215km地点のシャミ(Chami)にバン・ダルゲン公園を示す標識が立っており、そこを左折してオフロードを進む。オフロードに入ってすぐ、管理事務所があるのでそこで入園の手続き。そこから公園の中心地イウイクまで約45分。
 
 イウイクから公園の南端ナムガーまで約2時間。ナムガーはバン・ダルゲンの行政の中心地で、食料、水、燃料の補給ができるのはここだけ。

 バン・ダルゲン国立公園の地図


モーリタニアの海岸線をめぐるヨーロッパの攻防

 1492年にクリストフ・コロンブスがアメリカを発見した後、その繁栄と共にアフリカの奴隷の売買が盛んになり、18世紀には700万人もの奴隷がアフリカから駆り出されたという。モーリタニアの海岸にも、奴隷、ゴムなどを求めて、ヨーロッパから探検隊や軍隊が船でやってきては、熾烈な争奪戦を繰り広げた。
 以下は、その主なヨーロッパの国どおしの争いの年譜である。

 - 1442年 ゴンサロ・デ・シントラがバン・ダルゲンを発見
 - 1443年 ポルトガルがアルゲン島に陣地を設置
 - 1461年 ポルトガルがアルゲン砦を建て、1480年までポルトガル兵を駐在させる
 - 1560年 フランス人がセネガル川を調査
 - 1633年 フランスがセネガル会社(最初の名前はルーアンとディエップの商社と銘々)を設立
 - 1638年 オランダがアルゲン島を占領する
 - 1659年 オランダがポーテンディック(ヌアクショットから北へ約20km。現在ジュレイダと呼ばれる村落のあたり)の港を設置
 - 1659年 フランスがサン・ルイ島(セネガル北部のセネガル川河口)に砦を設置
 - 1664年 フランスがカップ・ブラン岬(ヌアディブそば)からシエラ・レオーネまでをフランス領とすると宣言
 - 1666年 フランスがアルゲン砦を破壊し、占拠
 - 1678年 イギリスがアルゲン島を占拠
 - 1685年〜1721年  オランダ人がアルゲン島を占拠
 - 1727年 ハーグ協定で、アルゲンとポーテンディックはフランスのものとなる
 - 1763年 イギリスがサン・ルイ島とアルゲン島を占拠
 - 1783年 ヴェルサイユ協定により、カップ・ブラン岬からセネガル川河口のサルームまでをフランスの所有であると宣言
 - 1815年 パリ協定 フランスの所有とされていたカップ・ブラン岬からセネガル川河口のサルームまでが大英帝国の所有となる

パリのルーブル美術館にある有名なテオドール・ジェリコ(1791〜1824)の「メデューサのいかだ」の絵、この絵のもとになった悲劇は、ここバン・ダルゲン沖で起こった。
 1916年7月2日、フランスの軍艦「メデューサ号」は、バン・ダルゲンン沖で沈没する。シュマルツ総督は救助用カヌーで400人の船員や兵隊を救助しようとしたが、全員乗るのは不可能だった。そこで、いかだで150人を運ぶことにした。途中飢餓と渇きでいかだの上は地獄のような状況になり、ようやくアルグス号に救助された時には、15人の死体がいかだの上にあっただけだったという。